秋月さんの歩み 2

 教室へと戻る。さっきの時間はなんだったのだろうか。いや、入学式なんだけどさ。入学式を終えたようなテンション感ではない。まるで、一つの演劇を見終えたような。そんな感覚が心の中をグルグルと駆け巡る。

 多分というか、絶対に輿石の挨拶のせいなんだけれど。挨拶と呼称するのも烏滸がましい。なにはともあれ、やっぱりあれは衝撃的だった。

 ぞろぞろとクラスメイトが教室へと戻ってくる。未だに会話はゼロ。本当に誰も喋ったりしない。全員口でも封じられたのかなというほど、静寂が教室を包む。

 全員が全員、様子を伺い、警戒をして、一歩踏み出す準備をしているという感じ。さしずめファーストペンギンといったところだろうか。リスクのある大海原へ誰かが飛び込むのを待っている。後に続けるように、準備しながら。

 その空気をぶち破るように一人の人物が教室に足を踏み入れる。私は彼女の顔を見た瞬間に思わず顔を顰めてしまった。そして、目が合わないように一目散に目線を机へと落とす。

 金髪ポニーテールの新入生。輿石樹里だ。教室は静かだ。静かだからこそ、とんとんという足音が驚くほどに響く。どのあたりを歩いているのか。彼女の動きを見なくとも、足音だけで判断できてしまう。足音はどんどん私の元へと近づいてくる。意味もなくスマホを取り出し、触ってしまう。嫌な予感が脳内に過り、その嫌な予感を見て見ぬふりをするために、普段は閲覧しないようなインターネットの掲示板を見てしまう。もっとも、その掲示板の内容なんか一切頭に入ってこないのだけれど。

 つーっと。額から輪郭にそうように汗が垂れる。それと同時に足音はぴたりと止まる。

 隣の椅子が動く。ズズズという椅子を引き摺る音が聞こえた。

 そして、隣に感じる人影。


 「おす。アタシは輿石樹里。キミは?」


 声が聞こえる。私じゃない。私が絡まれているわけではない。そう、決して違う。己にそう何度も言い聞かせる。


 「おーい」


 その声とともに、とんとんと肩を触られる。絶望が私に押し寄せた。

 どうしよう。無視するべきか。いや、無視は流石にまずいよね。この人に嫌われたりしたら色々大変なことになるのは目に見える。でも、積極的にかかわりたいとも思えない。どうするべきなのだろうか。と、私ってこんなに思考速度早かったんだと吃驚するほど、グルグルと思考は回転する。回って、回って、さらに回って、諦める。


 「どうも」

 「おうおう、やっと顔上げてくれたわ」


 ニッと白い歯を見せて笑う。金髪のポニーテールが揺れて、なんか柔らかい雰囲気が漂っている。輿石がこの教室に流れていた重たい空気を切り裂いたおかげで、徐々に教室内に会話が生まれる。本人がどこまで意識していたのかはわからないけれど、案外良い人なのかもしれない。


 「で、キミの名前は」

 「秋月って言います」

 「おお、秋月。いい名前じゃねぇか」


 グイっと体を寄せる。突然距離が縮まって驚き、私は少し距離をとる。


 「隣同士仲良くしような。へへ、よろしく」


 輿石は握り拳を作って、差し出してくる。困惑しつつも、私も真似をしてコツンと彼女の拳にぶつける。そうして彼女は破顔した。



 諸々の業務連絡が終わる。流石に入学式当日はすぐに下校できるようだ。まあ、当然だ。今日突然「授業始めます」と言われても困るし。

 というわけで、午前も午前。まだ昼時ともいえない時間に解放される。

 今日はやけに疲れた。慣れない環境に身を投じたのだから、疲れない方がおかしいのだけれど。それ以上に私の体力を奪ったのは輿石樹里という一人の女性だ。

 絡まれた以上対応せざるを得なくて、一度対応すれば無下に扱うことはできなくなって、結局対応せざるを得なくて、対応するたびに私の体力はゴリゴリに削られていく。そして、あっという間に疲労困憊な私が完成する。

