秋月さんの初体験 10

 「おおー」


 人を家にあげるというのは幾年ぶりだろうか。軽く記憶を振り返ってみてもパッと出てこない。それほどには久しぶりだった。なんなら新鮮さまで感じられる。懐かしさよりも新鮮味が勝るってことは人を家にあげたことがないのかもしれない。


 「私の部屋はこっちです」



 リビングを通って、私の部屋へ案内する。両親はしばらく家にいないので、私の部屋という見境もあまり無くなってはいるのだけれど。

 部屋の前で私はふと止まる。

 汚くても大丈夫とは言っていたけれど、本当に大丈夫かな。限度ってものがあるし。一応私は女の子なわけだし。今なら輿石がアロマを炊いていた理由がわかる。私も欲しい。


 「ちょーっと待っててもらえますか。すぐに戻るので」

 「え、ここで待つの。入れてくれないんだね」


 豊瀬先輩はそこ部屋でしょと首を傾げる。むくりと頬を膨らませている。

 いや、そうなんだけれどさ。こっちにだって事情ってものがあるんですよ。


 「はい。少し待っててください」


 良く考えてみれば現時点に限った話では私の方が立場は上だ。急に家へ押しかけられているわけで。摘み出そうと思えばできる。しないけれど。こっちは警察に突き出すことだってできるんだぞ、というスタンスを持つのは大事だ。

 心を鬼にして、そう口にして私は一人で部屋に入る。

 散乱した漫画やら小説やらを本棚に片付ける。ポケットにあるスマホは邪魔なので、机の上に置いておく。こういうことをしているから部屋が散らかるんだよなあ、と思いつつ。


 「……ん」


 すんすんと部屋の匂いを確認する。うむ、自分じゃ臭いのかどうかわからない。とりあえず窓という窓を全開にしておこう。


 「他は……」


 服は散らかってない。良し。ゴミも散らかってない。良し。シーツもよれてない。良し。


 「お待たせしました」


 私は一度外に出る。そーっと扉を開けて、扉を閉める。そして、外から勢い良く扉を開ける。空気抵抗を感じるくらい勢い良く。あわよくばこれで空気が入れ替わってくれる事を祈って。


 「どうぞ」


 なにもしていませんよ、みたいな雰囲気を出しながら、部屋へと案内する。


 「普通の部屋って感じね」

 「すみませんね。ご期待に添えなくて」

 「もっと女の子っぽい部屋なのかと思っていたわ」


 女の子らしい部屋に住んでいる女の子なんてそうそういない。輿石が例外中の例外だ。


 「その辺適当に座っていてください。まあ、女の子の部屋っぽいクッションなんて置いてないですけれど」


 嫌味っぽく言ってみる。豊瀬先輩はそれに気付いたのか苦笑のような笑みを浮かべている。


 「私はお茶持ってくるんで。あ、水の方が良いですか」

 「水は茉莉よ。お茶で良いかな」

 「わかりました」


 キッチンに向かう。

 歩きながらぼんやりと考える。なにをしに家へ来たのだろうか。やることなんて特にない。本当に特にない。そんな後輩の家に普通来たいと思うものかね、と。こういう時は立場を変えてみるに限る。

 私だったらどうだろうか。うーん、来たいとは思わないなあ。それなら映画館で良くわからない映画でも観た方が有意義だなあと思う。なんならまたシロイルカを観に行ったって良い。


 「わかんないなあ」


 ぼつりとつぶやきながら、お茶を準備して部屋へと戻った。

 部屋に戻る。扉を開けると、豊瀬先輩はベッドに座っていた。仰々しい顔でこちらを見つめている。綺麗に畳んであった毛布はなぜかくしゃくしゃになっていて、豊瀬先輩はそれを掴んでいた。


