第47話 異世界最初の音楽

 少々のトラブルもあった夕食だったが、最後は無事にみんなデザートまで楽しんだ(デザートは汨羅のオアシスで取れたフルーツをふんだんに使ったスイーツだった)。


 食休みがてら、俺達は談話室に集まる。


「何する? トランプとかボードゲームなら結構あるよ」


 鈴芽がそう提案すると、ちっちっちと喜桐が指を振った。汨羅から制裁を受けたのに元気なやつだ。


「それもいいが、今夜ではないだろう。そう、天才音楽家であるこの僕と、稀代の歌姫が出会った晩であるなら!」


 また大仰な仕草で喜桐が片手を伸ばす。手の示す先には燕がいた。

 燕は、はあ、と小さくため息をつく。


「まあ、バレているだろうなとは思ってたけど」


「もちろんさ! 伝説のアーティストTsubasa! この僕でさえも憧れた歌の女神! まさか異世界で巡り会えるとは思わなかった」


「はいはいどーも。まあせっかく伴奏付きで歌えるんだし、あたしはいいわよ。さすがにそろそろアカペラで歌うのも飽きてきたしね」


「おおおお!」


 俺は思わず興奮していた。そうだ、喜桐は何でも楽器を演奏できる音楽家なのだ。ならついにTsubasaの歌声が曲付きで聞ける。


「すごいじゃねえか喜桐! さっきはだめな酔っぱらいにしか見えなかったのに」


「はっはっは、意外にえぐってくるじゃないか少年。だがそれもよし」


 かっこいい決めポーズでさっきの醜態を無かったことにした喜桐。


「僕とTsubasaが揃えば輝きはまさに至高の宝石! 今宵、最高のグルーヴを約束しよう! ところで鈴芽くん! この《すずめのお宿》にルールはあるかい? つまり入った者のスキルを封じるとかそういう」


「え? うーん、別にそういうのはなかったと思うけど」


「ジャックもアヌビスも普通に入ってきてるしなあ」


 風呂まで入ってる。


「よろしい! では発動しよう。ナラティブ《アリとキリギリス》、スキル《キリギリスのコンサート》!」


 喜桐が勢いよく叫ぶと、その両手に光が溢れ出す。数秒後、そこにはアコースティックギターがあった。


「バイオリンじゃないんだな」


「Tsubasaと合わせるならこっちだろう」


「つばさ……? さっきからあなた達なんの話ししているの」


「ああ、汨羅は知らないよな」


 燕のYouTuberとしての活動について簡単に説明する。

 色々と伝わりきらない部分もあったと思うが、聞き終えた汨羅は。


「すごーい、燕って歌手だったの!? 楽しみ!」


 と、存外嬉しそうにしてくれた。


「いや歌手ってわけじゃ……いやもうそれでいいわ」


 くわしい説明をあきらめた燕は苦笑いして言った。

 喜桐が軽くギターをつま弾きながら訊ねる。


「それで、何の曲をやる?」


 すぐに鈴芽とウサが手を上げた。


「ハイハイハイハイ! ロキ!」


「ボッカデラベリタ!」


「グッバイ宣言!」


「オーバーライド!」


「脱法ロック!」


「KING!」


「多い多い多い! もう少しまとめてくれ」


 お手上げ、とばかりに喜桐が両手を上げる。


「リクエストはなるべく受けるけど、あらゆる曲を暗譜しているわけじゃないから、弾けないのもあるよ」


「えー、音楽の天才じゃないの」


「天才にも不可能はあるのさ」


 ぶー、と不平らしく言うウサに、喜桐はサラッと髪をなびかせる。

 その時、なにか黙って考えていた燕が形の良い顎に手を添えたまま言った。


「あなたのスキルで出せる楽器って、どこまでの範囲なのかしら」


「というと?」


「DTMなら、パソコンや周辺機器まで出てくるんじゃない?」


 喜桐がハッとしたように固まる。

 そのまままじまじと燕を見返した。



 ◆◆◆◆



 結果的に言うと、できた。


「よし! PCもフルスペックだしDAWも入ってる! MIDIキーボードもあるぞ! 電源がどこにつながっているのかはさっぱりわからないが!」


「これならまるまる曲作れるわね。内蔵音源もあるし」


 俺は音楽にはまったく疎いので、なにを話しているのかさっぱりわからない……。が、とにかくそこからの燕と喜桐はすごかった。

 鈴芽に宿で最も防音のしっかりした部屋はどこか聞くなり、教えてもらった地下室に籠もって二人で猛然と地球の音楽を再現し始めたのだ。

 

