第18話「出会い」

「ジョサイア……」


 私を好きになった理由を聞いたからと、この彼がこんな風になってしまうなんて、思ってもみなかった。


 だって、ジョサイアは王の側近で、宰相補佐をするくらい仕事の出来る人で、アメデオの言っていた通り、既に権力者の一人なのだろう。


 王の側近になるくらいだから、常に沈着冷静で仕事もとても出来ると聞くし、こんな風に顔を赤くして恥ずかしそうな姿を見られるのは、きっと私だけ。


 ジョサイアは少し目を泳がせてから息を吐き、意を決したようにして話し始めた。


「出会いとは言っても、完全に一方的で、レニエラは僕のことを見ていないです。実はアルベルトたちと、同年代の貴族の顔を覚えるためにと、お茶会の様子を見に行ったんです……そのお茶会にレニエラは婚約者と共に参加していたんですが、彼から髪をひっぱられたり、何か意地悪を言われていたようで、悲しそうな顔で泣きそうになっていました」


「え……そうなの?」


 社交が仕事の貴族の当たり前なので、元婚約者と共にお茶会なら何度も何度も参加した。あれのどれかを、ジョサイアに見られていたんだ。


 私と元婚約者の仲の悪さなら、本当に酷いものだった。そんなところを見られていたなんて、すごく恥ずかしい。


「その時のレニエラは、泣きそうになっていたし、人前だからと懸命に涙を堪えて我慢しているように見えました……すぐにでも傍に駆けつけたかったんですが、僕はその場に居ないはずの存在で、表に出ることは許されませんでした」


 これは、おそらく王太子の帝王学の学びのひとつなのかもしれない。彼はそんな風に直接交流することなく、臣下たる貴族たちの顔を幼い頃から見知って覚えているということなのかしら。


「それは……仕方ないと思います。ジョサイアはアルベルト様と共に居たから、彼の存在を暗示させてしまう。表に出られなかった理由は、理解出来ます」


 王太子は特別な存在で、未来に王となれば国を背負うことになる。だから、彼よりも年下の王子や王女たちとは違い、不用意に私たちの前で姿を見せなかった。


 王太子の彼は王族の中でも、特別な存在だったからだ。


「……そうです。アルベルトはいずれ王になる立場なので、同年代の集まりと言えど、そこで軽々しく馴れ合うようなことは許されません。側近と呼ばれる僕らも彼同様に、楽しそうに盛り上がる集まりに参加することを我慢をしていました。けれど、そんな君を初めて見た時から、僕はどんな時もレニエラが気になってしまって、仕方なかったんです。君の姿が見えないかと、自然と目がいつも探してしまうようになりました。また泣いていないか……気になって」


「あの……ここで私がなんて言えば良いか、わからないんですけど……そう言ってもらえて、すごく嬉しいです」


 結婚した夫が自分を見初めた話を聞くなんて、私の人生の中で起こるなんて思ってもみなかった。


「……良かった。嫌がられなくて、良かったです」


 ジョサイアにこんな風に告白されて、嫌がるような女の子なんて居るのかしら。思いつかないけど、世界は広いし懸命に探せば、どこかには存在しているかもしれない。


 ただ、私は違うけど。


「……あ。これも、聞きたかったです。オフィーリア様には、私のことが好きだと、自分から伝えたんですか?」


 ……もし、そうだとしたら、あまり良くはない。彼女と婚約している以上、好きな人が出来たのだとしても墓まで黙っておくべきだ。


「まさか! けど、僕がレニエラを、自然と目で追ってしまったところを、見られたかもしれないです。夜会に出席する際には、婚約者同伴ですし……彼女には誓って、レニエラについて彼女に何も言ってはいません」


 驚いた様子のジョサイアは、慌てて言ったけど……そうよね。オフィーリア様は聡い人だから、彼の目線の動きだけで誰を見ているのかわかってしまったんだろうと思う。


 複雑な気持ちには、なってしまう。これは全員どうしようもないことだけど、彼女に嫌な思いをさせてしまったことは、まぎれもなく確かだから。


「ジョサイアは……本当に、私のことが好きなんですね」


「……そうです。君以外、これまでに好きになったことはありません」


 そして、その時私はこれこそが、あの……初めての顔合わせ時に、ジョサイアが私に言いたかったことなのではないかと気がついた。


 私にどこから説明するか、こんなことを言ってしまえば、引かれたりしないだろうか……そんなことを悩んで考えていて、あの時のジョサイアは、なかなか私へ話が切り出せなかったんだ。


 え。待って。そんな彼に、私はなんて言ったの?


 嘘でしょう。この人、私のことをずっと好きで、やっと告白して結婚出来るって、そう思って話そうと思っていたのに。


 ……そうよ。私、あの時に、ジョサイアに、なんて言ったの?


