見知らぬ森の中


 物心ついた頃に両親が死んだ。


 泣いて、暴れて、誰にも心を開かず、唯一の肉親である祖父にも当時は懐かなかった。やがて祖父の元へ身を寄せることとなったが、いつまで経ってもふさぎ込んだまま。


 家から、子供の足でも行けるくらいの距離に海が見える公園があり、ただ一人で、日が暮れるまで海を見ていることが多かった。

 ただ水平線に夕日がだんだんと沈むさまを見ると、何故か少しだけ、気分が安らいでいた。


 そんな折に、やたらと絡んでくる姉妹がいた。

 姉の方は今では考えられないほど活発で、海は見てるだけじゃ楽しくない、と無理やり浜辺に連れていかれ、水をかけられ、砂をかけられ、とにかく手を引かれたのを覚えている。


 妹の方は対照的に引っ込み思案で泣き虫。姉に引っ付いてはいるが、浜辺のカニを見ただけで怖がり、姉の背中に隠れたり。

 そんな日々を何日も過ごし、徐々に両親がいない寂しさが埋まっていくような気がしていた。


 ある時、姉の方から、何故毎日海を眺めているのか聞かれ、両親が死んでしまい、海を見ていると落ち着くから、と答えた。



「ダメだよ! にゅーすいじさつなんてしちゃダメだよ! しんじゃったら、あそべなくなっちゃうんだよ!」


「おにいちゃん、しんじゃうの? やあだあああ‼」



 そう言いながら姉妹は泣き出してしまった。

 両親の後を追っていつか入水自殺するんじゃないかと思われたようだったが、別にそんなことは考えていなかった。

 否定しようとしたが、泣いている二人を見ていたら、つられて涙があふれてきてしまった。


 そんな様を見てますます勘違いしたのか、姉の方がぎゅっと抱きしめてきた。



「ひっく、……なるから! リッカとカエちゃんが、ハル君の家族になるから! ずっと一緒にいるから!」


「うわああん! おにいちゃああん‼ ずっといっしょー!」



 妹の方も背中から抱きついてきて、傍から見れば泣きじゃくる幼児三人。

 何事かと姉妹の両親が迎えに来るまで、団子状態になってわんわん泣きはらしていた。


 そしていつの間にか、ハルの胸の中の穴が開いていたような部分が埋まっていた。

 それは暖かく、何物に代えがたい大切なもののように感じた。


 その日は自分の為に泣いてくれた二人を、寂しさを埋めてくれた二人ことを守りたいと、この二人の為にできることは何でもしようと決意した日となった。



―――――――――――――――――――――



 懐かしい夢を見たような気がする。そう思いながらハルは目を覚ました。

 辺りを見回すと鬱蒼と茂る木々が目に映る。どうやら森のようなところにいるらしい。


 はて、何故自分はここにいるのか。

 前後の記憶が思い出せず、腕組をして空を見上げるも、いくら考えてもこんなところにいる理由が思い浮かばない。



「確か学校の図書室にいたはずなんだが……」



 ハルの問いに答える者はおらず、遠くの方で鳥の鳴き声が聞こえる程度。

 スマホを取り出して見てみるが。



「圏外……」



 どこか山奥にでもいるのだろうか、とスマホをしまいながら周りを見渡してみる。

 まさか誘拐か、と考えるも、攫われる理由がない。


 祖父と二人暮らしの一般家庭。悲しいことに別に裕福というわけではない。

 それに縛るでもなく、持ち物も取られている様子はなく、森の中に放置される意味がわからない。



「いや、リッカやカエデの方か……?」



 二人はこの辺でも有名な美少女姉妹。リッカは青みがかかった黒髪と白磁のような白い肌、柔和な雰囲気で誰にでも優しく、校内男子は全員好意があるのではないか、と錯覚するほど。一部からは崇められており、ファンクラブまであるとかないとか。


