第8話 朝

 いつだったかも覚えていない春のある日だった。


 高校の友人たちとくだらない話をしながら電車に乗り込んだとき、車内の中吊り広告に思わず目を吸い寄せられた。そのポスターに写っていたのはTsubasa。その時最も勢いのあったJKユーチューバー。ネットの噂では同い年ということだったけど、きらびやかに化粧された顔も浮かべる表情も、ずっとずっと年上に大人に見えた。


 シャンプーか何かの広告だったと思う。Tsubasaはその美しい髪を惜しげもなく披露していた。同じ高校生でも本当に別世界の人間がいるんだな、と当時は思ったものだ。



 ◆◆◆◆



 目を開けたら隣の布団にTsubasaがいたのでびっくりした。思わず声を上げそうになるのを必死に我慢して代わりに何度も瞬きする。パチ、パチ、と瞬きするたびに、かつてポスターで見たTsubasaから現実の燕へと輪郭が重なり合っていった。


 広告にも使われた、あの美しい長髪はもうない。誇張抜きに何億も稼いだであろう自慢の髪は俺と鈴芽の呪紋を解くために消えてしまった。ショートでも身震いするほどの美しさは衰えていなかったが、身体のどこかが欠けてしまったような喪失感があった。


 あるいは、失ったからこそなおさら美しいのか。


 俺はしばらく、ショートの見慣れない燕の顔を、じっと眺めていた。



 ◆◆◆◆



 結局そのまま二度寝することのできなかった俺は、時計の針が七時を示したのを合図に布団から起きた。すずめのお宿は時計まであるのがありがたい。燕によれば、この世界も地球と同じ24時間制らしい。


 顔を洗い歯を磨くとだいぶさっぱりした。鈴芽は風呂のないのを気にしていたが、水が出るだけで十分ありがたい。いつまでものこのままではいられないだろうが。

 

 鈴芽と燕はまだ寝ていたので、二人を起こさないようにそっと《すずめのお宿》を出る。すでに朝日は昇っており、砂漠を明るい金色に照らし出していた。


 俺が出てくるとすぐにジャックがふよふよと浮かんだままこっちにやってくる。明るい日差しの下で見るジャックは、夜中よりさらにかわいらしさが増している気がした。


「見張りお疲れ様、ジャック」


 手で招くと、ジャックは嬉しそうにすり寄ってくる。頭をポンポンと手で撫でてやると、その中身に違和感があった。マナがかなり減っている感じがしたのだ。


「ジャック、夜中も戦ってくれたのか?」


「――。――」


 俺が尋ねるとジャックはこくりと頷いて、大鎌でなにか指し示す。その先には砂に埋もれてモンスターの死体がいくつかあった。

 俺たちが寝ている間、ジャックはしっかり俺たちのことを守ってくれていたらしい。思い切り褒めて撫でて、マナ供給をしてやる。


「よくやった! すごいぞジャック! よしよし」


「――――――!」


 マナ供給をするとジャックは嬉しそうだった。表情は変わらないが、マナをもらえるのは気持ちいいらしい。


「ジャックがモンスターを倒したってことは……ステータスオープン」



――――――――――――――――――――――


花咲 天道

【レベル】4

【ナラティブ】《花咲かじいさん》

【ランク】EX

【スキル】

《枯れ木に花を咲かせましょう》



――――――――――――――――――――――



 やっぱり、俺のレベルも上がっていた。相変わらず他の情報はさっぱりわからないが、強くなったのは間違いない。


「つっても、HPととか攻撃力とか見えないからどう強くなったかわからないんだよな……」


 相変わらず不親切な世界だった。ステータス画面にぼやきながらジャックのマナ供給を続けてると、違和感に気づく。


「……なんか、昨日より、マナの量増えてないか?」


「――」


 俺の中の総量も、ジャックに送っている量も、そしてジャックに蓄えられる量も、昨日より増えている感じがした。手のひらから伝わってくる曖昧な感覚だけだが、たしかに増えた気がする。


「そっか、俺のレベルが上がると使い魔であるジャックも強くなるのか」


「――」


 ジャックにモンスターを狩ってもらって強くなり、俺が強くなるとジャックもさらに強くなってより強いモンスターを狩れる。なんだかジャックに頼りっぱなしだが効率的に強くなれるのはありがたい。


 なにしろ燕の話だとこのエンドア砂漠には毒を持った強力モンスターがうようよしているってんだから、少しでも強くなっておいた方がいい。


「てか、毒消しとかポーションも必要だよな。毒食らったら治療もできないじゃ詰んじまうだろ。薬草は、株さえ手に入れば《枯れ木に花を咲かせましょう》で増やせそうだが、この砂漠にゃ草木一本生えて無いんだよな……」


 薬草だけじゃない。食糧になりそうな野菜や穀物も、それどころか野草や果物も最初に育てるものがなければどうしようもないのだ。昨日燕は《花咲かじいさん》を栽培系最強のナラティブと言ってくれたが、育てるべき植物がないんじゃどうしようもない。