 「……なにしていたんですか。毛布なんてもって」


 机の上にお茶を置きながら、問いかける。


 「あのー……えーっと、アハハ」


 豊瀬先輩は明確になにと答えることはない。誤魔化されている。それだけは理解できた。

 目線を泳がせる。右へ〜左へ〜また右へ〜と。

 目線の先には窓がある。あ、もしかして寒かったのかな。

 もう五月とはいえ、この時間帯になってくると時折寒かったりするし。豊瀬先輩が寒がりならばなおのこと配慮が足らなかったなと反省する。


 「すみません。寒かったですよね。窓閉めますね」


 豊瀬先輩は部屋の匂いを気にする様子はないし、臭くないのだろう。だったら窓を閉めたって問題ない。せめて、消臭スプレーくらいしたかったなあと思うが、手元にないのでどうしようもない。


 「そ、そうだね。私はこっち閉めちゃうね」


 片方の窓を豊瀬先輩は対応してくれる。パタパタと手で頬を扇いでいる。寒いと言いつつ、暑そうな仕草だ。


 「そ、そうだ。買ってきたメロンパン食べよっか」


 窓を閉めた豊瀬先輩はわざとらしくパンっと手を鳴らすと、そう言って机に寄る。


 「そうですね。食べましょうか」

 「このメロンパンとっても美味しいらしいのよ。口コミでもかなり評判が良くてね、この辺りだとここにしかなくて、一度行ってみたいなあと思っていたの」

 「なるほど。楽しみです」


 私の地元だからついでに家に遊びに来ようと思った……というところだろうか。それならまあ、納得だ。私の家をメインにすると意味がわからないのだけれど、ついでって考えれば納得できる。

 お皿にメロンパンを並べる。さっきお店で見た時も微かに思ったのだけれど、こうやってお皿に並べるとしっかりと感じる。このメロンパンめちゃくちゃにデカイなと。

 メロンパンというよりも、ケーキって感じ。そのくらいのボリューミーさだ。


 「いただきまーす」


 豊瀬先輩はパクリと頬張る。んふふ、と嬉しそうに食べている。見ているだけでこちらも幸せになりそうだ。どうせ今日もお昼まともに食べていないのだろう。

 私も食べる。ふむ、美味しい。外はカリッとしていて、中はフワッと。この時点でコンビニやスーパーで売っているメロンパンとは一味も二味も違うのだけれど、なによりもフワッとした後にやってくるマフッとした弾力が噛みごたえを与えてくれる。

