第25話「てがかり」

「いい加減に、素直になれよ……お前は俺のことを、会った頃から好きなんだから」


 この前に、アメデオが言っていたわよね……男は一度自分のことを好きだった女性は、ずっと自分のことを好きだと思っているからと。


 思わず眉が寄る。そんな訳……あるはずがないでしょう。


 まだ、再会する前なら、今は自分は幸せだから婚約破棄のことは、どうでも良いわよと言えたかしら?


 こんな……自分のすべて否定されるようなことをされてしまった、この段階で、まだショーンを好きだと言える女性が、世界のどこかには居たりするのかしら?


「好きではないわ。ショーン。私が好きなのは、現在の夫ジョサイア・モーベットよ。貴方のことは好きでも嫌いでもないわ。けど、私が居ない所で、どうか幸せに暮らして欲しいと思う」


 静かに淡々と言った私に対し、ショーンは視線を向け面白くなさそうな顔をした。


「あ? ふん。良い気になりやがって。結婚したとは聞いているが、お前……全く色気がない。お前は好きだとしても、向こうには愛されてないんじゃないか?」


 にやにやとした、嫌な笑み。


 ああ。そういえば、夜会の時にアルベルト様にも言われたわね……新婚夫婦って、もっと甘い空気で色気ある様子なのかしら?


 蜜月に新郎が多忙過ぎるという、邪魔をされたりもしたもの。あれは……確かに、ジョサイアにも非があったと思う。オフィーリア様が怒って当たり前だわ。


 私たち夫婦の間には、良くわからない誤解があり、ついこの間まですれ違っていたけど、もうそれは解決済なのだ。


 それに対し無関係な他人が何か口だしをする権利なんて、あるはずもないのに。


「愛されているわよ。私のことが好きだから、結婚したいって言ってくれたんだから!」


 興奮して言い返した私を見て、ショーンは鼻を鳴らし、馬鹿にしたように笑った。


「だから、お前は馬鹿なんだ! ちょっと好きだと言われて、良い気になって……お前なんか、モーベット侯爵に好かれている訳がない!」


 これって、単に私を傷つけることしか考えていない暴言よね。あきれた。二人の内情なんて、自分が知るはずもないのに、どうしてこうも自信満々なの。


 そういえば、ショーンは良く自分の常識を世間の常識みたいに、言っていたわよね。今思うと、何の根拠のがあった、言い切りなのかしら。


 ショーンに考えがあるように、この私にも考えはあるのに。


「ショーン。何を誤解しているのか知らないけど、私は夫から昼も夜も求められて大変よ!」


「……は?」


 ぽかんとした間抜けな表情のショーンを見て、なんでこんな決めつけの激しい性格の悪い人が好きだったのか……自分でも、なんだか不思議だった。


 幼い頃からずーっと一緒に居たし、将来的に結婚すると思っていたから、出来るだけ良く思いたかったのかもしれない。


 けど、私はこれで、確信した。


 ショーンはおそらく……ジョサイアが激務で家に帰れていない話を聞いて、別に何の証拠もない。なんとなく思いつきで言っていただけ。


 それに、久しぶりに会った私が以前と変わらない様子だったのも、彼の勘違いに拍車をかけたんでしょうね。


「あら……何か、おかしいかしら? 私たち、この前に結婚したばかりの新婚夫婦なのよ。私はジョサイアの子どもを、既に妊娠しているかもしれないわ……これから私を連れて逃げても、産まれる子が金髪碧眼である可能性は、とても高いと思うの」


「なんだよ……嘘つくな」


 私が淡々として、ショーンは顔を青くしてたじたじになっているのを見て、私は半目になった。


 行き当たりばったりの行動しかなしないお馬鹿さんなのに、私が王家の血を引くモーベット侯爵の子どもを身ごもっていると聞いて、ようやく事の大きさが理解出来たのかしら?


 まあ、彼の予想通りに私たち夫婦はまだ、子どもの出来るようなことはしていないんだけど。


「嘘をついているのは、そっちでしょう! 私が何も言わずに、いつまでも我慢していると思ったら、大間違いよ! 王都に私を帰しなさい。いいえ。ここに置いて行ってくれたとしても、構わないわ。貴方と一緒に居るなんて、暗い夜の森に取り残された方が、まだましだから」


「レニエラ……お前」


「ねえ。私は貴方の自尊心を保つための、何も言わないお人形でもなんでもないのよ。ショーン。私たちは無関係で他人なの……貴方が婚約破棄をしてくれた、あの夜からね」


 ショーンは気に入らないのか、目の前の私を睨み付けるばかりで、馬車の中はやけにしんとしていた。私に口答えされて、さぞ苛々していることと思う。


 ここは、オフィーリア様の言葉を借りようと思う。「けど、それって、私には関係ないもの」不機嫌を盾に言うことを聞かせようだなんて、今時の幼い子どもの方がしっかりしているわよ。


