第28話 恋の暴走車

 任深持レン・シェンチーが頼りない力で、しかし強い意志で握り返す。


「ありがとう。私の全てで貴方を守ることを誓う」


 いつもの彼とは正反対で、こそばゆい気持ちになる。後ろでけらけらと笑う声がした。


「そうだ。さっき、正妃には触らないっておっしゃってましたけど」


 自分で髪飾りを付けたいと言う任深持の行動を許しつつ、思い出した疑問を正妃に投げかける。


「うん、合ってるわ」

「それじゃあ、お二人のご結婚は」


 王美文ワン・メイウェンが満面の笑みで頷く。


「契約結婚ってことよ」

「契約結婚!」


 この言葉を聞くのも言うのも初めてだった。彼女は身分が高いであろうに、何故この結婚に同意したのだろう。


「不思議そうな顔してらしてよ」

「あ、すみません……」

「いいの。当然よ」


 王美文が任深持を指差す。ようやく髪飾りを付け終えた任深持が気まずそうに視線を逸らした。


「彼と一緒。私も身分違いの実らぬ恋をしているのよ。彼はさっさと抜け道を見つけて実らせたけど、私は駄目だから」

「身分違いの……」


──私が言ったから、任深持様は私が納得てする方法を考えてたのね。


 夏晴亮シァ・チンリァンに言われても諦めなかった彼を見て、遠い存在だと思っていたのが遠い過去に感じた。意外と一途で、欲しいものを強請ると子どものようで。


──まだ自分の気持ちもよく分かっていないのに、側室なんて務まるかな。


 不安が残りつつも、ここまで頑張ってくれたのだから、こちらも出来る限り歩み寄りたい。


「ねえ、ちょっと聞いてくださらない? 任深持様、もういいわよね」

「いい。私はもう一生分の幸せをもらった」

「なら、私の番ね」


 意気揚々と任深持と交代した王美文が椅子を指し示した。なるほど、長話になるということか。任深持は公務があるらしく、部屋を出るとのことだった。


「好きに使っていい。終わったら女官を呼んで部屋を施錠しておいてくれ」

「分かりました」


 向かい合って座る。初対面の相手、しかも正妃と二人で会話することになるとは思ってもみなかった。


「私ってば、絶対に実らない恋なの。だから少しでも近くにいられるように結婚の承諾をしたのだけれど。まだ会えていないし」


「ということは、宮廷内にいらっしゃる方なのですか」


「そう。馬牙風マァ・ヤーフォンよ」

「馬宰相!?」


 王美文の片思いの相手が予想の百倍身近な人間だったので、思わず大声になってしまった。


「彼なら宰相をされてますし、身分違いという程ではないのではないですか?」


「いいえ。あの方は低い身分出身なの。仕事を探してやってきた時、名前が第二皇子と似ているからと採用されたとかで、努力で今の地位になった。それでも、まだ私には釣り合わないと言われてしまって」


「そうですか……」


 寂しそうに笑う彼女は、今までどれだけの孤独に耐えたのだろう。


「それに、彼とは十五歳以上離れているから、私なんて子どもにしか見えないのかも」

「お二人が出会ったのはいつなのですか?」

「私が十歳の頃かしら」

「なるほど」


 出会った頃が子どもの時で相手がすでに成人しているのだから、相手からしてみればいつまで経っても子どものままなのだろう。


「どんなところがお好きなのですか?」


 恋愛話をするなんて初めてだ。人はどういう恋をして、どう想っているのだろう。思い切って尋ねてみる。王美文が瞳を輝かせた。


「聞いてくださる? 一刻は覚悟なさってね!」


──あ、失敗したかも。


 夏晴亮がさっそく後悔したが、王美文の舌は止まらなかった。


「どんなところと言われても馬牙風を構成する全てを愛しているから難しいのだけれど、しいて言うなら草臥れてるところかしら」


「草臥れてる……?」


「そう。初めて会った時彼はまだ二十代だったのに、すでに仕事に疲れた中年男性の雰囲気を醸し出していて、とても惹かれたわ」


 思い出に浸る彼女の顔はまさに恋する乙女で、夏晴亮は感心した。


「それが十歳の頃の話ですか」

「良い趣味でしょ?」

「はい」

「でしょう!」


 ここに馬星星マァ・シンシンがいたならば、ツッコミの一つでも入れてくれただろうが、生憎ここには乙女と恋を知らない初心者しかいない。王美文は暴走した。


「ご覧になって」


 服の裾から何かが取り出される。見ると、古い紙だった。


「これは、馬牙風が書き損じて捨てた紙なの。これを捨てるなんてもったいないから、拾って家宝にしてるわ」

「拾って!?」


 なるほど。恋というものは人を貪欲にさせるらしい。夏晴亮は勉強になると深く頷いた。


「普段はこの袋に入れて、常に持ち歩いているの。せめて、彼の触れた物を身に着ける権利くらいは欲しいと思ってしまって」

「それが恋というものなのですね」

「そうよ。これが恋でしてよ」


 ツッコミ不在とは、時には恐ろしい魔物を生み出してしまうこともある。


「そういう貴方は任深持様のことをどうお想いになって?」

「私……! 私は……どうなのでしょう。難しいです」

「ふふ、そんなに固く考えないで。時が経てば、自ずと結果は見えてきてよ。あのお方の頑張り次第でしょうけど」


 結局、公務の休憩に戻ってきた任深持が話しかけるまで王美文による恋談義は続いた。


「二人とも、一刻以上過ぎているが」

「あらあ、私ったらつい楽しくて。ねえ」

「はい。とても充実した時間でした」


 正妃と側室が仲良くなり、任深持は胸を撫で下ろした。これなら安心だ。しかし、二人が近過ぎて、任深持が置いてけぼりにされる日が多くなることを彼はまだ知らない。

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