 燕と喜桐以外の俺達は、同じ地下室の床でトランプしながらその様子を眺めていた。



「電源いらないならエレキもシンセも使えるはずよね」

「やってみよう。スキル発動。……………よし、ミキサーもアンプも出せた!」



「打ち込み音源作った! 喜桐ドラムスできる?」

「当然だとも!」

「今から流すからクリック音に合わせて打って。それをガイドトラックにする」



「レコーディングは任せてしまっていいのかな?」

「ええ、ミックスダウンまであたしがやる」


 

 二人して楽器を弾いてはすぐに録音を確認してなにかごっそり大きな機材で調整し、また楽器を弾くというのを繰り返している。


 音楽を、ただ楽器弾いて歌うだけだと思っていた俺には到底なにをやっているかわからなかった。


 ちなみに、さすが燕というかなんというか、彼女はギターもベースも弾くことが出来た。たとえば喜桐がキーボード、燕がギターで音を合わせて、録音したら二人で音を確認する、なんてことをやっている。

 どうも喜桐のスキル《キリギリスのコンサート》は出せる楽器の数に制限がないらしく、地下室は次々と追加される楽器と機材で埋まっていった。



 ◆◆◆◆



 そしてずいぶん経ったころ……といっても実際は、2時間も経っていなかったと思う。


「……できた」

「ああ、完成だ」


 最後の調整をしていた燕が、ヘッドフォンを外して言う。喜桐も隣で頷いた。

 燕が俺の方を向いてもう一度言った。


「できたよ」


「お、おお……」


 正直二人がしているかわからなかった俺は、曖昧な返事をしてしまう。

 聞こえてくる音から何の曲を再現しようとしているかはわかっていたけど……。


 俺がいまいちピンときてないことが伝わってしまったのか、燕が珍しく不安そうに目を揺らませた。


「えっと……耳に残っている記憶をたどって打ち込んだだけだから正確じゃないかもだけど、とりあえず、オケはできたよ」


「おう、おつかれ。それで、ここで歌うのか?」


 その時燕は、今更になってその事に気づいたように目を見開いた。


「なんだ、燕が歌うためにずっとやってたんじゃないのか?」


「あ、いや、なんだかやってるうちに曲を再現することに夢中になっちゃって……。そうね。あたしが歌うんだった」


「なんだよいつもよりずっと自信なさげじゃねえか」


「だってこの世界に地球の曲を持ってこれるとわかったらそっちに頭がいっちゃったんだもの。とりあえず私が一番好きな曲を再現しただけだし」


「いいじゃないかそれで。さっそくここで歌うか?」


 そのとき、なぜか喜桐が割って入ってきた。


「いーや、ダメだね。みんな、長々待たせて申し訳ないがもう少し時間をくれ。どうせなら外で野外ライブといこうじゃないか」


「は? いや、ここでもいいでしょ。そりゃあここはスタジオではないけど、どうせならちゃんと音が反響するところのほうが……」


 燕がすぐ反論するが、喜桐はちっちっちと指を振った。


「Tsubasaの歌声だ。外で歌わなきゃもったいないよ」



 ◆◆◆◆



 喜桐のこだわりはよくわからなかったが外のほうが気持ちいいというのは同意だ。


 すずめのお宿を出た俺達は、土魔法で簡単に地面を固めると、即席のライブ会場を作った。


 海のように静かな砂漠に満点の星空。近くにあるオアシスからはかすかな水音と葉擦れが聞こえてくる。動物たちはみんな寝静まっているらしい。


 演奏場所には巨大なスピーカーと機材と、二弾重ねのキーボードが置いてある。

 喜桐がゆっくりと体をほぐしながらしながらキーボードの向こう側に座った。


「喜桐は演奏側やるのか」


「メインは打ち込み音源だけど、生音も欲しいだろう? 僕はなんでもできるけど、弾ける楽器は一つだけだからね。まあこの後ドラムスでもギターでも持ち替えるよ」


「マジで音楽に関しては天才だな。さすがバンドマン」


「ではってなにではって。あとマンじゃないし。

 それにしてもうーん、半年ぶりのライブだ。ちょっと興奮するな。僕のスキルは楽器に砂が入るのを心配しなくていいから便利だね。夜の砂漠でライブなんて、最高の環境だよ」


