第5話 世界で一番可愛い弾丸

 そんな調子で教室に入った俺たちを出迎える視線は、当然のように厳しいものだった。

 男子からは妬みと恨みを、女子からは疑念と嫌悪をそれぞれミキサーにかけてぶちまけたような目が、俺の背中を突き刺す。


「おっはよー諸君!」


 そんな中でも千歌は一切ブレることなく、俺の左腕に自分の右腕を絡めたまま、いつもの調子で挨拶をしている。

 見上げた根性だ。俺なんか今すぐ隅っこの方で暮らしたい気分だというのに。


「お、おはよう鏑木さん……」


 声がしたのは、俺が沈黙に紛れて自席である窓際の一番端っこまで逃げ出そうとしたときだった。


 確か安藤だったか遠藤だったか、そんな名字の男子生徒が、わなわなと右手を振るわせながら眼鏡のツルに人差し指をかけてぼそりと呟く。


 多分、というか絶対にこれは俺絡みの話だ。

 十中八九面倒ごとの気配しかしないから今のうちに退散しようとしたら、千歌は逃がすか、とばかりに左腕をホールドしてきた。

 お前そういうとこは察しがいいよな。俺がわかりやすすぎるだけかもしれないけど。


「えーっと、新堂君だっけ? なんか用?」


 新堂だったか。

 まあ別に無堂だろうと藤堂だろうと平等院鳳凰堂だろうとなんでもいいんだけどさ。


「そ、その……土方との件、本気なのか!?」


 目をかっ、と見開いて、新堂は震える指先でメガネをかたかたと揺らしながら詰め寄ってくる。

 もしも彼にサイコキネシスとかが使えたら、俺が跡形もなく消し飛んでそうなぐらい凄まじい眼力だった。


「んー、本気と書いてマジ、かな」

「ま、マジかよ……」

「マジマジ、大マジ」


 ふむふむ、と小さく頷きながら遠慮の欠片もない答えを返す千歌の図太さには相変わらず恐れ入るけど、そのうち夜道で刺されないかどうかが心配でならない。


 そのときは間違いなく俺も巻き込まれそうなのが実に最悪なところだけどな。

 というかターゲットになる確率はこっちの方が大きいかもしれない。割と真剣に身の危険を考えた方がいいんだろうか。


 愕然と、膝から崩れ落ちていく新堂ももしかしたら、「クラスで三番目に可愛い」千歌相手だったらワンチャンあると密かに思っていたのだろうか。


 実際仕方のないところではある。

 千歌は割と誰にでも優しいし、誰にでも胸襟を開いてはきはきと話すタイプだ。

 人から好意を向けられ慣れてない高校一年生なら、自分のことが好きなのかと勘違いするのもやむなしなのだ。


 中学の頃だって、男子から結構告白されてたからな。

 クラスの全員にバレンタインチョコを配る天使とかいわれてたことをふと思い出す。配られてたのは市販の十円チョコだったけどな。


 そんな他愛もないことを頭の片隅で思い描いていたら、新堂の視線が今度は俺に突き刺さる。


「な、なあ! 土方! お前なにやったんだ!? なにをどうしたら鏑木さんと付き合えるんだ!?」


 頼む、代わってくれとでも言いたげに、ブレザーの裾を掴んで新堂が俺に縋りつく。

 やめろ、服の裾が伸びるだろうが。


 なにをどうやってもなにも、俺と千歌はまだただの幼馴染でしかないんだよなあ。

 と、返したところで逆ギレされるのは目に見えて明らかだ。


 千歌は少なくとも、遊びで言っているわけじゃない。本気かどうかはまだ俺にもわからないけど、それが嘘じゃないことは長年の付き合いもあってすぐにわかった。


「どうやってって言われてもな……」

「鏑木さんはあのとき確かに、僕に微笑みかけてくれたはずなんだぞ! なんでお前なんだ!」


 知らねえよ。

 なんで俺なのかは俺が知りたい。

 ついでに微笑みかけてくれたとかくれてないとかそんな事情も管轄外だ。


「んー、ごめんね新堂君? でもさ私、恋ってそういうものだと思うんだ」

「お前が挟まると事態がややこしくなるから黙っててくれないか、千歌」


 フォローを入れると見せかけて死体蹴りをするのはやめろ。

 屈伸煽りやシャゲダンと同じレベルだぞ。いやそれよりひどいか。


「えー? でもさぁ、これ私と空の問題だよ? いわば二人の共同責任といっても過言じゃないって」

「俺を巻き込……いやそれはそうだな……」


 反射的に俺を巻き込むな、と口に出しかけたけど、今回ばかりは千歌の言う通りだ。

 例えそれが三ヶ月間の仮初の契約だとしても、まだ正式に恋人同士になったわけじゃなくとも。

 選ばれなかった人間に対して選ばれた側が取る責任から逃げちゃいけない。


「くっ……なら証拠を見せてくれないか! 鏑木さんが、土方のことを好きだって証拠を!」


 めんどくせえなこいつ。

 それですっぱり諦めてくれるんならそれでいいや、と、視線で促す。

 どこまで意図を汲み取ってくれたかはわからないけど、千歌はうん、と小さく頷くと、朝やったように俺の二の腕に自慢のFカップを押し付けて、ピースサインを作ってみせる。


「皆、聞いて! 私と空は今はまだ恋人同士じゃないかもしれないけどさ、必ずこいつに私は『世界で一番可愛い』って言わせてみせる! そんぐらい本気!」


 そして、よく通る声でクラス中にそんなことを宣いやがったのであった。

 事実上、片想いしていたやつらを片っ端から殲滅する戦略兵器をぶっ放したようなものだ。

 その蛮行に男子たちは肩を落とし、女子たちは疑念を深め、俺は更なる針の筵に立たされることが確定した。


 今頃ダイスの女神様は天上でワイングラスをぐるぐると回しながら、大口を開けて笑っているに違いあるまい。


 ざわざわと喧騒に包まれた教室の意見は概ね二分されていた。


 一つは俺に対する怨嗟の声。もう一つは千歌の正気を疑う声。


 俺が恨まれるのはもう確定事項だから仕方ないとしても、千歌が様子のおかしい人扱いされてるのには少しだけむっとくるけど……「クラスで三番目に可愛い女の子」がわざわざ非モテを選んでくっつこうとしてるのは、女子たちからすれば信じられないんだろうな。


 そこはもう、納得こそできなくても価値観の違いとして割り切る他にない。

 実際俺だって、なんで自分がこんなに千歌から好かれてるのかよくわかっていないんだから。


「もう逃げられないぞ、空ぁ」


 すっ、と目を細めて、千歌は妖艶に笑う。

 リップグロスが引かれた薄い唇に当てた人差し指へと、まるで拳銃にキスをするように口づけを落としながら。

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