秋月さんの初体験 2

 放課後になり、生徒会室前へとやってきた。

 当然ながら輿石と一緒に向かった。手こそ繋がないが、距離感は明らかにおかしい。

 手の甲や、肩、ふくらはぎが歩くたびにコツンカスッとぶつかるのだ。

 そこまでやるなら手も繋げば良いのにと思うのだが、手は繋がない。不思議だ。

 私から手を差し出すのはなにか違うような気がする。

 いいや、違うな。さっき私が引っ張って手を繋ぐように仕向けたのだから、今度はそっちがやるべきではという私のワガママである。

 ワガママとか思う時点で、これを楽しみに思っているのだろう。

 ああ、本当に私は変わってしまったな。特異点に立っていることを痛感する。

 でも、嫌だとは思わない。

 変化の中心に立っているというよりかは、もう過ぎてしまった感が強い。


 「開かない。あの人たち鍵閉めやがった」


 ガチャリと扉を引いて開かなかった。輿石はチッと軽く舌打ちをする。


 「施錠していた方が良いんだろうけれどね」

 「いつもしてないじゃん」

 「ま、まあ、そういう気分だったんじゃない」


 確かにそれはそうだ。

 いつもは鍵なんて閉めていない。ああ、最初は閉めていたか。


 「気分で変えられてたまるか。こっちの動きにも関わるってのに」

 「それはごもっともだねえ。まあ、あれじゃない。ほら。今日から生徒総会について色々するからその資料盗まれないようにとかじゃないかな」


 今日から始まることと言えばそのくらいだ。

 だからそう言ってみるが、輿石的にはあまり納得できないらしい。

 適当に考えた可能性だし、そうだねって納得されてもそれで良かったのって思うんだけれどさ。


 「今更だろ。あんなオープンにしておいて」

 「まあね」


 私は背筋を伸ばす。


 「盗み放題だったのに今日からきっちりって。どうかしてるって。って、あれか。今に始まったことじゃねぇーか」


 言いたい放題言っている。ああ、多分気付いていないのだろうな。

 私は苦笑する。頷くこともしないし、首を横に振ることもしない。

 ただ苦笑を浮かべるだけ。そして、目線は輿石のさらにその後ろへと向ける。

 豊瀬先輩と笹森先輩へ。

 笹森先輩は特に気にする様子もなく、ヒラヒラと手を振る。

 ゆるふわ~という感じだ。この空間においての唯一の癒しと言ったって良い。

 問題は豊瀬先輩だ。ぎろりと輿石の背中を睨んでいる。

 オーラなんて見えないはずなのに、なぜかドス黒いオーラが滲み出ているような気がする。

 悪寒を感じる。思わず身震いしてしまうほどだ。

 豊瀬先輩は私のことも睨む。


 「ヒイィッ……」


 変な声が出てしまう。

 ついでに私のことも睨んでおいたって感じですかね。

 でもついでにしては鋭く、痛く、突き刺さるような視線だった。


 「ん?」


 私の声に輿石は不思議そうに首を傾げる。

 そして、私の目を見る。見てから、私の目線を追いかけるように辿って、ゆっくりと振り返る。

 振り返ってからすぐに動きを止める。


 「あ」


 と声を漏らす。


 「ふふ。好き勝手言ってくれていたわね」

 「ハロハロ~」


 腕を組んで睨む豊瀬先輩と両手で輿石に手を振る笹森先輩。

 近くにいるのに雰囲気が真逆で不思議な感じだ。

 ああ、お笑いにおける緊張と緩和ってこういうことなんですね。状況としてはそんなに面白くないのに面白いかもと思ってしまう。


 「あー、気のせいじゃないですかね」


 この機に及んで、輿石は白を切ろうとしている。

 いいや、それは無理があろうかと。


 「そう」


 豊瀬先輩は深く返事をしない。そういう掴みどころのない反応をするだけだ。

 そして鍵を開ける。

 扉を開ける。笹森先輩は「とうっ」と声を出しながら扉のレールを飛び超える。雰囲気は一瞬だけ弛緩するがすぐに引き締まる。


 「どうかしていて悪かったわね」


 豊瀬先輩はそう言いながら生徒会室に足を踏み入れる。

 輿石はやっちったというような表情を浮かべる。ペロッと舌でも出しそうな顔だ。


 「しゃーねーな」


 そう言いながら生徒会室に入る。

 ええ、切り替えはやっ……。

 いつもの場所に座っている笹森先輩がひょいひょいと手招きをする。

 絶妙に入りづらい雰囲気が漂う生徒会室に入ったのだった。


 座ったと同時に資料を配られる。

 それに目を通す。生徒総会に関する資料だ。

 書かれていることは「流れ」「要望」「役割分担」などだった。

 一か月後に行われるらしい。短いのか余裕があるのか良くわからない期間だ。


 「というわけで。早速だけれども。生徒総会に関して取り決めしていきます」


 ホワイトボードの前に立った豊瀬先輩は大きく「生徒総会」とホワイトボードに書く。

 輿石は今回も書記の仕事を全うする。

 笹森先輩は眠そうに欠伸をしている。じーっと見つめていると目があった。恥ずかしそうにはにかむと口元を両手で隠す。

 隠すの遅くないですかね。

 またホワイトボードを見る。

 豊瀬先輩から睨むような視線が飛んでいた。

 遊びに行ったからだろうか。今まで気にならなかったのに、どうも気になってしまう。

 ちゃんとしなきゃなんて微塵も思わなかったのに。ピシッと姿勢を正す。

 それでも豊瀬先輩はどこか不満顔だ。

 てっきり真面目に取り組んでないから不機嫌になっているのかと思ったけれど、そういうわけではないようだ。

 だとすれば、なんなのだろう。ちょっとわからないな。


 「生徒総会の流れは昨年と同じ形にしようと考えています。異論はありますか」

