憎悪

「何だよ一体……」


 外から聞こえてきた凄まじい衝突音。起こり得る二つの事態を想像しながら、俺は急いで外へと出る。

 そしてまず目に入ったにはあちこちに煤をつけた黄泉坂クソ野郎の姿があった。


「は? お前、何してんだ?」


「…………黙れ」


 無様な姿を見られて苛立ったのか口調が荒い。しかし俺にはコイツを笑う余裕なんてものはなかった。

 湧いてくるのは疑問だけ。原作において最終決戦を除いて負け無しの力で無双していたコイツが苦戦する程の相手なんかがこの世に居るのか?

 

(いやマジで何があった? コイツをぶっ飛ばすなんて眷属クラスでもできないはずじゃ……)


 原作を当てにしすぎないように意識はしているが、敵の強さの参照にはしていた。それすらも超越してくる敵の存在など考えてもいなかった。

 だが、どうやらそのままでいられることは今日以降無いだろう。


「んだコイツ……」


 黄泉坂を見下ろしている視線を少しだけ上にあげる。

 そこに居たのは俺にとって全く未知の生物。黒い炎が全身で燃えている不気味な虫がそこに居た。


「アはハはハは。粋がっテタわりにはそンなモノか~。存外大シタことナカッタね?」


 喋る虫の怪物。感じる魔力も似通っている部分こそあれど、コイツがあの蜘蛛と同じだとは到底思えない。

 何もかもが違い過ぎる。体躯、魔力量、そして感じる全く未知の力。

 同じなのは一部の魔力と虫であるということくらいで、それ以外は次元が違い過ぎる。


 開かれた瞳孔の中の眼が俺に向けられる。


「アレ、アサヒくんじゃん。どうシてココに居るの?」


「は?」


 俺の名前を知っている……?

 俺に人外の知り合いは居ない。居るのは精々混ざりものくらいで、こんな不気味なモンスターなんて聞いてことも無い。


「どけ!」


「うおっ!?」


 戸惑っている中、立ち上がった黄泉坂が俺の身体を突き飛ばす。

 尻餅をついて倒れる俺を他所に奴は死神の鎌を振るう。


(死神の力を解放してる……? いや、してたのか。それであのザマなのか?)


 信じられない。あの怪物はあの存在に近しい強さだっていうのか?

 この世界に潜んでいる最も凶悪な存在、魔神。原作におけるに匹敵する強さだとでも?


「グァ…………!」


 戦いの余波が凄まじい。怪物が出現させた炎の鎌鼬が黄泉坂一人に向けられている。奴もどうにか捌いているが、このままではジリ貧だろう。


「……どうする?」


 背後から声がかかる。そこに居たのはセインだった。

 俺のサモンツブッシャーを持ち、真剣そのものな表情で語り掛けてくる。

 

 どうする、なんて最初から答えは決まってる。


「……やるに決まってんだろ」


「そう言うと思っていたよ。私の手を貸そう」


 今更ビビって逃げるような真似なんざできるか。

 どうにかしてあの怪物を止める!


