第2話 運命の契約

 千歌との出会いは別に運命的なものでもなんでもなく、生まれた頃から家が隣同士だったというだけの話だった。


 あいつが遠慮の二文字を辞書から消し去っているのは昔からの付き合いがあるから、というところもあり得るのだろうが、千歌に限っていえば、昔からあんな感じだったから困る。


 雪合戦では氷玉を投げつけてくるし、ハロウィンのいたずらと称して俺の靴紐を左右両方とも固結びにしやがったことだってある、筋金入りのいたずら娘だ。


 なんだかんだで高校に入るまでも入ってからも同じクラスにいる程度には腐れ縁があって、男子たち曰く「クラスで三番目に可愛い」といわれるほど顔立ちだって整っている、そんな女。


 それが俺の知る鏑木千歌の全てだった。

 だから、今回の言葉だって俺をからかってるんだろう……とは思ったさ、正直なところな。

 でも、からかうつもりなら千歌はもっと皮肉ぶったことを言う。


 少なくとも、「自分で妥協するか?」なんて問いかけを冗談でしてくるような女じゃない、というのは長年の付き合いでわかっていた。


 だったら、どうして。

 俺を憐れんで? まさか。

 それとも俺のことが本気で? 余計にありえん。


 がやがやと教室がざわめく中で、そんな台詞を恥ずかしげもなく言ってのけた当人は大きく張り出した胸を支えるように腕を組んで、俺の机に尻を乗せていた。


「シンプルに聞いていいか」

「別にシンプルじゃなくてもいいよ?」

「じゃあシンプルに聞く、なんでだ」


 なんで俺なのか。

 なんでこのタイミングなのか。

 なんでそんなことを言ったのか。


 それら全てをひっくるめて、千歌へと問う。

 俺の言葉に、千歌はその薄い唇に人差し指を当てたまま、小首を傾げて考え込むような仕草を見せる。


 よくよく見なくてもこいつ、顔面偏差値はマジで高いんだよなあ。

 そう考えると、願ったり叶ったりってことにはなるのかもしれない。

 俺は彼女がほしい。千歌はフラれた俺に自分で妥協してほしい。


 一見Win-Winに見えるこの誘いだけど、世の中っていうのはそうそう甘くない。


 そう、俺が水上さんにワンチャンあると思って告白したら玉砕したように、自分にとって都合のいい解釈っていうのは必ずどこかに穴が空いているんだ。

 それに、俺のことを千歌が本気で好きだったら、もうとっくに告白されてるだろうしな。

 中学の卒業式なりバレンタインデーなり、そういうチャンスはいくらでもあった。


 それを今更このタイミングでぶつけてくるか?

 俺の感覚がおかしいだけで、女子からすれば失恋直後というのは狙い目だったりするのか?

 恋愛なんもわからん。わかるのはただ、俺の生殺与奪の権は今、千歌の掌の上にあるということだけだった。


「んー、急に話されても意味わかんないか」

「いや要件はわかる、意図がわからないって言ってるんだよ」

「じゃあさじゃあさ、お試し期間、ってのはどう?」

「人の話を聞けよ」

「彼女ほしいんでしょ?」

「それは……」


 正論だ。

 俺は確かに彼女がほしい。そのつもりで水上さんに告白した。

 できることなら美少女と付き合いたい、っていうのはある種、男の……といったら主語がデカいけど、俺の夢ではある。


 そういう意味じゃ、千歌の方から付き合ってくれると言っているんだから承諾しない理由なんてどこにもないはずなんだ。

 はずなんだけど、さ。

 問題はこう……幼馴染を恋愛の対象として見られるか?


 その一点なんだよ。

 千歌と俺は幼馴染でしかない。


 家が隣同士なだけで、幼稚園からこの高校に入るまでずっと同じクラスだった腐れ縁があるだけで、そこに男女関係的な意味の好意が挟まる余地はどこにもなかったはずなんだ。


 なのに、今になって突然、なんの脈絡もなく、要約するなら「私と付き合わない?」という話を持ちかけてきたんだぞ。


 混乱するなって方が無理がある。

 据え膳食わぬはなんとやらというけどさ、これが俺のためにあつらえられた据え膳なのか、それとも毒が入ったトラップなのかもわからないし、知りようがないんだよ。


 ざわざわと、教室が喧騒に包まれていく。

 中には千歌に「あんなのやめときなよ」と忠告する女子まで現れ始めたけど、本人はのらりくらりとどこ吹く風だ。


 美少女と付き合いたいなーとか、なんの脈絡もなく深夜に炒飯作りにきてくれるような美少女が俺にもいてくれたらなーとか、それは当然思ってたさ。


 でも、そこに幼馴染の三文字が追加されると途端に恋愛的な意味合いが崩壊していくんだよな。

 ああだこうだといってはいるけど、要するに、だ。

 彼女は喉から手が出るほどほしいけど、俺が千歌を恋愛対象として見られないって話なんだよ。どんなに美少女だろうと、「クラスで三番目に可愛い」といわれてようとだよ。


「今の空がなに考えてるか、この千歌ちゃんが当ててしんぜよう」


 そんな具合に頭を抱えていると、千歌はずい、と顔を寄せてきて、俺の瞳を覗き込みながら不敵に笑う。


「やれるもんならやってみろよ」

「私は美少女だけど恋愛対象に入ってない! そうでしょ?」


 驚いた。

 なんだこいつ、急にニュータイプにでも目覚めたのか。


 それとも、俺がよっぽどわかりやすい表情でもしてたんだろうか。自分を美少女と言ってのける自信の源がどこからくるのかはさておくとして、発言の中身自体は大当たりだよちくしょう。


「その顔は図星ってとこだなー? こんな美少女つかまえて恋愛対象に入らないとかさ、空は贅沢すぎでしょ」

「いや、それはだな」

「私が幼馴染だから、でしょ? だからお試し期間。条件付きだけど、ちょっとだけそういう気分を味わってみるのも悪くないぜー?」


 私は優良物件だからね、と、千歌は大きく張り出した胸をさらに張ってふんす、と息をつく。

 いやまあ、言われてみればその通りなんだよな。

 納得はできなくても理解はできる。今持ちかけられているのが、破格の取引だってことは。


「条件って、なんだよ?」

「そうだなぁ……空は私を恋愛対象として見られないんでしょ?」

「……正直な」

「だから、今から三ヶ月……空が私を世界で一番可愛いって一回でも思ったら空の負け。私を彼女にしてもらうよ! 逆に空がこの三ヶ月で私が世界で一番可愛いって一度も思わなかったら空の勝ち、私は素直に身を引くよ、どう?」


 にっ、と不敵な笑みを浮かべて千歌が問う。

 勝ち負けが逆な気もするけど、まあ俺がそもそも千歌を恋愛対象として見られてないんだから妥当といえば妥当か。


「わかった。その賭け、受けてみる」

「ひゃっほーい! 取引成立だね! それじゃあ今日から三ヶ月……よろしくね、彼氏君?」


 まだ彼氏じゃねえだろ。

 そう突っ込む気力は、もう残されていなかった。

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