第11話 流れゆく景色

 俺は再び、誰にも見えなくなった。

 今の俺は、俺という人間の残滓なのだろう。

 体はとうに灰になり、煙は大気の一部となっているのだから。

 理の体の中にいるうちに、どんどんこの世界との繋がりは薄れて煙のように消えかけていたのだろうと思う。


 理不尽な死だったが、映画のエンドロールの後のちょっとしたおまけみたいに、静稀の生きている姿が見られたのだからそれで許せよということなのかもしれない。


 薄れる意識の中で、俺はぼんやりと世界を眺めていた。


「一ノ瀬さん……。ごめんなさい。ありがとう。たくさん――ありがとう」


 語彙が全然ないな。理らしくもない。

 俺がいなくなった後も『理』が動き、喋っているのを見て心底から安心した。

 だが理はそのまましばらく、ただ唇を噛みしめるように突っ立っていた。

 そんな理を見て、静稀は泣いた。ただひたすらに。


 家で帰りを今か今かと待っていた母親に『記憶が戻った』と理が告げると、先程いきなり飛び出していったことなど忘れ、こわごわと確かめるように理の頬に触れた。


「本当に?」

「ちゃんと僕だよ」


 そんな答え方をした理を泣いて抱きしめ、「おかえり」と言った。

 まだ生きて十七年だ。間違うこともあれど、理はしっかりと生きていくだろう。


 理の計画の途上で離脱することになるとは、まったくもってオマケでさえも人生は甘くない。

 映画だったら、これからがクライマックスだろうに。

 だが、まあ、エンドロールの片隅に切り取られて流れる『その後』で十分かもしれない。

 桜井と加藤は、結果から言えば理の計画通りだったから。

 しっかりと二人にも種は蒔いてあったのだ。


 桜井に関しては、芽吹いた種はそれはもう、葉が生い茂って周りを覆い尽くさんばかりだった。


 女子グループが桜井と決別したあの日。

 俺はきれいに包装したとあるDVDを、桜井の鞄に潜ませておいた。

 むしゃくしゃしている上に暇を持て余していた桜井は、まったく興味もないDVDでも見てやろうという気になったらしい。

 結果、見事にハマり、さすがは由美さんと唸った。


 先日、由美さんに聞いていたのだ。

 女子高校生がハマりそうなオススメの趣味はないか、と。

 そこで『2.5次元』というキーワードを聞き、早速チケットを手に入れようとしたが簡単に譲渡ができないらしい。

 それでDVDにしたのだが、生の舞台ではなくても十分にドハマりしたようで、それ以来桜井は片っ端からDVDを注文し、舞台を見に行こうと自ら調べ始めた。

 たくさんフォロワーのいたSNSの更新は止まり、かわりに新しいアカウントが作成された。

 そこで2.5次元好きと繋がり、今では濃い、濃ゆい付き合いが育まれている。

 前も今も繋がりは同じネットだが、リアルの友達よりも濃い付き合いができることもあるのだなと俺は初めて知った。

 認識を改めたところで、それを活かす場ももうないのだが。


 加藤はというと、意外なことに陸上部の練習に明け暮れている。

 青春一直線の運動部にでも入ってかき回してやろうと思っていたようだが、そちらはうまくいっていない。

 聖陽高校の陸上部というのは個人主義の集まりなのだ。

 陸上というと個人競技のイメージだし、どこもそんなものなのかもしれないが、ひたすらにそれぞれがそれぞれに自分の記録と向き合っている。

 だが部活顧問である高田が熱血指導をしているし、大会となれば『チーム一丸となって』が決まり文句でみんなもそれに熱く応えているように見える。

 男子は男子らしく下ネタや先生がどうだとかで盛り上がったり、陸上のことも自己ベストが更新できないと聞けば、おまえならできるだとか、愚痴りあったり励ましあったりしているから、なおさら加藤には切磋琢磨する熱い関係に見えるのだろう。