 だから、今日は早く帰宅したかった。気分的には、六時間授業を一寸たりとも手を抜くことなくすべて真面目に受けたような感覚に近しい。そんな疲労感が私を襲う。

 しかし、そう簡単に帰宅させてくれない。この世の中も、人生も甘くないんだよ、と言っているようだった。


 「秋月、秋月。今日暇だったりすっか」


 リュックを背負いながら、私の机の前にやってきて、かがむ。机に手を乗せて、期待の眼差しを向けてくる。


 「疲れたから帰りたいんですけれど」


 適当に嘘吐こうかなとも考えたのだが、パッと良い嘘が思い浮かばなかったので、本心の一部を口にした。


 「そうか、そうか。じゃあ、なーんにも問題ないな」


 彼女は私の手を掴む。

 そしてそのまま引っ張るように教室を飛び出す。

 一体なにが問題ないのか。疲れているのだから問題大ありだと思うのだけれど。そう言ったって慮ってはくれないのだろう。


 「ちょっ、せめて荷物は持たせてください」


 諦めながらそう口にする。


 「おお、それもそうだな。一旦戻っか」


 輿石は一度教室へと引き返す。そして、わたしが荷物を回収すると、また私の手首を掴んで教室を飛び出す。

 後ろから揺れるポニーテールを見つめる。こうやって至近距離で見ると、金色の艶やかさがより一層わかる。遠目で見た時よりも鮮やかで、神々しくて、まるで地毛みたいだ。欧州人みたいで……うーんと、お人形さん的な感じかな。印象が少し傾く。

 それよりも、私はどこへ連れて行かれるのだろうか。帰りたい。もう帰りたいのだけれど。

 私は心の中で嘆きながら、引っ張られ続けた。


 昇降口を抜けて、さらに校門を抜けて、幹線道路の歩道をつかつかと歩く。自分の意思はそこにない。一寸たりとも存在しない。

 私は輿石に手首を掴まれ、引っ張られている。

 これはもう連行と言って差し支えない。


 「あのー、どこに行くつもりなのでしょう」


 私は輿石の堪忍袋を刺激しないように、ガラス細工に触るかのように丁寧且つ優しく、ゆっくりと私の抱く疑問をぶつける。


 「ほら、あれだよあれ。昼をな、食おうかと思ったんだよ」


 曖昧な答えだった。


 「お昼を食べるんですか」

 「そーしよっかなと思ってたけど」

 「思ってたけど?」


 彼女の言葉をそっくりそのまま引用して、続きを促す。


 「土地勘があまりにもないから、どこになにがあるかわかんねーや」


 足を止めた輿石はけろっとそんなことを口にする。

 なんだそれ、と私はくすっと笑ってしまう。

 この人は行き当りばったりなところがあるんだなあ、と。だから良い人なのかもと思う時もあれば、ヤバい人だなあと避けたくなる時もあるのだろう。人となりを観察するのは面白い。新鮮さを過剰なほどに与えてくれるから。この世の中に瓜二つの人なんていない。似たような性格であっても、似せようと似せていても、どこかしら違いがある。顔、スタイル、思想、常識、趣味などなど。一ミリ足りとも違いはありません。なんて人はいない。いないから、何処かしらで真新しさを覚える。そこが面白いところであって、辛いところでもある。


 「あそこで良いよな」


 ゆっくり歩き出した輿石は目の前に見えた飲食チェーン店を指差す。見慣れた看板が目に入る。慣れないことや初めての連続だったからこそ、こういう親しみのある場所はホッとできる。


 「あまりお腹空いてはいないですけれど。そうしましょうか」


 腹部を軽く擦りながら答える。触れば気持ちが変わるかもと思ったが、そのくらいじゃあ変わらないようだ。


 「大丈夫、大丈夫。もうそろそろお昼に差し掛かる頃合いだし、お腹そのうち空いてくるだろー」

 「匂いでお腹空くかもしれないですね」

 「そうそう。お腹空いたら食べれば良いし、お腹空かないのならなーんにも食べなきゃ良いだけだかんなー。簡単な話ってわけよ」


 そう言いながら入店した。入店音が店内に響くと同時に厨房から店員さんが顔を出す。そして、目が合うとこちらにやって来て、案内される。平日のお昼前ということもあってか、お客さんはほとんどいない。

 角席で楽しそうに会話している高貴なマダム。ファミレスにいるってことはマダムでは無いのかもしれないけれど。まあ、私たちには関係ないのでどうでも良い。


 「ご注文が決まりましたらお呼びください。では、ごゆっくり~」


 店員はそういうと私たちの席から立ち去る。


 「どうして私を連れて来たんですか」


 メニュー表を眺める輿石に向かって問いを投げる。


 「お隣さんとは仲良くしたいから。そんだけ」

 「どれで連れてきたと」

 「そそ」


 軽い口調でそう答える。


 「やっぱ、仲良くなるためにはご飯を一緒に食べるのが一番ってね。裸の付き合いってのも悪くないかなーとは思ったけど、それはまた今度」


 また、があるんだ。


 「ドリンクバーだけで良いよな。お腹空いてないんだろ」

 「え、あ、はい」


 私はコクリと頷く。

 一人が注文すれば、他の人は頼まなくても良いだろ、とか言い出すと思っていたので意外だった。なんというか、こういうところは律儀なんだなーと。新入生代表に選ばれるだけのことはある。