 黙って食べてしまう。それほどに美味しい。

 気付けばメロンパンはあと一口サイズになってしまう。これを食べれば終わり。悲しい。

 けれど、躊躇無く食べてしまう。欲には勝てなかった。

 そこにあったはずのメロンパンはなくなって、寂しくなった手元を私は見つめる。


 「美味しかったわね」


 向かいに座ると豊瀬先輩は満足そうな声を出す。


 「そうですね」


 豊瀬先輩は座りながらずりずりと私の方まで移動してくる。肩がこつんとぶつかってから止まる。今も肩がぶつかっている。手も太ももに触れている。


 「秋月さんの家に輿石さんは来たことあったりするのかしら」


 私の顔を見ることなく豊瀬先輩は尋ねる。どこを見ているのだろうか。白い壁だろうか。それとも窓かな。うーん、ちょっとわからないようなところをぼんやりと眺めている。


 「来たことはないですね」


 行ったことはあるのだが。言わないけれど。余計なことは言わない。それに越したことはない。触らぬ神になんとやら、だ。


 「そっか」


 ふふ、と嬉しそうに笑う。そんな面白いところだったかなあと考える。


 「秋月さんと輿石さんは偽の恋人をしているのよね」


 豊瀬先輩は改めて確認する。


 「は、はい。この前説明した通りです」

 「そうよね」

 「あ、校則違反とか怒るんですか。わかった上でやっているので怒られても――」

 「学外でまでとやかく言うつもりはないわ」

 「でも入学式の時言っていましたよね。なんか色々と校則について」

 「あれは立場がそうさせているだけよ。私は生徒会長。生徒の長なのよ。秩序を乱さぬように釘を刺しておかなきゃならないの。新入生なんて特に浮かれているのだし」

 「なるほど」

 「だから今はとやかく言うつもりはないわ」


 そうやってまとめる。

 そっか、それなら良かった。という安堵と同時に、じゃあなんなのかという疑問が湧く。


 「私が聞きたいのはそういうことじゃなくてね」


 私の心中を読み取ってか、たまたまか、話をシフトしてくれる。

 期待の眼差しのような、恐怖を抱いているような、緊張しているような。色んな感情がごちゃ混ぜになっている……ように見える瞳。

 私の思い違いかもしれないし、実際そうなのかもしれない。答えはわからない。


 「女の子同士付き合うという行為そのものに抵抗はないのかなと思ったのよ。あ、別にそういうのを否定したいわけじゃないのよ。差別意識があるわけでもないわ」


 豊瀬先輩は慌てて否定する。いや、はい。えーっと、その言い難いんですけれど、知っています。そういう小説読んでいましたし。理解あるのはわかっていますとも。とは言えないのがもどかしい。


 「そうですね」


 改めて考えてみる。恋人を演じてくれと言われたタイミングでは、そういう恋の形もあるよなあと飲み込んだのだけれど。こうやって改めて考えてみるとどうだろうか。

 本能的には間違ったことをしているのかもという感覚はある。けれど、それは本能的な部分だけであって、感情やら道徳やらその他の部分を考えると、そういう形もあっておかしくないよねと結論付けてしまう。

 答えは結局変わらない。

 異性を好きになるのが恋。そんな思想は今の時代においてはナンセンス。今の時代は好きになった人を好きになる。それが今なりの恋なのだろう。


 「そういう形もあって良いと思いますよ」

 「じゃ、じゃあ……女の子と本当に付き合うこともあるかもしれないってことなのね」

 「ま、まあ。そうなんじゃないですかね」


 女の子を好きになるのなら、女の子にトキメイて恋をすることがあるのなら、きっと女の子と付き合うことだってあると思う。現にそれに近しいことをしているわけだし。


 「ほんと?」


 豊瀬先輩は左手を少し動かす。太ももにあった手は徐々に上昇し、脇腹を通過して、背中にやってくる。そして、右手も動く。


 「立って」


 そう言われてなすがままになった私は立つ。妖艶な表情を豊瀬先輩はしている。そんな豊瀬先輩は私の方にゆっくりと、安全を確保しながら体重を寄せる。このままだとベッドに倒れ込んでしまう。それほどに体重をかける。それでも良い。お構いなしという感じ。

 ほどなくして、そのままベッドに倒れ込む。私も豊瀬も。

 豊瀬先輩の髪の毛が私の顔に覆い被さる。まるでレースの天蓋のようにさらさらと私を囲んだ。

 豊瀬先輩の顔はぐんと近付く。右手は私の左手を掴む。掴んで、絡んで、離したくても離せない。

 息遣いがわかる。唇の艶やかさの中にある乾燥がわかる。瞳の煌々とした潤みがわかる。そして今の状況がなにを指していて、これからどうなってしまうのかもわかる。

 豊瀬先輩の左手は私の背中とベッドの合間からするりと抜ける。小さく空いた隙間には少しだけ寂しさが残る。それを埋めるように抜いた左手で顎を掴む。親指と人差し指で掴んで、そのまま人差し指だけを器用に動かし、私の唇を触れる。指の温かさが唇に伝わる。思わず鼻呼吸も口呼吸も止めてしまう。それでもお構いなしに豊瀬先輩は動く。唇を通り過ぎた左手は頬骨から輪郭へと流れる。ゆっくりと耳の前を通って前髪に触れる。前髪の裏側に入り込んで私の額に触れる。


 「ねえ。嫌なら断って」


 顔を拳一つ分の距離に近付ける。鼻の頭と頭が擦れるくらいの距離。喋るだけで、豊瀬先輩の息が私の顔に吹きかかる。


 「……」


 肯定もできないし、否定もできない。ジェスチャーで意思表示をすることもできない。

 豊瀬先輩に身体を預ける。このあとどうなるのか想像する。未知の体験だらけなのだろう。でも、不思議と嫌な気持ちにはならない。少なくともあのナンパしてきた男に比べたら幾分もマシ。というか、豊瀬先輩で純潔を散らしたいとさえ思ってしまう。