 だがそれは彼らにとって単に息抜きの『おしゃべり』であり、励ましも挨拶を返すようなものでしかなかった。

 ただ同じ部活で同じ時間を過ごしているからそうして過ごしているだけで、他人がどうだろうがさほど関心もないらしい。


 だから加藤がその仲を断ち切ってやろうと仕掛けても、最初から繋がってもいないものは切りようがない。

 ひたすらに手ごたえがないようだが、どこで気づくものか、いまだ一人相撲をしている。

 そんなことをしている間に加藤は長距離走に夢中になっていった。

 ランナーズハイって本当にあるんだな。

 これまでになく充足しているようで、自主的に朝練まで始めた。


 加藤がそんな陸上部を選んだのも、たまたまじゃない。

 度々高田に「最近どうだ?」と呼び出されていた俺は、加藤は刺激が欲しいらしいですよ、マラソンとかやったら意外とハマりませんかね、としていたのだ。

 高田が『白崎理』を常に気にかけながらもいじめという単語を出さなかったのは、気遣いなのか、面倒だから真っ向からは触れたくなかったからなのかはわからない。

 だが、加藤がクラスでどう振る舞っているのかは気づいている様子だった。


「先生の熱血指導する陸上部に入ったら、案外目指すものができて夢中になるかもしれませんね。プライドが高いから人に負けるのを良しとしないし、『ただ走るだけのことで俺が負けるなんてありえない』とか言って毎日練習に明け暮れて、全国優勝でもしそうじゃありませんか?」


 そう話すと高田は「それはいいな!」と大きく頷き、ニカッと笑った。

 加藤も高田にしつこく誘われ、陸上部がいかに楽しいところで、仲間たちが和気あいあいとお互いを高め合っているという話を聞くうち、それをぶち壊すのも楽しそうだと思ったのだろう。

 高田がすべてをわかっていてエサをちらつかせたのか、加藤の悪意が自然とそこに向いただけなのかはわからない。

 ただの快活な、いかにも『先生』という先生に見えるが、俺はなんとなく前者のように思っている。

 加藤をのせるのがあまりにもうまかったから。

 やはり加藤もまだ高校生。

 一段も二段も上の大人の掌となると、転がされていることにも気付かないままに転がされている。

 だがそれが一番幸せなのかもしれない。


 原田はバイトに明け暮れながら、なんとか由美さんに近づこうと悪戦苦闘していたが、先日仕事終わりに二人でご飯を食べに行くまでになった。

 とはいえ、おしゃれなレストランとはほど遠い、ラーメン屋だ。

 原田が奢るどころか、由美さんに餃子を奢られて凹んでいた。

 だが由美さんは近々婚約することだろう。

 もちろん、相手は原田じゃない。

 職場の、頼れる兄さんだ。

 あの人なら由美さんもきっと幸せな結婚生活を送れるだろう。

 原田は残念なことだが、まだ若いのだから次がある。

 今の原田なら、好きな人の結婚を祝ってやれるくらいには成長しているように思う。


 杉本は意外にも、あの後ミサキに猛アタックし、「友達からなら……」とやっとのことで返事をもらい、一歩進展。なんとか友人として頑張っているらしい。

 ミサキは始め距離をとっていたが、杉本が次第に誠実な態度を示すようになると、おそるおそるではあるが、少しずつ距離を近づけることを許すようになっていった。

 あの感じでは二度と会うまいと思っていたのに、まさかの合コン一回目で理の計画通りにいくとは。


 ただ、ミサキが杉本と友人関係になったのは、思惑があってのことだ。

 ミサキは自分で事業を起ち上げたものの、それは新しい客や関係先と関わらねばならないということでもある。そこにミサキが苦手とするような相手がいるかもしれない。

 だから少しずつトラウマを解消するため、まずは年下から慣れなさいと由美さんに背中を押されたのだ。

 ちなみに、杉本がいじめをしていたことは、今はもうミサキも由美さんもなんとなくわかっている。

 杉本自身が言っていた通り、普段の言動からその性格は滲むものだ。

 それでもミサキが友人として付き合いを続けているのは、何故いじめなんてことをするのか、何故自分がいじめられなければならなかったのか、その答えを知りたいからだそうだ。

