第2話 溺れる母は人外をも掴みたいのだ

 一晩寝ると人とは冷静になるものだ。

 本人が大したことはないと言っているのに、親がむやみに騒ぎ立てるものではない。

 子どもとはいえ、もう中学二年生なのだ。

 意見の違いから殴り合いの喧嘩に発展することだってあろう。

 制服の詰襟がキツくて授業中にくつろげていたところ、そのまま廊下を歩いてしまって上級生に「生意気だ!」と目をつけられ洗礼を浴びることもあるだろう。

 イタズラなつむじ風が女子生徒のスカートを捲り上げ、「キャー! 何見てんのよ、エッチ!!」と理不尽な私刑を受けることもあるだろう。


 そう考えて己を落ち着かせたのだが。


「それはどれくらい前のデータベースを漁れば理解できますか? 守から漫画や小説を借りて読みましたがそういう描写はとんと見ませんでした」


 『とんと』という表現は見かけたのに、私の中のあるあるはもはや世間では見かけないのか。

 というか、またもやうっかり口から溢れ出していたようだ。それも全部。

 どうやら考えに気を取られるほど口から漏れやすくなるようだ。

 気を付けなければ。


「古くてすみません……」

「古い、ということは、最近の書物にはないということで、こういう時はサブスクの動画視聴アプリで昔のアニメを見ればいいのだと守に教わりました」


 そんなことまで教えているのかあの息子は。


「いや、いいのよ、そんなことに詳しくならなくていいの。何も得るものなんてないんだから」

「いえ。日本の文化は興味深いです。漫画も小説もアニメ、ドラマも、生物の感情がよく表されています。人間のこと、よくわかります。日本の『当たり前』を少しわかるようになってからは、見ていてとても面白いです」

「ありがとう。アニメや漫画は海外にも誇れる日本の文化なのよ」

「青い生命体が押し入れに寝泊まりしているのも、面白いです。ワタシみたいですね」

「いやあのそれは……」

「なんでも道具が出てくるあの構造は他の星の生命体にもありました。それにあの物語は他力本願というのがどういうことかというのをわかりやすく体現していて――」

「あ、あの、ごめんなさい、そこらへんで勘弁してください。色々と差し障りがありますので……」

「それは不勉強で失礼いたしました」

「いえいえ、あの、こちらの都合で申し訳ない限りです」


 いらぬ冷や汗をかいた。


「それで、おふくろさんは何を悩んでいたですか?」

「いやあの」

「おふくろさん、私にできることでしたら協力しますから」

「ええと……」

「遠慮しなくてよいのです、おふくろさん! 私はこの家に住まわせてもらっている身なのですからおふくろさんにも恩返しをさせてください」

「いやだからなんで『おふくろさん』?? どういう辞書の引き方してるの? 大多数が使用している『お母さん』はデータベースの一番最初に出てこないの? 五十音順だって『お母さん』のほうが先よね?!」

「これは、テレビで歌いながら呼びかける際に多用されていた言い回しです。誰かの母親を呼ぶときに使うのですよね? 間違っていましたか?」

「情報元それ? いやいや、あの、その辺りも差支えがあるので、『お母さん』でお願いします」

「守と話している時に『お母さん』と言ったら、『おふくろさん』がメジャーなのだと教えてくれたのです」


 メジャーとか生きた言語を使えるわりにこういう偏りがあるのは息子のせいだったのか。

 しょうもないレベルの悪いことをする奴だ。


「是非とも『お母さん』でお願いします。一人の証言を根拠にすると判断を誤ることがあるのよ。気を付けたほうがいいわ」


 私はあんたの『お母さん』じゃない! と怒る人もいるが、いまさら誰かに名前で呼ばれるのもむず痒い。

 誰のことを言っているのか通じれば十分だし、加えて私は呼称にユーモアを求めていない。


「はい、肝に銘じておきます。で、お母さんはどうして暗い顔をしていたですか?」


 いつの間にやら表情も読めるようになっている。

 前は人間の顔の作りが独特すぎて何を考えているのかわからないと言っていたのに。ドラマと漫画の学習効果だろうか。


「それは、まあ、守が昨日、頬にアザを作って帰ってきたから、何があったのかなって気になっちゃって……」


 正直に打ち明けたのは、ワンチャンここで聞き出せたりしないかなと思ったからではない。断じてない。


「ああ。それなら、私、聞きました」

「え?! 本当?! 守、何て言ってたの?!」


 思わず前のめりになった私に、ノイバスティはドヤッと(ノイバスティ比)答えた。


「『大したことじゃないよ、大丈夫』と言っていました」

「――――――そう。そうでしたか、ありがとう」

「お役に立てて何よりです」


 心なしか声が弾んでいるノイバスティに薄い笑みを向け、私は「朝の海外ドラマ、見よっか」と声をかけた。


「はい! あれが今一番楽しいです」


 そうして二人並び、民族衣装に身を包んだ登場人物たちの悲喜こもごもを目で追いかけている間に、物事は進んでいたのだった。

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