 「ん-、とりあえず昨年どういう風にやったか教えてあげた方が良いんじゃないかな。二人とも去年いなかったんだし」


 笹森先輩は私たちの方に目配せする。

 流石副会長。そういう配慮のできる人だったんですね。意外です。


 「そうね。茉莉もどうせ忘れちゃっているだろうし」

 「えへへ。バレたか」


 前言撤回。良いように使われていただけでした。


 「でしょうね」


 豊瀬先輩はため息交じりにそう口にする。

 なんというか熟年連れ添ってきた夫婦みたいだなあと思う。


 「まずは昨年度の活動報告から始まります。生徒会は主にどういう活動をして、学校に貢献してきたのか。そして、どのようにして地域に貢献したのか。そういうものを報告していきます。次に委員会の活動報告も行います。各委員会の委員長がどのような活動をしてきたのかを報告します。こっちは私たちはタッチしないです。各委員長に一任します」

 「そういえばそーだったねぇ。休憩だよ、休憩」

 「茉莉余計な事言わないで」

 「はいはーい」


 笹森先輩は軽い返事をする。


 「次に今年度の活動方針を提示することになります。と言っても生徒会選挙前に行うので仮案を提示するだけなのだけれど」

 「ほら、ウチの学校は生徒会選挙に立候補する人あんまりいないからさ~。所属している後輩がそのまま引き継ぐってのがテンプレでね。生徒総会は生徒会選挙前に行うんだよ。そのせいで後期にもう一回やらないといけないんだけどね。めんどいよねぇ」

 「補足ありがとう。それはそれとして一旦黙っていてもらえるかしら」

 「はいはーい」


 笹森先輩はまた軽い返事をする。

 はたして言葉の意味を理解しているのだろうか。なんだか不安になる。


 「あとは生徒会予算案の提示ね。これは表計算ソフトで表にしてまとめて、プロジェクターで映し出す形にしようと思っているわ。昨年度は口頭で説明していたけれどあまりに長ったらしいし、非効率だもの。最後に各種申請……部活動の新設や、同好会の新設などの可否決を生徒に問う場面になるわね。今年は現状こちらに申請は来ていないから特にないと思うのだけれど。あ、あとそれに……」


 豊瀬先輩はそこで口を止める。

 輿石の方をじっと見つめて眉間に皺を寄せる。


 「なんでもないわ」


 軽く首を横に振る。なにかありそうな感じだったけれど。そこまで言ってから引き返されると気になってしまう。

 とはいえ、なんですかと聞ける雰囲気でもないのでやめておく。

 笹森先輩みたいに一旦黙っていろって言われそうだ。不機嫌そうだし。

 アレ来ているのかな。あまり影響受けなさそうなタイプに思えるけれど。まあ、人はみかけによらないからなあ。


 「とにかく流れはこんな感じね」


 豊瀬先輩はドンドンカンカンとホワイトボードに流れを書き出す。

 ペン先がホワイトボードに触れるたびに、ホワイトボードは揺れる。ちょっと筆圧強すぎではないでしょうか。イライラしているんだろうなあ。

 淡々と生徒総会についての話が進んでいく。

 初日ということもあり、具体性のある話はしない。あくまでも方針の確認がメインだった。

 それでも二時間ほどかかるのだから、大変だなあと思う。


 「というわけで今日はここまでにしておこうと思います」


 外はもうすっかり暗くなっていた。

 ここでお開きだ。なんだか妙に疲れた。疲労感がどかんと押し寄せる。

 なんでかなあ、と考える。答えは簡単だった。

 生徒会という組織に属して初めて、真面目に取り組んだからだ。

 普段とは違うことをする。それは物凄い労力と負担が生じるものなのだ。

 車だって走っているときよりも、エンジンを始動させるときの方がガソリンを多く使用する。それと同じである。


 「そうだ。秋月さんは残ってください」


 豊瀬先輩はホワイトボードに残った文字を消しながらそう私を引き留める。

 私よりも輿石が驚いたような顔をしていた。人ってそんなに目を丸くすることってあるんだなあってくらい目を丸くしている。


 「秋月……」

 「あー、うん。先帰っていてくれる。どのくらい時間かかるかわからないし」

 「わかった」

 「おうよ」

 「おす」


 少し寂し気に輿石は生徒会室をあとにする。


 「茉莉も帰っててくれる。少し時間かかるから」

 「うへー、ほんとぉ?」

 「本当」

 「じゃっしょうがないね」


 笹森先輩も立ち上がって、荷物を片手に生徒会室を飛び出す。


 「うおうおうおうお。こししちゃーーん。一緒に帰るぞおお」


 と叫びながらすぐに姿は見えなくなる。天真爛漫というべきか。なんか違うような気がする。狂気じみたものを感じるからかな。多分そうだね。


 「やかましいわね」


 廊下を見つめながら、豊瀬先輩は苦笑する。


 「そうですね」


 嵐のような人だなあと思う。突然うるさくなって、突然静かになる。そしてまた突然うるさくなって、突然いなくなる。


 「で」


 私は豊瀬先輩に目線を向ける。

 目が合う。お互いに見つめあう。見つめ合って、沈黙が流れて。一体この時間はなんの時間なのだろうか、と考えてしまう。


 「で、で」


 私はほら、用事があるんでしょう。なによ、なにか言ってみなさいよ、という含みを込めた言葉で催促する。


 「なんなんですか。呼び止めたんですから何かしら用事あるんですよね」


 これは……本格的に長くなるヤツだなあと思い、椅子に座る。

 まだ座面は温かかった。


 「輿石さんと付き合い始めたってのは本当なのかしら」


 私の耳に豊瀬先輩の声が響いた。

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