秋月さんの人脈大革命 4

 そのまま歩くと目的に到着したようで、足を止める。そこは水族館だった。島の上にある水族館。なんというか、その、えーっと、エモい。スゴイ。神ってる。ダメだ、語彙力が死んでいる。

 壁にはシロイルカのイラストがでかでかと描かれている。



 「水族館ですか」

 「そそ。水族館」


 LINEのアイコン、シロイルカのぬいぐるみだし、好きなんだろうなあ。


 「水族館好きですよね、先輩」

 「え、なんでわかったの?」

 「わかりますよ。それくらい」


 そう言いつつ、チケットを購入する。豊瀬先輩は私の隣でニコニコしているだけ。


 「買わないんですか」


 私だけ入場させるつもりなのだろうか。流石にそんな訳のわからないことはしないか。


 「私にはこれがあるから」


 そう言いながら見せつけてくるのは一枚のカード。年間パスポートと書いてある。年パスなんて持っているのか。かなりのガチ勢じゃないか。

 思わず感心してしまう。水族館の年パスを買おうって相当好きじゃないと出てこない発想ではないだろうか。

 チケットを握って入場する。

 今度はシロイルカの銅像のようなものが出迎えてくれる。シロイルカだらけだ。この水族館のアピールポイントなのだろう。


 「シロイルカ好きなんですね。アイコンもシロイルカですし」


 歩きながらそう問いかける。話題は他にないし、ちょうど良い。

 豊瀬先輩は少し照れるようにはにかむ。人差し指で頬を撫でるように触る。


 「可愛くて好きなの」

 「そうなんですね」


 良く考えてみれば、シロイルカって生で見たことないかもしれない。普通のイルカは見たことあるけれど。

 隣を歩く豊瀬先輩は私の顔を覗き込む。そして、どうしたのと首を傾げてすぐに顔をもとに戻す。


 「いやー、シロイルカって名前とか写真とか映像もですかね。そういうのでは良く聞いたり見たりするんですけれど、実際に見たことないかもなーと思いまして」


 これに関しては誤魔化すことではないと思って素直に口にする。シロイルカガチ勢過ぎてありえないって怒られちゃうかもしれないけれど。


 「シロイルカを飼育している水族館は全国で四つだけなの。だから観る機会は自然と少なくなるのよね」


 ということらしい。意味のわからない不安は杞憂に終わった。

 ガチ勢らしさを遺憾なく発揮してくれる。普通に生きているだけじゃ知りうることのない情報を教えてくれた。

 もっと色んなところで見ることのできるイメージだったので意外だ。


 「へー、そうなんですね。ちなみにシロイルカのどこが好きなんですか」

 「そうね。まずはなんと言ってもあのマルっとしたフォルムよね。でっかくて丸くてのっぺりしているのは三大アピールポイントだわ。バランスが最高なのよ。知性に溢れているというのもとても素晴らしいと思うわ。それにシロイルカは海のカナリアとも呼ばれることもあるの。ただ呼ばれているだけじゃなくて、理由もしっかりあって。五十種類くらいの音を奏でることができると言われているのよ。かわいくて、賢くて。好きにならない理由がないのよ」


 豊瀬先輩は完全に自分の世界へと入り込んでいる。

 恍惚とした表情を浮かべながら、冗長に好きである部分を語る。オタク特有の早口で。これでもかと。

 あれ、実は豊瀬先輩ってオタクなのかな。まあ、シロイルカという限定的な部分においてはオタクと言って差し支えないか。

 対象がなにであれ、こうやって熱中できるものがあるというのは素晴らしいことだと私は思う。私にはここまで熱弁できる好きなことってないし。

 羨ましいなとさえ思う。

 満足そうな表情を浮かべている豊瀬先輩。あれだけ好き勝手に語っていたのだからまあ、満足だろうな。

 そんな豊瀬先輩を眺めて楽しんでいると、シロイルカの飼育スペースへ到着する。

 この水族館の目玉の一つらしく、人だかりがすごい。ゴールデンウィークということもあって尚更なのだろうが。家族連れはキャッキャッとはしゃいで、カップルは大人しく、シロイルカを眺める。


