第12話 頑張る雨

「そうだ。阿雨アーユー、第二皇子の後を追ってみてくれる? あんまり遠くなるようだったら、途中で戻ってきていいから」

『わおん!』


 せっかく誰にも視えない相方がいるのだから、その有利を役立てない手はない。雨もやる気を出して、しっぽを振りながら第二皇子の後を追った。その様子に安心して掃除をするが、やはりはじめての任務をしている雨のことが気になる。


「大丈夫かな」


 掃除をしながら、少しずつ雨がいるであろう方へ近づいてみる。しかし、途中で他の宮女と鉢合わせした。ここからは彼女が掃除しているのなら、夏晴亮シァ・チンリァンは諦めるしかない。


「お疲れ様」

「お疲れ様です」


 お互い挨拶を交わして別れる。どうしよう。雨はどこまで行ったのか。第二皇子の部屋は見つけたか。侵入して無茶はしていないだろうか。考え始めると、どんどん不安になってきた。


『くぅん』

「阿雨!」


 そわそわ待っていたら、雨が戻ってきた。よかった、無事だ。ほっとしたのもつかの間、雨の様子がおかしい。俯いて、悲し気な声を出している。


「具合が悪いの?」

『くぅん』


 夏晴亮では雨の言葉が分からない。病気であったら大変だ。掃除を終わらせた夏晴亮は馬宰相の元へ急いだ。


「馬宰相。宜しいですか」


 部屋の扉を叩くと、すぐに彼が現れた。


「どうしました」

「あの、阿雨と調査を行っていたのですが、阿雨が途中から元気が無くなってしまって」

「そうですか。診てみましょう」


 馬宰相が雨を触るが、特に傷は見当たらなかった。精霊は風邪を引かない。となると、原因が他にあることになる。


「術者から攻撃を受けなければ、傷も出来ません。具合が悪い様子は無いですね」

「そうなのですか。阿雨、どこも痛くない?」

『くぅん』

「ふむ。精神的に何かあったか、見たかかもしれません」


 夏晴亮が雨を見遣る。自分が指示したから雨に負担をかけてしまった。雨に謝ると、雨がふるふると首を振った。


「貴方が原因ではないそうですよ」

「それなら、何故」


 すると、雨が後ろを向き、扉に向かって頭を付けた。一度離れて、また扉に頭を付ける。


「扉? 扉が原因ってこと?」

「夏晴亮、雨にはどう指示しましたか?」


 馬宰相に尋ねられ、その時のことを思い返す。


「たしか、第二皇子とすれ違ったので、後を追うようにと。遠くなるなら戻ってきてと言いました。それ以外は指示していません」


「なるほど……もしかしたら、第二皇子の部屋に入ろうとして扉が開けられず、侵入に失敗したと落ち込んでいるのかもしれませんね」


 その推測に夏晴亮が驚いた。


「阿雨は扉をすり抜けることは出来ないのですか? 人とはぶつからずすり抜けていたので、てっきり他のものもそうかと思っていました」


 というより、あまり深く考えていなかった。夏晴亮が雨と視線を合わせる。


「ごめんね、何を言っているのか分からなくて」


 もっと雨と仲良くなって、意思疎通を図れるようになりたい。マァ宰相が二人を見つめた。


「一般の人は精霊を認識出来ません。ですから、いないものと同じです。だからすり抜ける。しかし、扉のような無機物となると、そもそも意識が無いのでいるいないの次元ではありません。したがって、扉側がいないと認識していないためすり抜けることはありません」


「そうなのですね。勉強になります」

「学び舎に通っていないので、知らなくて当然です。やはり座学のみでも学び舎に……しかし、それですと五月蠅いお方が……」


 馬宰相を悩ませてしまい、夏晴亮が焦る。自分のことで誰かが困るのは見たくない。雨と捜査をするのはまだ早かったか。そう思っていたら、目の前に書類の束が現れた。


「私が都度お教えすると申し上げておりましたから、僭越ながら最後まで責任を持って貴方の専属の教師とさせて頂きます」

「え、これは」


「学び舎で使っている教科書です。精霊の感じ方、視方、扱い方はすでに出来ていますから、精霊についての知識や簡単な法術を中心にお伝えします」

「はい! 有難う御座います。宜しくお願いします」


 馬宰相の貴重な時間をもらってしまうのは心苦しいが、何も知らないまま迷惑を掛ける方がのちのち厄介なことになる。夏晴亮は深々拱手し、教えを乞うことにした。






「とは言ったものの……」


 大量の座学用書類を用意してもらえたのはいいものの、夏晴亮は重大な事実に気付いてしまった。

 夏晴亮はまともな教育を受けたことがなく、読めない文字が多くあるのだ。


 どうしたらよいのだろう。今から戻っていって、馬宰相に相談しようか。しかし、ここに幼児が学ぶような簡単な勉強道具があるとは限らない。そうなると、新たな手間をかけさせてしまう。


「そうだ。私が買えばいいんだ」


 それならば、彼に負担をかけることもない。これ以上何かして、心労で倒れでもしたら後宮が混乱に陥る。幸い、先日初めての給与をもらったので手持ちもある。


「よし、王都にお出かけしよう!」


 立ち上がったその時、後ろから声がかかった。


「王都に行くの? なら、私も行くわ」

「馬先輩!」


 同室の馬星星マァ・シンシンだ。一人だと思っていたが、いつの間にか戻ってきていたらしい。馬星星がにやにやしながら近づいてくる。


「亮亮、お出かけなんだからおめかししましょ。私に任せて」

「え、え、せんぱ、うわ」


 先輩にもみくちゃにされた夏晴亮は、宮女に受かった日のことを思い出した。

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