「霊装!」《Show! Ray! ッヘェーイ!!》


 魔法陣を潜り抜け、俺はガイスターへと変貌する。

 黄泉坂を斬り刻まんとする刃の嵐。その矛先を反らさせるために何度も弾丸を撃ち込んでいく。


「何してんだお前。案外雑魚か!?」


「グゥ……」


 どうやら言葉を返す余裕もないらしい。それがこの怪物の攻撃の程を物語っている。


「アレれ? 何でアサヒくんが私のジャマするわけ?」


「だからっ、誰だよお前は!」


「ん? ……あア、そリャそうか。わタしヒナタだよ?」


「は?」


 もうこの場所に来て何度言ったかわからない擬音。

 しかし仕方がない。そうなることばかり起きているのだから。


「北風? ……お前が?」


 てっきり俺はあの吸血鬼が呼び出した蟲だと思っていた。喋ったのには驚いたが、グランキオだって喋るんだ。そういう個体が居てもおかしくないと思った。

 だがまさかコイツがファミリアだなんて。しかも北風だなんて。


「…………何でまたそんな気持ち悪い感じになってんだ?」


「アハハは、まあソうダヨね。大丈ブ、もう少ししたら元に戻ると思うから」


「……戻んのか?」


「ウン。……そこの死神ヲ食べタらネ!」


 怪物が大口を開け、膝をついている黄泉坂への牙を剥く。


「ふざけんな! 折角新たにした俺の気持ちを踏み躙んじゃねぇよ!!」


 鎧を形成するスライムの魔力を流し、足を尖った矛へと変形する。

 そしてそれを思い切り頬に突き刺した。


「アゥ!?」


「悪く思うなよこの沸騰女が!!」


 硬化した鋏で思い切り殴りつける。

 ガイスターになったところで膂力が大幅に上昇するわけじゃないが、それでもバランスを崩した巨体を転倒させるには十分だ。


「何で黄泉坂あのクソを狙う!? 何が目的だテメェ!」


「殺しタイの。だって魔族ミタイな力を持っテルから」


「……やっぱ偽物だなお前。北風ヒナタがそんなこと言うはずがねぇよ」


 だって昨日彼女は言ったから。

 皆を守ると。

『迷ってるうちに人が死ぬ。私が弱くても人が死ぬ。だから立ち向かうし、強くなりたいの。それが私の動く理由。……強くなれば、より多くの人を救えるから』。


 それが彼女の宣言。そこに嘘なんて無かったはずだ。

 本気で語っていたはずだ。


 原作でも同じことを言い、その勇敢さで多くの人間を救ったヒーロー。それが北風ヒナタという人間のはずで、あの対話から俺が話した彼女も全く同じ存在のはずだ。

 そんな奴が敵でもない人間を殺そうとするはずがない。ましてや、そんな不明瞭な理由で。

 だからあり得ない。やっぱりコイツは紛い物だ。


「……言ウよ?」


「あ?」


「言うよ。だって私、憎いもん」


 あれ? 俺は覆われた目を擦る。

 おかしい。目の前には居たのは虫の姿をした怪物のはずだ。


 どうして北風本人がここに居る?


「私さ、全部奪われたの。魔族が呼び出した魔竜に全部焼かれて無くしちゃったの」


「知ってるよ、だからお前は同じような人間を出したくないんだろ!? そのために強くなりたかったんだろ!?」


 俺の言葉に北風は微笑む。眉をひそめて、どこか虚しそうに肯定する。

 この感じを俺は知っている。


「そうだね。それはきっと嘘じゃない。それが私のモチベーションだったし、これからだって消えないと思う。だけど一番じゃないんだよ」


 世界が燃える。

 四方八方から炎が噴き上がり、俺の身体を焦がしていく。


「うごぉ……!」


「ずっと自覚してなかったんだ。昔さ、師匠に怒られたことがあって。暮らしてた施設の近くの喫茶店に立ち退きを要求してた質の悪い業者が居てさ。暴力に物言わせて迫ってたんだよね。どけって。酷いよね、相手はおばあちゃんだよ?」


「……それが?」


「私どうしても許せなくてさ。……燃やしちゃったよ」


 北風は表情を変えずに告げる。

 いや、違うな。瞳の奥には怨嗟の炎が燃えている。


「やりすぎだって怒られて、力の振るい方とか責任とか教えて貰ったし、正しいと思う。尊敬もしてる。けどさ、やっぱり思うよね。何で力に物を言わせて理不尽を振り回す奴を殺しちゃいけないんだって」


 この炎は自然と発生しているものだ。俺の身体を蝕んでいるのは、単に俺が近づいているから。

 憎悪はあっても殺意は無い。俺に向けられていない。

 だからわかる。コイツは、本物だ。


「だってさ。もしも家族がその辺の通り魔に殺されて、復讐しちゃいけないなんて言われてもさ。無理だよねそんなの。殺したいって思うよね? 許せないよね? これってさ、そんなにおかしな感情じゃないよね?」


「ああぁ…………っ!」


 暴風の如き熱波が俺の身体を吹き飛ばす。

 背中に響く鈍痛と焦げ付くような熱さが俺の意識を現実に引き戻す。


「……セイン、お前何して――」


「すまない、火を消すので手一杯だ!」


 近くにはセインが自身の魔法で周囲の消火を行っている。

 随分と規模の大きい魔法を使い、尚消しきれないらしい。


「ダから、正直ニなることにシタの。この憎悪に従ッテ、力を振りかざス理不尽ヲ更に上カら叩き潰ス。そレが私の力を求めル理由!」


 爆炎が爆ぜた。

 そこから生まれる火花でさえも、相当な威力。

 マズい。このままでは本当に、死ぬ!

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