第45話 閑話
「阿亮」
「王美文様」
昼餉前、王美文に呼ばれた夏晴亮は彼女の自室にやってきていた。
「どうかなさいましたか?」
「ちょっとね。こちらに座って」
いつもと様子の違う王美文に、夏晴亮は緊張した面持ちで腰を下ろした。王美文が上半身を近づけて耳打ちする。
「もうすぐ宮廷軍とともにここを出てしまうでしょう?」
「はい」
「寂しくなるから……だから、私」
何を言われるのか、次の言葉を静かに待つ。王美文が口を開いた。
「阿亮と遊びたくって」
「へ?」
「ね、進軍までは何もしなくていいのでしょう? 面白いことをしましょう」
「え?」
予想外の提案にまともに返事をすることすら出来なかった。
助けを求めようと振り向くが、金依依はそっぽを向いて視線を合わせてくれず、馬星星は両手で拳を作ってにっこり笑っていた。
──受けるしかないってことね。
「ええと、ではどのような遊びをしましょうか」
「そうねぇ……」
遊びたかっただけで詳細を考えていなかったらしい王美文が腕を組んで悩み出す。これは時間がかかるかもしれない。
「ううん……」
おもむろに立ち上がった彼女は扉をそっと開けて廊下を覗いた。
「何かいました?」
「いないわ」
つまらないと言った顔で振り返る。
「任深持様は進軍の準備でお忙しいし、となると任子風様で遊ぶのはどうかしら」
「今、任子風様でっておっしゃいましたね」
第二皇子を使って遊ぶ気満々の彼女はさすが正妃と言ったところだ。このくらいの読経がなければ務まらないのだろう。
「第二皇子もお忙しいのでは?」
今のやり取りを横ではらはら見守っている馬星星に代わって尋ねてみる。
「確認して了承を得れば構わないわよね」
「まあ、そうですね」
王美文はさっそく金依依に指示を出し始めた。夏晴亮と馬星星は何も言えず結果を待つばかりだ。
「いいぞ」
確認を取った先は第一皇子だった。確かに彼の一言があれば、後宮中の全ては縦に頷くしかない。
「子風も後宮の者たちと交流を持ってもらおうと思っていたところだ。あいつもそろそろ皇子としての役割を果たさなければならないから」
「やったわね。阿亮」
はしゃぐ正妃に釣られ、夏晴亮も笑ってしまった。
「で、何をするんだ?」
任深持が尋ねる。王美文がにっこりと答えた。
「王都を案内してもらおうと思って」
「王都を?」
「ええ、私たちは詳しくないですから」
任深持の自室で待っていると、しばらくして任子風がやってきた。顔色が悪い。夏晴亮は申し訳なくなった。
「王美文様、あまり乗り気ではないようです」
小声でそう伝えるが、王美文はにこにこ笑っているだけだ。
「大丈夫よ。これは必要なことなの」
「そうですか……あっ」
任子風の後ろに二人従者が付いてきた。一人は行方を気にしていた任明願だ。夏晴亮はほっと胸を撫で下ろす。
──多分、もう一人が新しい皇子付きの方だと思うけど、お元気そうでよかった。今は引継ぎの最中かな。
任明願と目が合う。少しだけ微笑まれた。以前のような距離の近さは感じられない。
「あの、お二方をご満足させられるか分かりませんが、ほ、本日はどうぞお世話になります」
第二皇子に深々拱手される。これではどちらの身分が高いか分からない。どうやら想像以上に緊張しているらしい。夏晴亮はますます不安になった。
──心臓発作でも起こさなければいいけれど。
任深持に見送られ、一同が廊下に出る。大門まで歩くと馬車が二台停まっていた。
前の馬車に任子風と従者たちが、後ろに夏晴亮たちが乗った。
今回は王都の端まで行くらしく、馬車の窓から見える景色を楽しんでいたら、王美文に手を握られた。
「阿亮。今日はしっかり任子風様と交流しましょ」
「はい」
王美文の真意が掴めないまま、馬車が停まる。
二人が降りて待っていると、任子風がおずおずと馬車から顔を見せた。
「早くいらっしゃってくださいな」
「はは、はいッ」
慌てたものだから、足を踏み外して転げ落ちそうになる。下から夏晴亮が任子風を支えた。すでに先に降りていた任明願も第二皇子の背中に手をかけている。同時の行動に王美文が笑った。
「ふふ、お気をつけて」
「はい……二人とも、ありがとう」
「いえ」
後ろに控えていた後任の従者が心配気に降りてくる。夏晴亮は微笑んだ。
「ちょっと、亮亮。無茶しないで」
「ごめんなさい、馬先輩」
夏晴亮の両手のひらを観察する馬星星を見て、王美文が頬が紅潮した。
「ねぇ、金依依、美しい上司と部下の関係よ。大切にされているのね。私もあのようにされたいわ」
「……そうですか」
「金依依! もう~」
王美文が金依依をぽかぽかと腕を叩いてみせるが、彼女はびくともしない。無表情といい尋常ではない体幹の良さといい、相変わらず普段の金依依も人間味を全く感じない。
「うわ、つよ。私も金先輩みたいに強くなるわね」
「あそこまで辿り着くのはかなりの修行が必要そうですよ」
馬星星は馬星星で金依依に尊敬の念を抱いていた。
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