第51話 まだ見ぬ未来

大門を出ると、王都の民が何事かと振り向いた。そちらに任深持レン・シェンチーが手を振ってやれば、安心した様子で日常に戻っていく。夏晴亮シァ・チンリァンも控えめに手を振る。


「馬で二日だが、急がず行こう」

「はい」


 王都を出るまではゆっくりと、そこからは馬が疲れない程度の速度で進んでいった。半刻して、塀で囲まれた門が見えた。朱卓凡ヂュ・ヂュオファンが振り向いて言う。


「まもなく隣国の領土に入る。軍が通る文は送っているが、混乱を避けるために王都には寄らずどこか休めるところを探すぞ」


 門を入り、道の途中で馬を休ませる。馬宰相が李友望リィ・ヨウワンの紙を取り出した。そこには東西南北が記された護符が貼られており、東を表す部分が光っている。


「まだ大分先ですね。この光の具合だと、やはり精霊が消えた場所に近そうです」

「東東山が超国の領土だと仮定して、その手前からいつ敵が現れても対応出来るようにしなければならないな」


 その時、夏晴亮が動き出した。


「任深持様!」

「どうした。何かあったか?」


 夏晴亮が任深持に振り向きつつ、前を指差す。


「すごく良い匂いのお店があります……!」

「店……?」


 任深持が目を細めて確認してみるが、見える範囲に店らしきものは無い。


「ここはまだ地方都市にすら辿り着いていないところだ。店なんてどこにも」

「任深持様、あちらに白い何かが見えます」


 一番前にいた兵士が任深持へ報告する。彼の位置からここまでかなり離れている。そこからでも点のような小ささだと言っていた。任深持も先頭まで行き、どうにかこうにかその点を確認した。


「あれが見えるのか」

「最初は匂いで気付いたのですが、見えることは見えます」

「さすがに目が良過ぎないか」


 遠くを見続ける生活をすると目が良くなると聞いたことがある。夏晴亮はそういう毎日を送ってきたのだろうか。


「いつも星を眺めて寝ていたら、いつの間にか良くなりました」

「へぇ、便利だな」

「食べてもいいですか?」


 旅の中で食べる物は二日分の用意がある。任深持の分に限っては、保存食も合わせれば五日分程ある。しかし、今後何があるか分からないため、現地の食べ物を購入することも悪くない。


「いいぞ。危険が無いか確かめてくれ」


 了承を得られた夏晴亮が両手を挙げて喜ぶ。


「承知しました!」


 任深持と夏晴亮、護衛に朱大将が付き、件の店に向かった。


 店と言っても屋台のような簡易なもので、旅人相手に商売しているのだろう。店の主人が三人の身なりを見て顔を明るくさせた。


「これはこれはいらっしゃいませ。どうぞごゆっくり選んでください」


 商品を見遣れば、揚げ物と出来立ての饅頭、それに菓子が少しあった。旅人では持ち合わせていない、日持ちしない商品が多くある。商売上手だと任深持は思った。


──お菓子は馬先輩が持たせてくれたけど、毎日食べたらすぐ無くなるし、いくらあってもいいよね。


「皆さんも召し上がりますか?」

「そうだな、多めに買って食べよう」

「では、揚げ物とお饅頭全部ください」

「有難う御座います!」


 すでに本日の店仕舞いが決定した主人が喜ぶ。試しに揚げ物と饅頭両方平らげた夏晴亮が毒が入っていない旨を小声で報告する。朱大将が軍を呼び寄せた。


「皆、食事休憩だ。好きな物を取ってくれ」


 まだ護符が示す場所は遠く、穏やかな雰囲気の軍人たちが店に群がり、順番に食べ物を取っていった。支払いを済ませた馬宰相も饅頭を一つもらう。最後に夏晴亮が主人の元へ行った。