 私はそこで、違和感に気がついた。


 ……あら? 揺れてもいないし、轍の音もしないわ。


「それでは、僕の隣はいかがですか?」


 私はいきなり聞こえたその声を聞いて、そちらへ視線を向けた。


「ジョサイア! 来てくれたのね!」


 信じられないけど、そこに居たのは、私がショーンの馬車に乗り込んだことなど知るはずもないジョサイアだった。


 仕事場からそのまま来たのか、登城用の貴族服だったけど、いつも通りに素敵な夫だった。


「ええ……会話が白熱していたので、なかなか口を挟むことが出来ず……失礼しました」


 扉から身体を乗り出したジョサイアの後ろには、何人かわからないけど物々しく武装した様子の兵士たち。私は彼らがここに居る理由がわからずに、首を捻るしかない。


「え。ジョサイア……どこから、聞いていたの?」


 まさか、あの話は聞かれていないわよね? と私が確認すると、ジョサイアは苦笑して言った。


「まさか、婚約破棄の真相があれだとは……心底呆れ果てています。同じような国に生まれ同じような教育を受けた同じ年の同性であるとは、とても思いたくないです。恥ずかしくて」


 それでは……あれも、もちろん。聞いていたわよね。


「ごめんなさい。私……」


 無実の本人を前にして、なんてふしだらなことを言ってしまったのかと、顔を赤くしたけど、ジョサイアは首をゆるく横に振った。


「構いません……本当のことですからね」


 ジョサイアは降りようとした私を引き寄せると、馬車の中で顔面蒼白になっていたショーンを一瞥した。


「捕らえろ。王都まで、殺さずに連れ帰れ……僕の妻を誘拐した男だ」


「おい! おい……レニエラ! レニエラ……助けてくれ!」


 私はジョサイアに促されて、馬車を出た。


 何度か名前を呼んだ気がしたけど、後ろは振り返らなかった。近くには何台か馬車があって……よくわからないけど、周囲には柑橘系の香りもただよう。


 ……近くに自生している、果実でもあるのかしら?


 ショーンの婚約破棄から、一年経った今でも自分の何が悪かったのかと、何度も何度も考えることがあった。


 けれど、ショーン一人だけが悪い訳でもないし、彼から見れば私だって悪いところはあったはずだ。


 私はショーンに関して、自分が何を言っても話が通じないと諦めていた部分があった。本来なら、お互いに話し合うべきだったのかもしれない。


 結婚するのなら、見て見ぬふりで不利益を被るのは、自分のはずなのに。


 もしくは、オフィーリア様のように、自分に向かい合って話すように仕向けたり働きかけるとか……色々とやりようはあったはずだ。


 関係を繋ぎたいと考える、お互いの努力が足りなかっただけで、今思うとどちらも、そう悪くはなかったのだろう……私を誘拐するまではね。


「レニエラ。先に馬車へ乗ってください。とにかく、王都へと戻ります」


 短く私に告げたジョサイアは、物々しい騎士何人かが集まった辺りに、何かを指示しに戻ったようだった。


 ジョサイアが乗り込んだ途端に、馬車は走り出したからそういう指示をしていたのだろう。


「……ジョサイア。どうして、ここに私が居るとわかったの?」


 私が隣の席に座っていたジョサイアへそう聞くと、彼は意味ありげに微笑んだ。


「レニエラ。気が付かなかった? 過去の君が、間接的に君を助けたんだ……意図せずに、だけど」


「……どういうことなの?」


 彼の謎解きのような言葉の意味が、ますますわからない。


「今君の持っている農園は、果汁を出荷しているんだよね?」


 確かにその通りだったので、私は頷いた。


「え? ええ……果汁は酒造するために、卸すことになっているわ」


 私が商品化しようとしているのは、実が出来る前の花なのだけど、果皮からも香油が抽出出来るので果汁は、また別に売ることになっていた。


「そう。出荷予定だった果汁の樽は、荷馬車に詰め込まれ、出発寸前だった……君が攫われそうになったところを、農園を任せていた男性が見掛けてね」


「まあ! カルムだわ。もしかして、カルムが助けを呼んでくれたの?」


 そういえば、あの時のカルムは果汁の出荷作業で忙しそうだった。


「ああ。彼はとにかく君が乗った馬車の追跡を優先し、救助をよこしてもらうように知らせた。そして、積んでいた樽の中の果汁を、ところどころ道に撒いたんだ。そうすれば、香りが君の居場所を教えてくれる」


「すごい……そんな使い道があるなんて、知らなかったわ」


 あまりに思いもよらなかった果汁の使い道に私は微笑み、ジョサイアは苦笑しつつ頷いた。


「確かに柑橘の香りは、甘酸っぱくて良いね。冷たい空気の中で、よく香った。明日、道を行く人は驚くだろうね。僕にとっては誘拐された妻への道筋を教えてくれる……唯一の手がかりだった」



※本日より、新連載も始まっていますので、良かったらどうぞ!

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