主人公

 一体これは何の冗談だ。

 俺は目の前にある事実を飲み込めない。何もかもが俺にとって意味不明だった。


「グランキオなのか……?」


「おいおい、散々一緒に過ごしたのに忘れちまったのか? それともこの姿見てビビったか? 前々から俺は絶級だって言ってたろ?」


 俺の問にグランキオはいつもの調子を崩さずに答える。

 重厚な甲羅に巨大な鋏。どこを見ても威圧感しか感じないような規模のその姿から吐き出される軽薄な声はやっぱり俺が知っているものそのままで、だからこそ信じられない。

 あのぬいぐるみ程度のサイズと質感でしかなかった奴が、実はこんなのだったなんて信じたくとも信じられない。


「……君、知ってるの? あの怪物のこと……」


 呆然としている俺の横から雷女子が話しかけてくる。

 一斉に俺に視線が向けられる。彼らからすれば俺は敵の情報を持つ唯一の存在であり、俺の言葉を待ち焦がれているようだった。


 だがそれに答える余裕は俺には無い。ゆっくりと顔を抑えて、首を振るのが精一杯だ。


「そいつは知り合いだよ。それなりに付き合いもあった。ま、この姿を見せてやったのは初めてだけどな」


「……キミ、アレ、シュジン?」


「黒幕には見えないけど……」


「わからないよ。霊獣に利用されていたって線もあり得る。……召霊術師が霊獣をコントロールできずに殺されるなんて話はよくあることだ」


 緑色の髪の女子が尋ね、その他の生徒が思案を巡らせている。

 何とも言えない居心地の悪さが充満していく。

 内部からはひたすらに疑問が、外部からは生温い拒絶の意思が、俺を蝕んで止まらない。


 このまま黙っていればマズい事態になる。

 俺が口を動かしたのはその予感があったからだ。


「……召喚したのは、事実だ。七年前に師匠と一緒に……」


「え、そんな昔なの? 今が十五でしょ? だから、八歳の時にってこと?」


「懐かしいな」


 雷女子の問いに俺は頷く。

 グランキオもそれに同意した。


「ま、んなことどうでも良いだろ。お前等だって俺らの思い出話を聞きに来た訳じゃないだろ? ……さっさと始めようぜ」


「君の目的は?」


「この場に居る将来有望なクソガキ共の殲滅だ」


 そう言うや否や、グランキオは巨大な鋏を振りかぶる。


「あ、悪い。その前に一つやる事があったわ。……おいアサヒ」


「……――――――!?」


「まずはお前の確保からだったわ」


 悪いな。

 鼓膜を揺らしたのはそんな一言。


 その後、俺の意識は闇に沈んだ。



▪▪▪


 一人が連れて行かれた。

 グランキオと名乗った巨大な蟹の霊獣の能力だろうか。この場に残っている生徒達の間に緊張が走る。

 彼らは皆難関な試験を突破した、もしくは幼い頃から英才教育を受けてきた選りすぐりのエリート達。

 故に自らの実力には絶対的な自信を持っている。


 しかし目の前に存在する敵はそんな自分達の力を結集しても勝てるビジョンが見えないほどに強大な敵だと、聡明な彼らは悟ってしまった。

 それも無理からぬことだ。霊獣などの召喚獣には魔法と同じように階級分けがなされている。その評価基準はもしも敵に回った場合にどれほどの脅威となるか。

 そして絶級は万が一制御下を離れて敵対した場合、単独で大都市を滅ぼせるだけの力を有していると言われている。

 

