第4話 違いを認めたその先に

 私たちは話し合い、息子には私がノイバスティの事を知っていると話さないことに決めた。

 ノイバスティから私に伝わってしまうかもしれないと考えて話題を選ぶようなことになったら、息子が安心して何でも話せる存在を奪ってしまうことになるから。

 息子とノイバスティにはこれまで通りでいてほしかったのだ。


 だけど息子と夫がいない昼間の時間は、ノイバスティとお喋りをしながら一緒に昼ご飯を食べたり、おやつを食べたりした。

 とは言っても、ノイバスティは一口で食べ終えてしまうのだけれど。

 ノイバスティの顔の底辺にあるものを口だと思っていたのだけれど、完全にそれは違ったらしい。

 声は頭のてっぺんから出ているようだったけれど、食べ物は腹の蓋をかぽっとあけてそこに突っ込んでいるらしい。

 せんべいでも、茶碗一杯のご飯でも同じだ。

 らしい、というのは、決してその瞬間を見せてはくれないからだ。

 ノイバスティの星では、食べているところを見られるのは恥ずかしいという考えなのだそうで、背中を向ける。

 しかしかぽっと開けているのがわかるし、そこにほいっと放り込んでいるのも背中越しにわかる。

 辞書と食べ物を取り込む場所が一緒なのも衝撃だったけれど、辞書を取り込むときは見せてもよくて、食事を放り込むときは見せてはいけないのが何の違いによるのかわからなかった。

 だがまあそこは日本にも海外から見れば謎の習慣や文化があるのだから同じ事だろう。私たちは大気圏すら隔てているのだから百八十度違ってもおかしくない。

 だから一体どういうルートでどこに吸収されていくのかもまた、そっと謎のままにしておくことにした。


 昼ご飯の後は一緒にテレビを見る。

 再放送のドラマや情報番組は地球の勉強になるといって、正座をしながら見ている。

 息子の部屋でも私にバレないよう見ていたものの、一人だとわからないことだらけでストーリーの理解が難しかったのだそうだ。

 いくら本を取り込んでも口語と文語では違いがあるし、会話の中では言葉の意味も辞書と違って使われているものも多いから。

 バラエティの笑いどころも難しいらしく、広告はもっと意味がわからないそうだ。


「この、『無重力マッサージチェア』というのは、どういうことなんでしょうか。周囲に空気の壁を築いてその周辺だけ無重力にするとかですか?」

「いやいや、これは『無重力みたいな』ってことで、本当に無重力になるわけではないんですよ」

「はあ……。ではなぜ『無重力みたいなマッサージチェア』にしないのでしょうか。情報の正確性に欠けると思うのですが、みなさんは困らないのですか?」

「こういう商品名はイメージ戦略が大事だからなあ。大体の人が推測で『のような』が入るんだとわかるようなものはそういう名前でもいいんだと思います。その代わりに名称があって、そっちはきちんと誤解のないよう基準があるみたいですね」

「名前が二つあるということですか……。冗長なようですが、それが便利だとして発展してきた歴史があるということですね。興味深い。ちなみに、マッサージチェアとはなんでしょうか」

「椅子に座っていると機械が自動で動いてマッサージしてくれるんですよ」

「マッサージは体をさすったり揉んだりするものだと辞書にありましたが、具体的にどのようなものなのですか?」

「ああ。えーと……」


 具体的に。

 具体的にって、どう説明すればいいんだろう。

 架空の人間を相手にエアでやって見せてもいいが、栄養源が違うということからして、肉と筋肉、骨でできているという当たり前はノイバスティには当てはまらないのかもしれないし、揉んでる恰好をしたところで、『で?』ってなりそうだ。

 そもそもノイバスティに筋肉のようなものがないとしたら、説明は難しい。


「ええと。ざっくり言うと、体の疲れをほぐしてくれるんです。筋肉とかを、こう、もみほぐして」

「筋肉。理科と保健体育の教科書にありました。なるほど。人間は筋肉が疲れるから、癒しが必要なのですね」

「ノイバスティには筋肉のようなものはないの?」

「ありませんね」


 どういう仕組みで動いているの? と聞きたかったが、失礼かもしれないと思い踏みとどまった。

 何より、聞いてもわかる気がしない。

 体のことではもっと気になることがある。


「ねえ、そういえば緑色の、その、ねっとりとしたものが廊下に落ちていたことがあるんだけど。あれはノイバスティが……?」


 もしあれが体の一部だったらと表現に配慮した結果、変な言い回しになってしまった。

 けれどノイバスティは「ああ」とすぐに頷いて答えてくれた。


「あれは、うっかり寝ていて元の姿に戻ってしまい、しかもいつの間にやら歩き回ってしまっていたようでして。ご迷惑をおかけしました」

「……というのは?」


 うっかりの範囲が広すぎてそうとしか聞き返せなかった。


「この星を支配している生物とコミュニケーションをとるため、形態を変えたのです。頭はどうにもならないんですけどね」


 なるほど。

 なるほど?

 では、元はスライム状だと? しかも頭だけは今のままで?


「ありがとう。さすがにいきなりスライム状のものにそちらのお顔がのっていたら、私も平常心ではご挨拶できなかったかもしれません」

「生き物が見慣れぬものに嫌悪感を抱くのはどの星も共通のようですね。私も最初は人間たちを見て、なんだこの異形はと戸惑いました。住まいの形も何もかも、物理法則を無視し、快適性を考えていないと驚きましたし。まさか星の環境が違うと、ここまで生活様式が異なるとは思いもしませんでした。私、異星に来るのは初めてでしたので」


 彼が住んでいた星ではどんな風に暮らしていたのか、まったく想像がつかない。

 興味はあるが、「じゃあそちらはどんな住居なんですか?」と聞いても、返る説明に「へえ」と受け入れられるだけのキャパが今の私にはない。だから問い返さずに「そうでしたか」と話を終えた。


 やはり遠巻きに会話を聞いているのと、その姿を目にしながら直接話すのではまったく違う。

 話せてよかったと思う。

 けれど、こんな衝撃的な現実を誰にも話せないのがひどくもどかしい。

 近所のママ友になんて絶対に話せない。

 一番話したい息子にこそ、一番言ってはいけない。

 つまり私は、誰にも言えない秘密を抱えてしまったことになる。


 そうして私は、そこからもっともっと、誰かに言いたいけれど誰にも言えない秘密を増やしていくことになった。

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