「……あ。私、あなたに愛されたいなどと、望んでおりませんって……確か……」


 ジョサイアの状況を聞いただけで、何もかも早とちりをしてしまい、妙なことをしてしまった恥ずかしい記憶が呼び起こされて、なんだか穴があれば入りたいくらい、いたたまれなくなった。


「そうです。今から想いを告げようと思っていた女性から、そう宣言されて、頭が真っ白になって、ここで何をどう言えば良いか、わからなくなって……」


 ええ。それは、そうなりますよね!


「確かに、そうなってしまうと思うわ。あの時の私ったら……本当に、恥ずかしい。本当に、酷いことをしてしまって。ごめんなさい」


 え。その上で結婚式後に、落ち着いて話そうと、私への事情説明を再挑戦しようとしていたジョサイアにも、私……嘘でしょう。


 思い込みの激しい自分が、どれだけ彼が歩み寄ろうとしていても、すべての頑張りを無にしていたかを知り、くらりと目眩がしそうになった。


「僕も流石に、一年後には、君にわかってもらえると思いました。僕とはまだ話す気のないレニエラにも、それまでには、話す機会もどこかにあるだろうと……僕は君が強がっているのは、わかっていました」


 彼もあの時のことを思い出したのか、ジョサイアは苦笑してそう言ったけど、もし好きな人と結婚出来たのに……一年後に離婚しましょうと、提案されたら?


 すごく嫌だわ。信じられない。全部、私がしたことだけど。


「辛かったと思います。ごめんなさい……けど、私はジョサイアのことを、嫌いだったから、あれを言った訳ではないです。傷ついてしまった貴方には、本当に好きな人と幸せになって欲しくて……だから」


「僕はそうするつもりです。レニエラ」


 私の目を真っ直ぐに見つめる、清水の川のような水色の瞳。あの時も、彼はそう私に言ったはずだ。


 貴方には好きな人と幸せになって欲しいと、そう言った私に。


「ジョサイア……私。貴方を好きになることが、怖かったの。誰かを好きになっても、好きになって貰えなければ、辛いだけだもの。だから、私……」


 だから、先回りして、私に好意的な言葉を使いそうなジョサイアから、逃げていた。


 ……だって、もう絶対に、傷つきたくなかったから。


「彼のことが、本当は、好きだったんですね」


 ジョサイアに何度目か……また、それを確認するように言われ、私はその時に、やっと好きだったんだと、自分でも認めることが出来た。


 静かに頷いた私の目から、涙がこぼれて止まらなかった。


 あの人のことが、好きだった。だから、いつも辛かったし、嫌だった。


 好きだったから、髪を引っ張られるのも、お気に入りのドレスを貶されるのも、嫌だった。出来たら優しくして、褒めて欲しかった。けど、そうしては貰えなくて、いつも泣きそうになって……。


「……そうです。私はあの人のことが、好きで……だから、あんな風にひどい状態で婚約破棄をされて、すごく傷ついて。仕事を持って、一人で生きて行こうと決めました」


「僕は君のことを見ていたので、ずっと……だから、誰よりも知っていました。レニエラが彼のことが好きだからこそ、深く傷ついていたのだと」


 なんとも思って居ない人になら、何を言われても何をされても、別に平気だったはずだ。


 けど、あれを好きだった人からされてしまったからこそ、私の心はひどく傷ついてしまった。もう傷つきたくないって、思ってしまうくらい。


「ジョサイアは……私がずっと強がっていたことを、知っていたんですね」


 ずっと平気だと、周囲にも自分にも言い続けていた。あんなこと、全然大したことない傷ついていないって。


「ええ。僕は君のことが好きなので、レニエラが好きな人も、ちゃんとわかっていました。だから、あの話を聞いた時に、この手で殺したいと思うくらいには腹が立った」


 ジョサイアは、真剣な表情でそう言った。一年前の彼は、王太子と共に他国の貴族学校へ通っていたはずだ。私の噂を聞いても、彼はどうしようもなかったに違いない。


 それにそれが一年前なら、オフィーリア様との結婚式の準備を始めていて、止めてしまうことも難しかったはず。だから、彼は……。


「ありがとう……私のこと、好きになってくれて……」


 ハンカチで私の涙を丁寧に拭き取ると、ジョサイアは苦笑して言った。


「それは、別にお礼を言うことでもないです。勝手に僕が好きになっただけですから……あの時も、こうして慰めて涙を拭ってあげたかった。好きな人に冷たくされて泣きそうになった、名前も知らない女の子の涙を」


 遠い過去の日を思い出すように、ジョサイアは目を細めた。

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