 加えて大量の悪霊達。この状況に冷汗を流し、逃亡の選択肢が脳裏に過るのは情けないことでも何でも無く、至極普通のことだ。


「駄目。そんなのありえないでしょ」


 だがその選択肢をかなぐり捨てる者も確かに存在していた。

 私達は将来、この国の安寧を託されることになる魔導士の卵。であれば敵を目の前にして逃げる訳にはいかない。

 プライド、自己顕示、過去から発せられる業など突き詰めた先は様々だが、それらは全てその考えに覆われている。


「大宮の次期当主として敵に背を見せるつもりは無いね」


「コイツラ、トオス、学園、ヤバイ」


「それに、もしも私がコイツを倒したら学園でのヒーローだよね! いよっし頑張るぞー!」


 大きく前に出たのは北風ヒナタ、大宮マノ。

 続いて緑髪のカタコト少女、毒島ぶすじまヒスイと青髪の龍薔薇たつばらチグサがそれに続く。


「んじゃ、私達は増援を呼びに行きますか。分の悪い賭けはしない主義なんでね」


「流石にここで全員でかかるのは馬鹿で確定。最低二人は呼びに行く人が必要で確定」


 赤髪の少女ととんがり帽子を深く被った少女は背を向けて走り出そうとする。

 しかしその動きは一瞬にして止まった。


「んなっ!?」


「これは……ぁ……」


「おいおい、勘弁してくれ。お前らをここで足止めもしくは始末するのが俺の仕事だ。どっか行かれちゃ困る」


「動けないで確、定……」


 それがグランキオの能力だと気がついた時にはもう遅く。

 二人は一瞬にして地に伏せた。


「え、今何が起きたの!?」


「魂を抜かれたんだろう」


「へ? あ、君確かEランクの……」


 口を開いたのは黄泉坂グリム。

 彼は自身の腰の日本刀を抜き、刃に自身の顔を反射させた。


「どうやらコイツは魂と肉体を切り離す能力を持っているらしい。周りを良く見てみろ。そこら中に鋏がある」


「……見えない」


 グリム以外の生徒達は困惑したように眼球を泳がせる。そんな中彼だけが何も問題無いと言わんばかりに戦闘態勢に入る。


「お前達はそこの悪霊共を片付けておいてくれ。この化け物は俺が調理してやる」


「……どうやらやる気らしいな。良いぜ、受けてやると言いたいところだが」


 グリムから湧き上がる魔力を見て、グランキオは目を細める。

 その瞳に映るのは余りに膨大な魔力。下手をすれば、今まで見てきた人間の中で一番かもしれない。


(成程、ウィズから『死鎌』呼びされるだけはある訳か……)


 心の中で納得し、グランキオはゆっくりと自身の口角を上げた。

 この流れは想定通り。元々、グランキオの最優先足止め対象はなのだから。


「その前に勇敢なお前に免じて一つだけ教えといてやろう。死霊共が群れてんのはここだけじゃねぇぞ。他のステージ含めた校舎全体で暴れてる。俺以外にも数体絶級クラスの霊獣が召喚されてるからな」


「えぇ!?」


「俺らの本当の主の目的が達成されるまで残り一時間も無い。急げよクソガキ」


 グランキオが自身の鋏と空間に漂う不可視の鋏を集中させる。自分が対処すべきはこの男だけで良い。

 残る者達も優秀ではあるが、グランキオにとっては烏合に等しい。


「……そうか。ならこちらも手加減無しで行かせて貰おう」


「はっ! 来いよ!」


 刀身が黒く染まり、巨大な鋏と激突した。


(うおおおお! なんだこれ、気持ち悪ぃー!)


 グランキオを襲ったのは自分がどこか知らない場所に吸い込まれてしまうのではないかという錯覚。

 まるで底なし沼に鋏を入れてしまったかのような不快な感触があった。

 だがそれでも思い切り鋏を振り抜き、グリムの身体を吹き飛ばす。


「どうした? 手加減しないんじゃなかったのか?」


「ああ勿論だ。だがまずはそこらの邪魔なものを消しておこうと思ってな」


「あん? ……マジ?」


 グランキオは気がついた。自身の周囲にあったはずの不可視の鋏が全て無くなっていることに。


「さて、終わらせようか」


 一瞬にも満たない刹那の間に、あれら全てを消し去ったというのか。

 いや、それ自体は不思議じゃない。使用したであろう『能力』を考えれば寧ろ打倒。

 真に驚愕すべきは魔法を放つ速度と展開力。


 たった一人の人間に全力を注げと言われたことの意味を、グランキオは今ようやく理解した。


 目の前に居る若干十五歳の姿をした人間は史上稀に見る怪物だ。

 

(バックにとんでもねぇの憑いてるし、こりゃ俺ここで死ぬな)


 悟った瞬間に思い浮かべるのは茫然とただ立っていた馬鹿の顔。

 自身が完全に消え去るまでの時間を考えながら、グランキオは再び鋏を振るった。

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