016:山賊のアジトにて

 ウィボボンスキの森は人里から離れた魔物の領域である。

 魔物が当たり前に徘徊するその森は人間が近寄るには危険な場所であり、人間は誰も近づこうとはしない。


 それは領土内から選りすぐりの腕自慢たちが集まった帝国騎士ですら同じである。


 しかしながら、それはただの恐怖心が理由ではない。


 人類と魔族の戦いが激化する戦争時代の中で、今はその戦いの時代の真ん中にポッカリと開いた穴のような、そんな静かな時間が流れている。


 かつて魔王軍の進撃により他国が次々と滅ぼされて魔族の領地が広がっていく中、帝国だけはその強大な軍事力でそれを凌ぎ続けた。

 帝国騎士と魔王軍の戦いは熾烈を極めたが、その結末は痛み分けのような形で中断されて終わっている。


 帝国の切り札である先代の勇者達は魔王に敗れたが、しかし魔王にも大きな傷を負わせたと言われている。


 そして互いに大くの戦力を失った帝国騎士たちと魔王軍は、お互いが相手を倒すための戦力を整えるため……一時的に疑似的な休戦状態となったのだ。


 それが今、この世界のこの時代である。

 人類も魔族も、互いに来たるべき大きな戦いの時に備えているのだ。


 今はまだ帝国の戦力はまだ十分でない。

 故に、できる限り魔物を刺激したくないのだった。


 もっとも、勇者召喚の儀式に成功した今となっては帝国のその本意は国王を含めた大幹部にしか分からないのだが……。


 そしてそんな時代でも、魔物を愛でる人間というものが存在する。


 人々の間では、魔物とは「野生の動物が大きな魔力に触れて変異したモノが繁殖し、それがさらに交配して繁殖したモノ」だと考えられている。

 その凶暴さや殺傷能力の高さから、それまでの動物とは全くの別物と考え「動物の中でも特に危険な生き物」と魔物を定義する者もいるが、一方で「凶暴だが動物と大きな違いはない」と考える者もいた。


 魔物でなくとも危険な生き物などいくらでもいる、という主張である。


 そうした様々な考え方の中の一つとして「動物を愛でるように魔物を愛でる人間」という者が存在するワケだ。


 危険なモノほど高値で取引されるのが商売の世界では常である。

 魔物の領域に踏み込む事にはそれなりの価値があったのだ。


「代理、戻りましたぜ。今日は良い獲物が見つかりましたよ」


 盗賊ギルド『黒犬シュヴァルツハウンド』は、ウィボボンスキの森を狩場とする山賊団だ。

 新進気鋭のギルドだが、獣人の捕獲、密売によって急成長を遂げていて、今では闇ギルドの間で古参の大手ギルドからも注目されているほどだった。


「ほう、見せてみろ」


 代理と呼ばれた男は、小さな山小屋には似つかない高級そうなソファに腰かけていた。

 狩りから戻ったばかりの若い山賊が連れて来たのは幼い獣人の娘だった。


「ほう、良い面してるじゃねえか。体も悪くない」


 獣人は目隠しと口布で拘束されているが、それでも顔の造形が整っている事はわかった。


 代理は獣人の衣服を強引に破り捨てた。

 褐色の肌が外気にさらされてビクンと震えた。


 その体を、舐めるような視線でじっくりと観察する。

 

 さすがは獣人とでも言うべきか、その身体つきは引き締まっていた。

 無駄な贅肉がなく、肌にも張りがある。

 胸は控えめだが、この背丈ならそれがむしろプラスの要素になるかも知れない。


「ふっ、むぐぅ……!」


 胸の形を確かめるように掴むと、口布ごしに声が漏れた。

 それは悲鳴なのか、嗚咽なのか。


 代理にとってはどうでも良い事だ。


 感度は悪くないらしい。

 弾力だけでなく柔らかさもしっかりとある。


「ふむ……」


 代理は獣人の耳と尾の形状からこの少女が猫科の獣人だろうと推測し、それを踏まえて脳内で相場価格を試算する。


 黒犬の得意先は主に愛玩目的の客だ。

 幼い獣人は供給が追い付かないくらいに需要がある。


「見た目が良いからな。得意先ヘンタイどもに受けそうだ」

 

 傷もほとんどなく、かなり高品質だと言える。

 これなら高値が期待できそうだ。


「よし、こいつは上級品だ」


 代理はそのまま獣人の手枷以外の拘束を解いた。


「ひっ……!!」


 視界に現れた山賊達の姿に怯える獣人に、代理は意外にも優しく声をかける。


「心配すんな。乱暴にはしない。素直に言う事を聞いてくれれば……な?」


「は、はひ……」


 言う事を聞いた先にどんな結末が待つのか、想像できないワケではなかった。

 ただ、今ここで山賊たちに歯向かった所でどうしようもない事も理解できていた。


「よし、良い子だ。ボボタ、洗ってやれ。いっとくが、なんてすんじゃねーぞ? アメ細工みたいに丁寧に扱うんだ。わかってるな?」


「だ、代理! お、おれ、さ、さ、さきっちょ、さきっちょだけだから!」


「バーカ、それがダメだっつーの。ったく、次の案件ヤマが終わったら、また別のヤツ探してやっからよ」


「わ、わかった! よし、オマエ、こっちこい!」


「は、はい……」


 大人しく風呂場に付いていくのを見て、一息つく。

 若手が一人、念のためにその様子を監視しに行ってくれた。

 気が利く奴だ。


 ボボタは戦闘要員としては役に立つが、商品にすぐ手を出そうとするのが玉に傷だった。

 黒犬が上物しか狙わないせいもあるのだろうが、ボスもその制御には手を焼いている。

 そのくせに洗浄や着付けなど、品の手入れは巨大な図体に似合わず得意だったりするから役には立つ。


「ったく……それにしても兄貴たち、おせーな」


 山賊団のボスである代理の兄が直々に獲物を狩りに出てからもう数日が経つ。


「何かあったのか……?」


 帝国騎士にも匹敵する剣の腕を持つボスが、魔物とはいえ平和ボケしたウィボボンスキの森の魔物相手に返り討ちにあうとは思えなかった。


「けど、なんか嫌な予感がするなぁ……なーんか、放っておけねぇ気分なんだよなぁー」


 様子を見に行った方が良いかも知れない。

 万が一、という事はいつだって起こり得る。


 そう思い、代理が剣を取った所だった。


「だ、代理! 大変です!」


 一人の少年が駆け込んできた。


「……どうした?」


 少年の鬼気迫る表情に、代理は嫌な予感を感じ取った。


 まさか、まさか、まさか。

 いや、あの兄貴に限って、そんな事があるワケが……。


「ボ、ボスがやられました! 他のみんなも、一瞬で……!」


 ウィボボンスキの森の外れにある小さな山小屋が黒犬のアジトだ。

 その小屋に、男の慟哭が響いた。


 また一つ、争いの火種が煙を上げ始めていた。

 後にヘーンドランドを飲み込む大きな戦火となる、小さな火種の一つが。

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