 「アタシたち同級生なわけじゃん」


 店員さんを呼んで、注文をしてから、彼女はぽつりと独り言のようなトーンで話始めた。最初は聞き流していたのだが、問いかけられていることに気付いて頷く。


 「こうやってアタシはタメ口でさ……あれ、そうだよな。そう」


 途中で不安になったのか声は尻すぼみになっていく。

 自分で咀嚼し、飲み込んだのか、すぐにけろっとする。


 「とにかくそういうわけなのに、秋月はなんか畏まった口調ばっかじゃん。うーん、敬語とも少し違くて。なんだろう。緊張か、それとも動揺なのか。あるいは恐怖かもな。うん、恐怖が一番しっくりくるな。なんかアタシに怯えているような感じがすっから」


 怯えているというのもまあ、一理ある。

 関わりたくないなあ。

 一定の距離感を保ちたいなあ。

 と、思っているというのが本音だ。その理由を考えると、怯えるに辿り着く。結局のところ私は輿石に怯えているのだろう。


 「もうちょいラフな感じで来てほしーなって思うわけよ」


 ポンっと胸を叩く。

 とは言われても、あの新入生挨拶を思い出すたびに、コイツと近付くのは賢明な判断ではないよなと考えさせられる。


 「この金髪はたしかにとっつきにくいかもしれねーけどな」


 別に金髪はどうだって良い。そりゃ、イキリ大学生みたいな髪色だなあと思ったりはするけれど。でも似合っているし、綺麗だし、金髪だから関わりたくないと思うほど、私の人間性は終わっていない……はず。そんなルッキズムじゃないし。純粋に言動やら行動やらその他諸々を引っ括めて、関わりたくないなあと思うのだ。


 「なんでステージ上であんなことをしたんです」


 だからこそ問う。本当にこの人と関わって良いのか。時にはノーと言う勇気も必要なんじゃないかと思うから。


 「ステージ上でって?」


 輿石はうーんと首を傾げる。すぐにハッと思い出したような表情を浮かべる。


 「あー、新入生挨拶のことだな」

 「はい」


 私は首を縦に振る。


 「さっきステージ上でも言ったけど、ウチの学校は矛盾が多い。個性や多様性を謳っているのに、校則で個性や多様性を縛ってんだよ」

 「そういうもんじゃないですか」


 私はそれが理解できなかった。個性や多様性と自由はイコールにならない。そう思っている。あの生徒会長も同じようなことを言っていたけれど。

 ある程度縛られて、その中で個性や多様性を見出し保護すべきなのだ。なんでもかんでも個性やら多様性という言葉を使って守ろうとするのは間違っているんじゃないかと思う。個性や多様性という言葉は都合の良い言葉ではないのだ。


 「そういうもんだろうなー」


 輿石は私の言葉に食ってかかって否定してくると思った。

 だから、素直なその反応に拍子抜けする。

 「ただ、限度ってものはある。なんでもかんでも縛りつければ良いってもんでもねーだろ」

 そう言いつつ、生徒手帳を取り出す。え、もう配られていたっけ。


 「あ、これ借りもんだよ」


 私の反応に気付いて補足しつつ、ペラペラっとページを捲る。

 目的のページを見つけると、しっかりと開いて見せてくれる。


 「例えば『恋愛禁止』。アタシたちはアイドルかっての。ただの学生なんだから恋愛くらい自由にさせろよって思うだろ」

 「でもさっき生徒会長がなんか校則ができた理由とか、なんとかかんとかって言っていたような気がしますけれど」


 話半分に聞いていたのでしっかりと覚えてはいない。


 「あー、それって学生の心身の健康を守るためとかだろ。そんなもん、校則で守るようなこったねえ。自己責任だろ。己の心身は己で守る。キャパシティやら適応できる環境やらは十人十色。人それぞれなんだからさ」


 自己責任と言ってしまえば、大半はそうなるのではと思ってしまう。ただ人それぞれだろって言葉には納得してしまう。恋愛が生き甲斐って人もいるだろうし。生徒の心身を守るためって理由付けであるのなら違和感が生まれる。


 「他にも髪色とかも。これなんて個性と多様性の塊だろうに。黒しか認めてくれねーんだとさ。ルール上はな」


 私は金髪の髪の毛を凝視する。


 「目に見える形で逆らうのならこれが一番手っ取り早い。目立つだろ」

 「目立ちたいんですか」

 「そりゃ。目立たないとなにも変えられねーかんな」

 「変えるって校則をですか」

 「そうだ。校則を変えんだよ。ぶっ壊すって方がわかりやすいかもな」


 なにかを変えるためには目立たなきゃいけない。多分そう思っているのだろう。革命みたいな感じだ。そういう方法しか知らないから、悪目立ちしようとする。その結果が今日の新入生代表挨拶であり、その髪色である。

 とりあえず、なんとなく輿石の人となりはわかったような気がする。


 「不器用だなあ」


 私は思わず距離を縮めてしまった。

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