この恋の倍速再生を止めたい 第1話

 「ショウ、お前ってほんと「タイパ厨」だよな」


 新宿駅の雑踏の中で、二人の男性が会話している。「タイパ厨」と呼ばれた男性が、うんざりするような顔で答えた。


 「厨とか言うなよ。いまは普通だって」


 「いや、だって映画もアニメも倍速で見てるんだろ?俺はそれアカンと思うぜ。ああいうモンには「間」とか「余韻」とか「空気」みたいなものが設計されてるんだからさあ。そういう機微を読み取ってこそ、「芸術を鑑賞する」ってことだと思うわけよ。それを飛ばしちゃったら作品の面白さ半減よ。半減!」


 「別に倍速でもよくね?だいたいが分かればいいんだよ。だいたいが」


 「ま、俺も他人の娯楽の楽しみ方に口出しはしたくないんで、別にいいですけどね~。なんつーか、さびしいじゃん。って思って。んなことより、結局どうする? もう女の子達待ってるんだけど。店は歌舞伎町の方だから近いぞ」


 「ヒカル、すまん。今日はちょっと都合が悪い。ってことで。じゃな。また誘ってくれ」


 そう言って、ショウは動画サイトの「再生速度」を2倍速にするボタンを押した。イヤホンから聞こえてくる異様な早口声を聞きながら、丸ノ内線荻窪行きのホームへ駆け降りていく。


 「なんだアイツ、彼女でもできたか……?前はコンパ誘ったら絶対来てたのに」 残されたヒカルと呼ばれた男性は独り言ちながら、雑踏の中にショウを見送った。




 丸ノ内線の赤い車体に揺られながら、ショウはさきほどの会話を反芻していた。耳につけたイヤホンからは、早口で流れる俳優の声が聞くともなしに流れ続けている。


 「タイパ厨」。いわゆる「タイムパフォーマンス」、つまり時間に対する効率を異常なまでに重要視する人間を皮肉った言葉だ。確かにショウは、映画やアニメを倍速で観ていたし、音楽も間奏はスキップする。でもそれは決して作品を軽視しているわけではないのだ。世の中に溢れる大量のコンテンツはどれも魅力的で、すべてを等倍で見ていてはとてもじゃないが時間が足りない。だからこそ、時間を節約して倍速でなるべく多くの作品に触れる。


 ショウはむしろ、訳知り顔で「芸術を鑑賞」などとのたまいつつ、自身が好きなごく一部のジャンルの作品しか鑑賞しない友人の方がズレているように感じていた。まあ、ケンカをしたいわけではないので、言わなかったが。


 そんなことをぼんやりと考えていると、電車は地下鉄新高円寺駅に着いた。駅を出て、暗くなった商店街を高円寺駅に向かって歩く。11月の風は冷たい。スマホで確認した気温は摂氏9度を示していた。


 明日は、朝一番で実地研修のために先輩社員に同行して病院に行かなければならない。気難しい先生だと聞いているので、遅刻は絶対許されないだろう。酒など飲んでいる場合ではない。いくら新人とはいえせめて最低限の知識は入れていかなければならないと思う。会社から配布された「新人MRマニュアル」をカバンから取り出し、再読していく。


 最近は、コンパに出ているヒマもなくなった。会社では、社会人としてのマナーだの、名刺交換だの、電話対応だの、毎日色々と覚えることが多い。製品知識や流通についても、膨大な情報量がある。年末には認定試験も控えているから、休みの日は試験勉強をしなければならない。正直、かなりパツパツだ。


 ヒカルはIT系ベンチャー企業の経営企画室に就職したと言っていたっけ。ただ、なんでも一年目はテレアポ、飛び込み営業を全員がやらされるそうだ。まあ、どこの業界も新人に対してはそんなものなのだろう。


 アパートにたどり着き、鍵を開ける。1Kで家賃9万の部屋は広くも狭くもない。リモコンで暖房のスイッチを入れ、コンビニで買ってきた600円のから揚げ弁当を電子レンジで温める。タブレットで動画サイトを開き、なんとなく気になった映画をタップして、倍速で視聴を始める。20分ほどかけてちょうど食事をし終えたところで、タブレットの電源を切る。今日はもう寝よう。


 早回しにしていた映画は物語の中盤で、男の主人公がヒロインと恋に落ち、幾度かのデートを重ねていた。画面は、二人が遊園地で寄り添うシーンの半ばでぴたりと停止していた。


(つづく)


 

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