「だな。せっかく異世界にきたんだ、楽しまないと」


 砂漠の夜は冷えるので浴衣では寒いかなと……と考えていたら、汨羅がすぐに焚き火を作ってくれた。


「薪の102410乗、ファイアボールの325乗


 と、あっという間に周囲を囲んで32箇所のキャンプファイヤーを作る。薪は汨羅自身が家から一本適当に持ってきて増やしたものだ。

 マジで便利だな《曽呂利》のスキル。これがあれば物不足がない。


 先程までわずかに月の光があるだけで真っ暗だった砂漠は、赤い炎に照らし出された。結構な明るさだ。


「モンスターとか寄ってこないかな」


「私のマナ量に怯えているから、こちらからちょっかいかけない限りは大丈夫」


 俺の不安に汨羅が答える。まあずっと汨羅が暮らしていた土地なら、そりゃそうか。


 最後に燕がマイクスタンドの前に立って、ライブの準備は完成した。珍しくちょっと緊張しているように見える。


 観客は俺、鈴芽、ウサ、汨羅、それにジャック、アヌビス。雀女将も仕事を中断して聞きに来てくれた。


 その時になってようやく俺は気づいた。

 これから、この世界に、地球の音楽が流れるのだ。ここは砂漠の真ん中で、観客は俺達しかいないけれど、それでもこの世界の大気を震わすのには変わりない。


 それにここには地球に絶対いないジャックとアヌビスがいる。

 日本人と、百年前の日本人と、かぼちゃの魔物と、神様がいる。異世界でなきゃ絶対ありえないシチュエーションだ。


 俺でもわかる。

 今から流れるのは、この世界が、この星が、初めて聞く音楽だ。


「燕」


 俺は、マイクの前に立つ燕に呼びかける。


「かましてやれよ燕。お前が、この世界に初めて日本の音楽を聞かせるんだ。最高の歌を頼むぜ」


 そこでようやく燕が、いつもの不敵な表情をする。


「ふっ、言うじゃない。あんたこそ心して聞きなさいよ。感動して口も聞けなくしてやるから」


 そう笑った後、聞き手みんなに向けて語りかけた。


「この砂漠に来た時、ずっと、ずっと、この曲を歌いたかったの。聞いて」


 息を短く吸って、曲名を告げる。


「砂の惑星」


 喜桐が鍵盤の上にその細長い指を落とす。

 そしてあの、特徴的なイントロが始まった。


 日本のボカロ曲だ。たった数カ月離れただけなのに、たまらなく懐かしかった。聞いている間中鳥肌が止まらなかった。


 スピーカーから音が溢れ出す。喜桐のキーボードだけが奏でていた曲に何層もの音が重なる。


 そして、歌が始まる。

 歌い出しだけで涙が出そうになった。


 もし異世界で、最初に地球の歌を流すなら何の曲がいいと思う?

 あらゆる意見があるだろうが、俺にとっての答えはこれだ。

 

 聞いているか異世界。帝国や他の国の連中。

 お前たちが身勝手に召喚し切り捨ててきたやつらが、こんなに美しい音をこの世界に生み出したぞ。

 こんななにもない砂漠で、ゴミの山から必死に素材を集めるようにして。


 この砂漠には俺たちしかいない。

 遠慮なくボリュームを最大にしたスピーカーから溢れ出す音が、容赦なく肌を叩いてくる。その音は遠く遠く、膨大な暗闇と砂粒にすぐ吸い込まれてしまうけれど、今この篝火に照らし出される場所だけは、大気を揺らし空へ届き、俺達の胸を震わせる。



 俺はちらっと隣の汨羅を見た。彼女にとっては百年先の音楽なのだ。退屈してないだろうか、耳障りでないだろうか。

 無用な心配だった。汨羅はその長いまつげを震わし美しい目をわずかに開いて、音に聞き入っていた。

 その先にいるアヌビスも、ジャックも、わずかに体をゆすりリズムを取りながら曲に聞こ掘れている。


 音楽は誰にでも届く、時代が違ったって、種族が違ったって世界が違ったって。

 俺が400年前に作られた西洋のクラシックで感動するように。

 百年後でも、別の世界の音でも、きっと誰かの心を動かすのだ。


 闇夜を切り裂く流星のように、燕の歌はどこまでも砂漠の星空を駆け抜けた。

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