第二章 やはり押し入れには同居人がいるようだ

第1話 尊重と信頼、心配と疑念

 私は一晩中考えていた。

 やはり私の早合点だったのではないか。

 押し入れにお友達を住まわせるなんて現実でするだろうか。

 私が国民的テレビアニメの影響を受けすぎているだけなのではないか。


 息子も中学二年生だ。いわゆる中二病といわれるような年代そのものまっただ中であるわけで、すべて息子の妄想という可能性もある。

 その母親である私もすっかりその空気に染まり、小さな勘違いをすべてそこに紐づけて盛り上がってしまっているだけかもしれない。


 けれどもし、本当に押し入れに誰かがいたら?

 あちらが乗り込んできたのか。

 それとも息子が連れてきたのか。

 だとして、脅されているのか。騙されているのかもしれない。新興宗教かもしれない。

 それを確かめるために、親として押し入れにいるお友達の身元を確かめるべきではないのか。

 息子を信じるのは大切だが、まだ社会に出ていない子どもであるということは考慮しなければならない。

 杞憂だったら恥ずかしいとか、自分を守るように間違いだった可能性も考えてしまうけれど、親として考えなければならないのは『最悪のパターン』だ。

 渦中にいる息子は危険に気が付けていない可能性だってあるのだから。

 確かに息子は明るくなったけれど、信用させて後で……という怖い事件にだってなり得る。

 いやいや、そうやって過剰に心配しすぎて、本当に息子にとっていいものだったら、それこそよくない。

 私が下手に介入することによってここにいられなくなり、息子と別れなければならなくなるかもしれない。

 それは私が信頼を失うだけではなく、息子の大事なものを失わせてしまうことになりかねない。


 親として、どちらをリスクととるべきだろうか。

 いや。リスクだけを考えてもいけない。

 いくら中二病と言われる妄想大好きな年頃とはいえ、心だって成長している。

 一人の人間としての尊重も大切だ。

 今はまだ何か起きる気配もないし、今はそっと見守ろう。


 だとしても、それも次の日曜日くらいが限界かもしれない。

 これは息子だけの問題ではない。さすがに所在も知らせず一週間以上もいなかったら警察沙汰になってしまうだろう。

 大きいお友達か小さいお友達かはわからないし、いつから家の押し入れにいるのかもわからないけれど、大事になる前に親御さんと話をしてみなくては。


 そうして頭の中は尊重と信頼、心配と疑念を行ったり来たりし続け、時々やっぱりただの妄想だと思考を放棄して眠りかけてはいや待てよと不安に駆られバッチリと目を開くの繰り返しで、まんじりともせずに朝を迎えた。


 我が家の朝食は、いつも納豆ご飯に目玉焼き、それからウインナーを焼いて、ドンと出すだけ。

 野菜はなけなしの良心のように目玉焼きの隣にミニトマトがちょこんと一つ。

 サラダは用意してもどうせ食べないから頑張るのをやめた。

 スープはインスタント。今の時代は種類も豊富で、野菜が摂れるものもたくさんあるから便利だ。

 おかげで専業主婦ながら、朝食の用意は楽をさせてもらっている。


 ウインナーをぱりんといい音をさせてかじる息子に、軽くジャブを向ける。


「最近友達できたの?」

「うん、実はそうなんだ」


 照れた様子でもう一口ぱりん。

 よかったじゃないか、息子。

 親として素直に嬉しい。

 しかしそれだけで話を済ませるわけにはいかない。

 一晩中悩んだ私は、結局早々に息子に探りを入れることにしたのだ。


「もしかして、それって彼女?」


 相手が異性の場合、より大事になる可能性が高い。

 だからどんなに聞きにくくともこれだけは確かめておかねばならない。

 からかう口調にならないよう、さりげなさ百パーセントを心掛け、目線を外して尋ねた私に、息子はけろりと答えた。


「そんなことはないし、そんなことにもならないよ。男……だと思うし」


 まあ、今の世で男と女に単純に分けるのはよろしくない。

 付き合ってるの? と聞けばよかったかもしれない。いやいやそれでは友達ができたのかと聞いておきながら何を?である。せめて恋人かと聞けばよかった。だがそれだって十分下世話で話が飛躍しすぎだ。

 どちらにせよ失敗だ。

 ただでさえ難題なミッションに挑んでいるというのに、ますます言葉選びが難しい。

 時代に合わせて感覚をアップデートさせていかなければ、自然に適切な言葉など出てこない。

 勉強不足を悔いながら、必死に言葉を捻りだす。


「そう。ところで、学校に留学生とか、帰国子女とかっているの? 昨日ね、テレビでそういう特集やってて、そういえばどうなのかなーって」


 今のはうまい話の切り出し方だ。

 いい加減「なんでそんなことばっかり聞いてくるの?」と不審に思われてしまうから、別の角度から聞き出すことにしたのだ。

 ドキドキしながら「うーん」と考えるように天井に目を向ける息子の返答を待つ。


「確か、同じ学年に帰国子女だって人がいるよ」

「そう。テレビでもやってたけど、言葉の壁とか大変らしいわね。生活してた言語とは別に、日本語を覚えなきゃいけないんだものね」

「あー、でもその人は元々子供の頃は日本にいたらしいから、普通に喋れてるよ。日本語も英語もペラペラってすごいよね」


 じゃあ押し入れにいるのは誰。

 学校の友達じゃないとしたら、どこで拾ってきたのか。

 それこそ親と連絡が取れないではないか。

 学校に相談しても無意味。

 関わる大人が自分だけだとしたら、私がしっかりしなくては。

 とはいえ、一気にあれこれ探るのは危険だ。

 まずは信頼関係を保つことが第一。そろそろ切り上げ時だろう。


「そうなのね。でも新しい友達ができてよかったわ。楽しそうだもん」

「そうかな? 余計な見栄を張る必要もないからかな。何でも話せちゃうんだよね」

「そういう友達は貴重よね。大事になさい」

「うん! それにね、話してるといつも新しい発見があるんだ。自分の先入観とか、固定観念とか、偏見とかに気づかされたり、いろんな価値観や文化があって、自分が知ってる世界だけじゃないんだって知ることができたり」

「そ、そう」


 息子が急激に大人に向かっている。

 思わず圧倒されてしまったが、本心から息子の変化を嬉しいと思う。


 だが母としての状況把握においては、正直詰んだ。

 もうどんな切り口も思い浮かばない。

 これは真正面から突っ込むしかないのだろうか。


 その勇気はまだない。

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