 一方のカエデはスポーツ万能な元気っこで、男女問わず距離感が近いからか誰とでもすぐに仲良くなってしまう。枯れ葉色の髪をサイドテールにしてしっぽのように揺れる様と裏表のない性格で表情豊かなところが可愛いとリッカに次いで密かに男子から人気がある。


 そんな二人と常に一緒にいるハルを羨望と嫉妬の眼差しで見られることは、既に日常の風景だったが――



「――ひとまず二人を探さないとだな」



 とにかくこのままではいられない、とハルは道を探して歩きだす。

 ここがどの辺りなのか、まずは自分の置かれている状況を把握しなければならない。

 しかし道なき道を歩けど歩けど、同じような景色が並ぶだけで一向に変わらない。


 これは二人の心配よりも、自分がヤバい状況なのでは、と焦りと不安が募りだしたとき、背後でガサガサと草木が揺れる音がした。

 良かった人がいた、と安堵しながら振り返ってみると。



「……」


『グルル……』



 何だかやたら大きな犬がいた。

 いや、大きいといってもハスキーやシェパードというような大型犬どころではなく、どちらかというと狼。実際に見たことはないが、想像の三倍くらいは大きい。

 カバくらい大きいのではないかと、思うほど巨大。


 そして噛みつかれたら腕の一本くらい、お菓子のように軽く食べられてしまうのでは、というほど鋭い牙。それがむき出し、敵意もむき出し。


 あ、これ、ヤバいかも、と思った瞬間。



『グルオアアアアアアアア!!!』


「あああああああああ!!?」



 狼(仮)が咆哮を上げると同時に、ハルは脱兎のごとく逃げ出した。

 あれはヤバイ、と本能が告げている。あのまま突っ立っていたら美味しく頂かれていた、と。

 現実にあんなデカい化け物が日本にいるわけない、と頭の片隅では理解していても、地を蹴る足を止められない。


 背後からは木々をなぎ倒す音が響いていくる。それだけで化け物確定。

 これは夢でしかない、とハルは思うことにして。



「起きろ起きろ起きろ起きろ起きろ起きろ起き――」



 走りながら呪文のように言葉に出してみるも、滴る汗と脈打つ心臓が、現実を突き付けてくる。

 そしてハルのすぐ横を、大木が通り過ぎた。



「おわああ‼ あっぶな!?」



 なぎ倒された木をハルに向かって弾き飛ばしたようだった。

 直撃はしなかったものの、木の破片でハルの頬に切り傷が付いていた。


 飛んでいった大木は、他の木にぶつかりミシミシと音を立てながら、ハルの行く手を阻む様に倒れた。

 振り返ると狼(仮)が獲物を追い詰めた、といわんばかりにゆっくり近づいてくる。



「おいおいおいおい、どうなってんだ!? 夢じゃねえのか!?」



 ズキズキと痛む頬が、最早夢ではないことを知らしめてくる。

 さらに追い打ちかけるように、目の前の怪物はハルを引き裂こうと鉤爪を大きく振りかぶる。



「それはヤバイって!!」



 咄嗟に横に飛び込み、何とか躱すも、今度はその巨体がそのまま突進。

 もろに直撃した衝撃で吹き飛ばされ地面に投げ出される。



「っぐぁ!?」



 まるで車に激突されたんじゃないかと思う程の衝撃。一瞬呼吸が詰まり目の前が真っ白に染まる。

 木にぶつかりズルズルとへたり込んでしまい、胸を押さえてうずくまってしまう。

 ハルは怪物の突進を受けたのだと数秒後に理解した。



「っげほ、ごほっ……」



 痛みとめまいでだんだんと視界が狭まっていく。

 薄れゆく意識の中、再び怪物が口を開け、鋭い獣牙が迫る。

 ここはどこなのか、目の前の化け物は何なのか、何故俺がこんな目に。

 理不尽に対する困惑と怒りを抱いたまま、死を覚悟したハル。


 ハルが意識を手放した瞬間、最後に目にしたのは怪物の牙――ではなく、青く揺らめく炎と、何者かの後ろ姿だった。



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