「すみません。お菓子も少し頂けますか」


 こちらは夏晴亮の持ち合わせで払った。横では笑顔の軍人たちが世間話をしている。


──このまま、一人も欠けることなく戻れますように。


 菓子を服に忍び込ませ、輪に入る。余っている饅頭を二つもらい、あっという間に平らげた。任深持が笑う。


「毒見師よ、先ほど一人前食べたんじゃなかったか」

「毒見と食事は別腹です」

「ははッそれはいい」


 ここにいる誰よりも野外生活に慣れていそうで、立派な妃だと任深持が嬉しくなる。


 夏晴亮は実に面白い。見た目だけなら上品な貴族であるのに、蓋を開けてみれば、何でも興味を持ち、大変なことでも率先してやる。一人で生きてきた逞しさは、他の者にも伝染して士気が上がる。彼女を連れてきてよかった。


──夏晴亮は私が守る。

──任深持様は私が守る。


 第一皇子と側室の想いは同じだった。


「さて、休憩は終わりだ。日が暮れる前に次の国へ入るぞ。そこを抜けてしばらく行ったら東東山だ」

「はい」


 地方都市に入り、馬を飛ばす。このまま真っすぐ進むと王都だが、途中で右に道を逸れ、荒道を行った。家々がぽつぽつある村がたまにあるくらいで、どうやらこの国は王都以外はさほど栄えていないらしい。


 才国しか知らない夏晴亮には珍しい光景が続く。もし自分が生まれ落ちたところがこの国だったら、腹を空かせて死んでいたかもしれない。そう思えば、才国にいて幸いだった。


 しかし、こちらは道で寝ている者は無く、家無しの者がいないように思われた。貧しく見えても家がある。もっと場所を移せばいるのかもしれないが、家無しがいるのは才国の人口の多さにも起因している可能性がある。


──才国は他国と貿易とか交流ってあるのかな。いろいろな国を見て、そこの良さを取り入れられたら、私みたいな人を減らせるかも。


 馬に揺られながら、夏晴亮はそんなことを思い描いていた。


 二度目の休憩を終え、一行は新たな国に入国していた。宿屋を占領するのは好ましくなく、草原が広がるところで野営することにした。


「側妃、このようなところで申し訳ありません」

「いえ、全然問題ありません」


 朱大将に気を使われたが、野宿ばかりだった夏晴亮にとって本当に問題無かった。砂利道にぼろぼろの布一枚を敷いて寝ていたこともあった。湯あみを何日も出来ない日も日常だった。


「あちらの森の方が体を預けるところがあるが、誰が隠れているか分からないからな」

「ここなら見晴らしが良くていいですね」


 野営の準備が終わったところで、術師五人が一行の周りに立ち印を結んだ。


「結界を張りました。これで野生動物などは入ってこられません。襲撃があっても、すぐには破られないでしょう」


 結界の中を歩き回っていた雨を呼び寄せる。馬たちは手綱を護符で制御し、結界から出ないようにさせた。


「便利な法術が沢山あるのですね」

「はい。夏晴亮様もお望みであれば、帰還した際にお教えします」

「そうですね。せっかく学びの時間も頂けていますし、挑戦してみようかな……」


 以前は一人前の宮女にと思って術師についてはまだ後だと思っていた。しかし、側室となった今、妃教育が主な仕事となっている。宮女時に行っていた掃除はやらせてもらえない。


 大きな声では言えないが、妃教育より術師の座学の方がずっとやってみたい。


──こういう時に術師の方のお手伝いが出来るし、阿雨についても詳しくなれる。


 豪奢な椅子にのんびり座っているより、現場に出てあくせく働きたいのだ。


 陽が暮れ夜になり、就寝の時間になった。兵が交代でひ見張りを立てることになっている。雨も夏晴亮の側でおすわりをし、見張りをしてくれるらしい。実に頼もしい限りだ。ちなみに雲の方は宮廷に残り、宰相代理として働いてくれている。


「ありがとう。おやすみ、阿雨」

『わん』


 見張り以外は眠りにつき、風の音だけが響いている。雨も見張りの兵士も見える範囲に不審な動きは見受けられず、思わず欠伸が出る。その中で唯一、李友望を追う護符の光だけがただの一瞬、西へと動いていた。

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