 豊瀬先輩の顔は真っ赤だった。紅潮とかそういうレベルではない。欲に任せて動いているわけじゃないんだと豊瀬先輩の顔を見て気付く。

 顔をじっくりと見たせいで目が合ってしまった。気まずさが漂う。豊瀬先輩は動きを止めて、私もつーっと目を逸らす。

 逸らすけれど、やっぱり言葉は出てこない。肯定も否定も。


 「この前も言ったけれど無言は肯定よ」


 右手がもぞっと動く。さらに指を絡める。絡めて、ベッドに押し付ける。

 右膝に温かな感覚が走る。その次には左ふくらはぎに温かな感覚が走った。

 ベッドが若干沈む。


 「……」


 寸のところまで来ている。このまま無言を貫き通せば、進むところまで進んでしまう。

 私だってそれくらいは理解している。しているのに、私は声を出せない。

 豊瀬先輩の喉の動きさえも見えてしまう。ゴクリという音も聞こえてくる。ああ、豊瀬先輩も生きているんだと実感する。

 そう思った瞬間に、私の鼓動はバクりと跳ね上がった。そしてバクバクバクバクと鳴り続ける。騒ぎ続けている。

 豊瀬先輩にこの音が聞こえてしまうんじゃないかってくらいうるさい。静まらせようと思っても、言うことを聞いてくれない。むしろ、意識してしまってより一層うるさくなる。

 さらに豊瀬先輩は顔を近付ける。

 豊瀬先輩の顔の温かさを感じてしまうほど近くにいる。ああ……これはもうそういうことなんだな、と。逃げようと思えば逃げられるこの体勢で逃げることも、声を出すこともない。私はこの状況を受け入れようとしているんだなと。ならば、心や脳みその意思を尊重するきだろうと思う。

 だから私は目を瞑る。目を瞑って全てを受け入れる準備をする。


 ブーブーブーブー


 覚悟を決めて、目を瞑った瞬間に誰かスマホが振動した。私も豊瀬先輩も互いに動揺して、顔を動かしてしまい、ガチンと額をぶつけてしまう。


 「っーーったあ……」


 じんわりと額に広がる痛み。私は額を両手で抑える。豊瀬先輩もベッドに座り込んで片手で額を抑えている。しばらくすると、豊瀬先輩はベッドに両手をついて、ふうと息を吐く。

 ため息のようなものであったが、ため息とは程遠い。不思議なものだった。


 「アハハ。そっか。まだってことなのかな。きっとそうね」


 突然笑い出したと思えば、豊瀬先輩はそう口にする。


 「でも、さっきので覚悟が決まったわ」


 振り向いた。覚悟ですか、はてさてなんのことでしょう……と、私は首を傾げる。


 「こっちの話……ってほど、私だけが関与しているわけじゃないのだけれど。まあ、生徒総会を楽しみにしておいて」


 豊瀬先輩は宣言のようなものをしてから、ふうと立ち上がる。

 そしてくいっと背を伸ばす。


 「今日はもう帰ろっかな。メロンパンも食べたし、お茶も貰っちゃったもの」

 「それなら送っていきますよ」

 「ううん。大丈夫よ。一人で帰れるわ」

 「そ、そうですか。それじゃあ玄関までは見送ります」


 私はベッドから起き上がり、豊瀬先輩を玄関まで案内して見送った。

 豊瀬先輩の背中が見えなくなってから、家へと戻り、部屋へと帰る。

 机の上に置かれているスマホ。結局あのバイブ音は私だったのかなと確認する。

 五分前にメッセージを受信していた。うん、私だ。


 『あの人と結局何したの』


 と、輿石から連絡が入っていた。タイミングが良いのか悪いのか。私は苦笑しながらポチポチとフリック操作をして入力したメッセージを送信する。


 『秘密』


 という二文字だけを送信したのだった。

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