第32話 茶番劇の準備 二時間

 ピンポーン。

 駿河するがしのぶの家のチャイムを鳴らした。しかし、誰かが出てくるようでもなかった。

 もう一度チャイムを鳴らしたところを、背後から声をかけた。

「駿河じゃないか。ずいぶんと早いな」

 駿河が振り返るところを見計らって、忍は電気自動車から降りて歩みだした。


「同窓会ぶりだな、よしむね

「あなたが警察のはままつ刑事ですか」

 忍はたかやま西せいなんに向かって手を伸ばした。

「捜査三課の浜松は私です。義統くん」

 浜松がゆっくりと近づいて右手を差し出した。


「これは失礼いたしました。警察の方とはいえ、声の印象からこちらの方かと思ったもので」

「こちらは模写の依頼者である高山西南さんです」

 警察の浜松と駿河が見ているなか、さも今回が初対面であると思わせる芝居が始まった。


「初めまして、僕は義統忍と申します。お持ちになった絵をさっそく拝見したいので、中でお話をしましょう」

 義統邸も素晴らしい屋敷だ。高山邸を先に見ているだろうが、壁と柱が少ないため間取りよりも広く感じるはずだ。


「義統って、ここで暮らしていたのか」

「ここは応接間だね。僕の部屋と父母の部屋は二階、絵を描く場所は地下にあるよ。適当に座って待っててくれ」


 そういうと忍は冷蔵庫から緑茶のペットボトルを三本取り出し、食器棚から湯呑を三つ手にとった。


「なんのお構いもできずに申し訳ございません。僕は独り暮らしですから、お茶の類の用意ができなくて。どうせ誰も来ませんからね。この家には」

「無理やり押しかけておいてなんだが、君は率直すぎるな」

「そうでしょうか」

「ああ、まるで隠しごとに向かないたちなのだろう」

「義統は高校でも嘘は言わなかったからな」


 そのやりとりを聞いていて、忍は薄ら笑いを噛み潰した。ここでバレるわけにはいかない。


「僕の人物評は置いておいて。とりあえず模写の依頼があった『魚座の涙』を見せていただけませんか」

 浜松は高山西南に目配せして頷いた。それに応えるように高山西南は持っていた包みを解き放った。忍は感嘆を漏らす。


「これが『魚座の涙』ですか。母の作とのことですがサインを拝見できますか」

「ええ、かまいません」

 浜松は、これから短期間とはいえ窃盗犯に狙われている作品を預ける相手としてひとまず信頼してくれているようだ。


「間違いなく母のサインですね。これが父のコレクションから散逸したという『魚座の涙』ですか」

「本来の所有者である義統くんに、この絵は帰属することはなるのですが、高山さんは窃盗団の一味からとはいえ、金を払って購入しています。義統くんと高山さんのどちらがこの絵を持つにふさわしいとお考えだろうか」


 忍は悩むふりをした。

 本当の本物はすでに取り返しているのだが、そこまで話すわけにはいかず。とりあえずありきたりな見解を述べるとしよう。


「たしか盗品とは知らずに買った場合、所有権は買わされた人に帰属する、と聞いたことがあります。盗まれたのは高校時代ですからすでに時効を迎えているでしょうし。本来の持ち主が今さら所有権を主張しても混乱するだけですが」

「そのとおりだ、義統くん。つまり今は法的に高山西南氏のものになっている。本来の所有者である君が所有権を主張するかだな」

「僕としては父のコレクションをすべて相続したはずですが、盗品まで相続したわけではありません。盗まれたと思しき頃、まだ私はコレクションを相続していませんでしたから」

「つまり、どういうことかな」

「この『魚座の涙』は父のコレクションで母の描いた絵だと思うのですが、僕が相続したリストには含まれていません。であれば盗品だろうと買い求めた高山さん、でしたか、そちらの方に所有権があると考えますが」


 高山西南がさも今聞いたかのような素振りを見せる。

「それを聞いて安堵しました。この絵には大金を払っているのです。盗品だから返却しなければならないとしたら、大損になるところでしたからね」

 浜松は改まって忍に問いかけた。


「それで、この『魚座の涙』は模写するのに何週間かかるだろうか」

 忍はあえて考え込まずに即答した。

「求めるレベルにもよりますが、二時間もあれば九十五パーセント以上似せる自信があります」


「たった二時間、だと」

「義統は高校の授業でも、皆がデッサンしているなかで教科書の名画を時間内に模写しまくっていたくらいの速筆です」

「あのときは一時間で似せていましたから、最近やっていないので時間は二倍かかると見積もっています」

 高山西南には模写のスピードは教えていない。だからこそ率直に驚いた表情を浮かべている。


「それじゃあ早速今から模写にとりかかっていただくとして、その様子を見せていただいてかまいませんかな」

 浜松はきちんと筋道のわかる人物らしい。

 もし模写をするにしても、忍が途中ですり替えないともかぎらない。

 しっかりと監視しながら模写を見守るのが希望なのだろう。


「それでは地下のアトリエへ参りましょう。あ、発信機と集音マイクの付いたキャンバスとやらを見せていただいてよろしいですか」

 駿河が持ってきたキャンバスを見せた。

「えっと、どこに発信機と集音マイクが付けられているのですか。あと、それらは内蔵バッテリーで動くのか、乾電池が必要なのか、太陽光発電なのかはわかりますか」


「今義統が持っている上のフレームに発信機、下のフレームに集音マイクをセットしてあるんだ。電源は単四電池で、ここに差込口があるよ」

「なるほどね。それらが仕込まれているとは持った感じではわからないね」

「わかるようなら犯人は盗まないと思うけど」

「それなら、これ見よがしに発信機と集音マイクが付いているよ、とわかるほうが牽制できるのでは」


「いや、それだと高山邸にあるのが偽物だとバラしてしまうようなものだ。あくまでも本物そっくりに作らなければ意味がない。だからこのキャンバスも警視庁が画材屋に無理を言って用立てたくらいだ」

「ではこれに模写をすればいいんですね」


 忍の案内で地下室へとやってきた。

 義統一家と水田以外では、おそらく初めてそこに入ることになるはずだ。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る