 いつか打ち解けた時。杉本は必ずその質問に向き合う時が来る。

 その時杉本が何と答えるのか。

 俺はそれを知ることはできないが、ミサキが前に進むことができればいいと心から願っている。


 竹中は無事母親とシェルターに逃げ込み、そこで準備を整えて二人で暮らす家を探している。

 高校も転校することになるだろうし、まだ大変なことも残っているだろうが、竹中の母親はとても穏やかに笑っていた。

 もう、足も引きずってはいない。

 竹中は一気に背負う物ができて、顔つきが変わった。

 穏やかとは言えない顔だが、そうして竹中は大人に一歩ずつ近づいていくだろう。

 そして竹中もまたいずれ、過去の自分と向き合う時がくるはずだ。

 息子が他人に暴力を振るっていたことを、母親は知っているのだから。

 今は今を生きるのに精いっぱいかもしれないが、いつかふと息を吐いた時に心の内の問いを息子に投げかけるかもしれない。

 竹中はずっと、自分が他人に暴力を振るうことで、父親から暴力を受ける母親を間接的に苦しめてきたのだ。

 もう誰のこともいじめていなくても、誰にも暴力をふるっていなくても、過去が消えるわけではない。

 その過去の上に今の竹中は立っているのだから。


 桜井とつるんでいた女子グループは、青春を取り戻そうとするかのように、毎日パンケーキやらおしゃれなカフェやら遊ぶのに忙しいようだ。

 遊ぶ資金が尽きては短期のバイトをして、また遊びまくるというなんとも青春らしい青春を謳歌している。




 流れゆく景色が春の色を見せ始めた頃。

 桜井の私生活は充実していたが、学校にはほとんど行かなくなっていた。

 もう居場所がないのだ。

 授業で班分けをしなければならない時、最初のうちは桜井一派だった女子グループが「二度とハブるとかしないなら、一緒に組んでもいいよ」と誘っていたのだが、桜井はそれを突っぱねた。

 下に見ていた人間から差し伸べられた手を取るなんて、プライドが許さないのだろう。

 それで加藤一派と同じ班にいたのだが、それぞれがそれぞれの方向を向いている上にいじめという共通の遊びの素材がなくなり、一緒にいるのが楽しくなくなったらしい。

 自然と喧嘩が増え、加藤一派は瓦解した。

 そうなると桜井は学校に来る意味が見いだせないと言い、来なくなったのだ。

 オンライン授業だってあるのに、何故毎日学校に行かなければならないのか、意味がわからないと憤ってさえいる。

 桜井はそこでしか過ごせない友人との時間をくだらないものと切り捨てたのだから、わからないのも当然だ。

 桜井は桜井なりの道を進めばいい。

 自分に必要なものを取捨選択し、道を切り開いていけばいい。

 行動力も根性もある桜井なのだから、どうとでも生きていくだろう。


 加藤もまた、ますます教室でイライラするようになっていった。

 相変わらず熱血の邪魔をしようとしているし、部活には打ち込んでいるが、大会の成績がふるわないらしい。

 高校からいきなり陸上を始めて芽が出る人もいるというが、そればかりなわけもない。

 加藤にはセンスがあると高田も目をかけているが、いいところまでいくものの『一位』にはなれない。

 腐り、苛立ち、砂を蹴りながらも、自分自身こそがままならないという現実を突きつけられている。

 そしてもう一つ壁があった。

 他校との合同合宿に参加するメンバーに、加藤は選ばれなかったのだ。

 何故だと食ってかかった加藤に、高田は『おまえにはその資質が不足しているからだ』と答えた。

 始めたばかりなのだから当たり前だと笑って肩を叩く部員もいたが、その隣で別の部員は淡々と言った。


「いじめをするような人間を他校との大事な合宿に参加させられるわけないだろ。問題を起こせば聖陽の陸上部全体が大会に参加できなくなるんだから」


 加藤はそれをどう聞いたのか。

 表情を変えず、言い返すこともなくトレーニングに向かっていったから、何を考えているのかはわからない。

 だがいつか加藤も向き合う時がくればいいのにと思う。

 そんな日は来ないかもしれない。

 悪いことをした人間が全員改心するなんてことはないのだから。

 死ぬまで悪い奴なんていくらだっている。

 加藤がいつかどこかで誰かと出会い、自分がしてきたことを悔いるのか、ずっと他人を踏みつけて生きていくのか、それは俺にはわからない。


 ただ――。


「加藤くん」


 トレーニングウェア姿で振り返る加藤はいぶかしげで、眉を顰めていた。

 声をかけたのは理だった。

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