 眼の前に広がる渺渺たる砂の大地を見て、俺はちょっと途方に暮れた。


「なーに朝からたそがれてんのよ」


「うおっ」


 急に後ろから話しかけられたので、驚き振り返る。燕が尊大な態度でそびえ立っていた。


「燕も起きたのか。鈴芽は?」


「まだ寝ているわ。まあ昨日遅くなちゃったし、寝たいだけ寝かせときましょう。あんたは早起きなのね」


「はは、まあ早く動き出さないといけないからな。やらなきゃいけないことがたくさんあるし」


「ふーん」


 燕が俺の隣に腰を下ろす。


 その美しい横顔が隣に来ると意味もなくドギマギしてしまう。長いまつげも、磨き上げた大理石みたいな肌も、計算されたような顎のラインも冗談みたいに綺麗だった。

 燕の顔には、見るものを惹きつけて離さないような魅力がある。


「……なあに?」


 見つめるつもりはなかったのだが、目が離せないでいたら燕に気づかれてしまった。

 顔に見とれていたなんて恥ずかしいこと言えるわけがないので、とっさに誤魔化してしまう。


「あ、いや……一週間も牢屋に捕まっていたんだろ? 風呂とか入れなかっただろうに、綺麗だなと思って」


「はあぁあああ!?」


 次の瞬間、顔面に靴が飛んできた。


「最っっっっっっっっ低! デリカシーってもんがないの!???」


「悪かった! 今のは俺が悪かった!!」


 土下座して平謝りする。どう考えても口にする言葉を間違えた。


 はーーーーーーーーーー、と、燕が凄まじく長いため息をついて言う。


「あんたの言う通り最初5日間くらいの扱いはひどいもんだったけど、途中で向こうがあたしを懐柔しようと待遇を変えてきたのよ。牢獄に閉じ込めても拷問してもあたしが気を変えないもんだから、気味悪いくらい生活を良くしてきたの。帝国はなんとしてもあたしの物語魔法ナラティブが欲しかったんでしょう」


 サラッと拷問という単語が出て俺は血の気が引く。それを見た燕が言った。


「言っておくけど、拷問と言ってもあんたの想像してるようなやつじゃないわよ。呪紋があるからそれで苦痛を与えてくるだけ。怪我させられたりはしてないわ」


「それでも……だからって……つらくないわけ無いだろ」


 ふ、と燕がなんとも言えない表情で苦笑する。


「大丈夫。あたしこれでも苦痛には耐性があるの」


「?」


 カリスマJKユーチューバーのTsubasaがなんで苦痛に慣れているんだ? と疑問に思ったが、なんだか触れちゃいけない空気があった。


「……そんな拷問までされたのに帝国の奴らの命令に従わなかったのはすごいな」


「あいつらの言う事聞いたら、ひどいことになるってわかっていたからね。あたしの《幸福な王子》のスキルを考えれば、ろくでもないことを命令されるのはわかりきっている」


「ああ……たしかにな」


「昨日も言ったけど、物語魔法ナラティブは何でもできるわけじゃないわ。一般魔法よりはずっと強力だけど、それでも一定のルールと言うか、制約みたいなものがある。でもそれを取っ払っちゃうのがあたしの《幸福な王子》よ。あたしのナラティブを使えば莫大な魔力を得ることも、強力なモンスターを倒すことも、死者を生き返らせることだって、たぶん可能」


 そう、燕のナラティブはすごい。なのに、本人がまったく幸せになれていない。

 ひどい理不尽だ。


「ふふっ」


「うん?」


「いや、あんたに会えてよかったなって思って」


 燕がやさしく俺に微笑んでくる。


「《幸福な王子》なんていう私は幸せになれないナラティブを押し付けられて、ああ、あたしはこの世界でもまた誰かに使い潰されるんだって思っていたけど。それで使われるくらいなら死んでやるくらいに思ってたけど、天道が助けてくれた。死ぬしかなかった運命を全部ひっくり返してくれた」


 燕が指先をひょいと伸ばして、俺の髪を軽くくすぐった。


「ありがとね、天道」


 あんまりまっすぐに感謝されて、俺はなんて答えたらいいかわからなかった。

 燕の首筋に視線をやる。


「……お前の呪紋も、早く解呪しなきゃな」


「うん? まあそうね。余裕ができたらでいいわよ。ナラティブには呪いを解くものも多いし、そのうちなんとかなるでしょ」


「俺が、早く解いてやりたいんだよ」


「……ありがと、期待してるわ」


 Tsubasaは、配信で見るほど幸せな生活をしてなかったのかもしれない。画面の先の華やかさなんて、まやかしみたいなもんだ。


 俺は、燕がこの世界に来てよかったと思えるくらい、幸せになって欲しいと思った。

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