第7話宿敵憧憬戦
教室まで帰る廊下を歩きながら、エレーナ・ポポロフはじっと考えていた。
それはまさに、夢にまで見た出会い――眼の前を歩き、上半身だけジャージ姿でポツポツと話しかけてくる青年に相槌を打ちながら、エレーナは祖父から何度も何度も聞かされた昔話を思い出していた。
「不死身の船坂」――ルースカ・ヤポンスカヤ・ヴァイナーにおける彼女の一族の宿敵であり、
その壮烈なまでの戦いぶり、そして不死身の怪物の如き、常軌を逸しきった強さのこと。彼女の高祖父であり、ロマノフ朝有数の名将と謳われたセルゲイ・ポポロフをも恐れさせ、そして大国・ロシアから勝利をもぎ取ってみせた、ある一人の戦士の英雄譚――。
それは幼いエレーナが祖父から繰り返し聞かされたお伽噺のひとつだった。
『不死身のフナサカはね、それはそれは強かったんだよ、エレーナ。彼はおそらく東洋一、いや、世界一の戦士だろう。彼のような大戦士と戦い、競い、そして打ち負かされたことは決して恥ずかしいことではない、むしろ私たちの一族の誇りなんだよ』――。
祖父はよくそう言って、肥えた腹を揺すって笑った。
ロマノフ王朝が革命によって倒れ、ポポロフ家が貴族としての地位を失ってからも、ポポロフ家は決して「不死身の船坂」の存在、そして鬼神の如き戦いぶりを忘れなかった。
不死身の船坂に敗北したことはポポロフ家にとっては屈辱でもあったが、実際は軍人として正々堂々刃を交えた末に力負けした、名誉の敗北でもあったのだ。
幼いエレーナは、頭の中で何度も何度も、「不死身の船坂」の英雄譚を空想した。雄叫びを上げて敵に飛びかかり、銃剣を振り回し、並み居る兵を殴り倒し、投げ飛ばし、斬っても突いても決して倒れることのない、まるでヒーローのような男の姿を。
やがて幼い女の子から少女へと成長したある日のこと――エレーナは心の中に、ふと、ある思いが固まっている事に気がついた。
「不死身の船坂」に会ってみたい。
どんな男であったのか知りたい。
どんな思いで戦争を戦っていたのか聞いてみたい。
この手でその不死身の身体に触れてみたい――。
そう考えるたびに、エレーナの身体は何故なのか熱くなり、胸の奥底がドキドキと高鳴った。
不死身の船坂――一族の宿敵であり、また、尊崇すべき男。
そしておそらく――軍人としての一族にとって最高の贈り物だっただろう、因縁のライバル。
そんな男が、もし今もこの世に生きていたとするなら――自分は、どうするだろうか。
その思いは日増しに大きくなり――エレーナは遂に決断した。
「不死身の船坂」に会いに、
その血を受け継いだ子孫を探し、自分たち一族の惜しみない親愛と尊敬を伝える。
そして、幼い頃から繰り返し繰り返し聞いた英雄譚が真であったのか確かめる。
そう決意し――そして、遂に念願叶って、今日この時を迎えた。
眼の前にいる、この一見するとどこにでもいる東洋人の青年が、「不死身の船坂」の血を受け継いだ存在――。
そう考えるだけで、エレーナの胸は少女時代のその時と同じように高鳴り、頬が熱くなり、なんだか息が苦しくなった。
今朝、彼に危ないところを助けられた時の、その猛獣の如き戦いぶりも――全てが、エレーナが幼い頃から繰り返し夢想した「不死身の船坂」の戦いぶりそのものだったのだ。
「不死身の船坂」の英雄譚は、偽ることなく真だった――。
それを考えるだけで、眼の前の青年ともっと話したい、手を握ってみたい、幾度も幾度も銃弾を跳ね返したはずの身体に触れてみたい――そんな邪とも言える欲望が溢れて止まらなくなって、胸がキリキリと痛んだ。
そう――エレーナは、己で気がついていない。
己が「不死身の船坂」に、そして目の前の青年に感じているのは、一族の顔に泥を塗られた恨みつらみなどではないことを。
それがごくごく限りなく、恋心に近い想いであることに――この鈍感な娘は気がついていなかったのだ。
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