 私はあまり人だかりが好きではない。

 人酔いするほどではないのだけれど、気疲れするのだ。あとは人混み特有のもわっとした熱気が受け付けない。

 だから、普段はこういうところに来ても段々と萎えてしまうのだが、今日は違った。隣の豊瀬先輩が常に目をキラキラさせて、シロイルカを目で追いかける。

 スマホを手に取り、カメラを起動させ、シロイルカの写真を何枚も撮っている。

 目の前で子供のように無邪気な笑顔を見せつつ、楽しんでいる人がいる。それだけで私の中に芽生える負の感情は簡単に刈り取られるのだ。


 「というか……」


 私は思わず苦笑してしまう。

 シロイルカ。そう豊瀬先輩が言っている生き物が飼育されている水槽に付随しているネームプレート。そこには『ベルーガ』と書かれている。

 違う生物じゃないですかね。

 触れて良いポイントなのか悩んで、足踏みしてしまう。

 あれだけ大口叩いて、嬉々として話していたのに、実はシロイルカじゃありません……って、豊瀬先輩の尊厳をぐちゃぐちゃにしてしまうような気がする。


 「というか……?」


 豊瀬先輩は首を傾げる。

 そこまで口に漏らしていたので、方向転換も難しい。


 「ベルーガってあそこに書かれてますけれど、どうなんですか」


 私はピシッと指差す。

 変に誤魔化すと話がこんがらがりそうだし、意を決してそう口にする。

 豊瀬先輩は怒らなかった。むしろ逆の表情である笑みを浮かべる。

 予想していた表情と真逆の表情を浮かべられる。ストレートに怒鳴られるよりも恐ろしい。戦々恐々としてしまう。


 「それであってるのよ」

 「そうなんですね」

 「そうよ」


 豊瀬先輩はそう胸を張って答える。

 そして、チラチラ、チラチラチラ、チラチラチラチラと見てくる。

 もしかしてさらに深堀して欲しいのだろうか。そんなわかり易い反応するだろうか。

 期待するような視線。ああ、多分そうなんだろうな。


 「まあ、ベルーガでもなんでも良いんですけどね。シロイルカっぽい見た目してますし」


 そう言ってみると、豊瀬先輩は露骨に残念がる。

 私の推察はあたっていたようだ。深堀してほしいのか。


 「なんでベルーガって書いてあるんですか」


 小さなため息をしつつ問う。

 待っていましたと言わんばかりに表情は晴れる。


 「シロイルカは和名よ。ロシア語ではベルーガって言うの。つまり、この子たちはシロイルカであり、同時にベルーガでもあるってことね。どっちも結果としては同じ意味になるわよ」

 「大判焼きか今川焼きって呼ぶかって感じですか」

 「いや……それは……」


 豊瀬先輩はクスクスと笑う。その静かな笑いはゆっくりと引く。それと同時に口元に手を当てる。妙に真剣な表情へと移り変わる。


 「案外的を得ているのかも」


 なにを言い出すかと思えばそんなことだった。重要なことでも言い出しそうな雰囲気だったので身構えてしまった。緊張を返して欲しい。


 「そうですよねー」


 私は驚くほどに適当な言葉で相槌を打っていた。



 水族館を巡り終える。

 ゴールデンウィークの影響はシロイルカゾーンだけではなかった。水族館全体に波及していた。レジャー施設なんてそんなものだろう。

 今日はなぜか人混みが嫌にならないと思っていたがそんなことはないらしい。恐ろしいほどの疲労が私のことを襲う。

 疲れないんじゃなくて、疲れているのに気付いていないだけだった。馬鹿は風邪なのに気付かない的なそれかな。

 うーん、私は馬鹿じゃないんだけれど。じゃない、はず。そう思いたい。


 「良い時間ですけれど、帰っても良いけれどどうしますか」


 だいたいお昼を少し過ぎたあたりの時間で私たちは水族館を後にした。

 豊瀬先輩の真の目的は達成できたのだろう。多分。

 だから、そんな提案をする。

 もう疲れたから帰りたいってのが本音だ。無論、面と向かってそんなことは言えないので提案に留めておく。私の不甲斐なさが滲み出る。そんな言葉と行動だ。


 「帰りたいのなら帰っても良いわよ。今日はもう十分楽しんだもの。でも、お昼食べてないし、お腹空いたわね」


 心中を見透かされたような気がした。

 勝手にそう思って、勝手に意地張っているだけかもしれない。もしかしたらあまりにも無意味なことをしているのかもしれない。

 そう思っても、なんか負けた気がするという気持ちは抑えられない。一度それに気付いてしまうと、ふつふつとその想いは大きくなっていく。

 大きな原因としては豊瀬先輩がお腹空いているようには見えないというところだろうか。まるで取って付けたような言い訳に聞こえたから。多分そう思ってしまうのだ。


 「それじゃあお昼食べてから帰りましょうか」

 「ふふ、そう言ってくれると思ってたわ」


 してやられた。やはり我が校の生徒会長様だ。人を手玉に取るのは得意なのだろう。うーん、なぜ私は強がってしまったのだろうか。


 「どっか良いお店知ってるんですか」


 抱いた疑問を見て見ぬふりをして、私は問いかける。

 豊瀬先輩は迷うことなく、スマホをさささーっと触って、ほいっと私に画面を見せる。

 そこに表示されているのは一件のカフェだった。

 あまりクチコミ自体は多くないが、平均点は高い。


 「ここに行こうかなと」

 「なるほど」

 「どうかな」

 「私が決めるとなるとチェーン店になって面白みもなにもなくなるので、そこにしましょう」

 来る前から調べてくれていたんですよね……とは言わなかった。そういうことを言うのはなんか野暮だなあと思ったから。

 スマホの画面に目線を落としつつ、つかつかと歩き始める豊瀬先輩を追いかけるような形で私は歩いた。

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