第3話 当事者たち

 掃除当番は男が三人、女が二人。

 やはり互いに顔を見合わせず、それぞれに教室に入ってくる。

 その先頭にいた男――たしか斎藤だったか――が虚勢を張るように鼻で笑った。


「だから『僕をいじめるな』って? 『僕を助けろ』って言いたいのか? あのなあ、白崎。確かに俺たちは加藤とその仲間に命令されて使われてるが、それで平和に暮らしてんだよ。それを変えたいなんて思ってない。だって、誰が何て言ったって、これ以上の平和なんてあるわけないんだ。記憶喪失のおまえは覚えてないかもしれんが、白崎自身がそれを証明したんだよ。やられてる奴を庇えば今度は自分がやられるだけだってな」


 せっかく庇った奴をまた誰かが庇ったら意味がないだろ? と斎藤はさも理の自己犠牲精神を尊重しているかのように言い足した。

 そういう反応もあるだろうとは思っていたが、何人かの目は床を見ていた。何人かの目はそっとこちらを窺っていた。それらにはあえて目を合わせず、続けた。


「別に全員が同調するとは思ってない。だがお前らの中には、こんなことしたくないし、よくないと思ってるけど少数派になりたくない、って思ってるやつがいるだろう。そこのおまえだって、自分がいじめられたくないからやってるんだろ? それ、このクラスに何人いると思う。それって本当に少数派だと思うか」


 加藤はグループのメンバーだけでなく、クラスメイト全体を巻き込み、三十七人対一の構造を作る。

 理一人をいじめるのに、三十七人分の手足を使っていたのだ。

 弁当を捨てさせるのも日によって違う。

 うざがらみをしてくるときも常にクラスの誰かを巻き込み、会話に加わらせる。

 そうして自分がターゲットになりたくないと思わせ、全員を加害者にすることで密告させず、クラスを支配していたのだろう。

 たった一人で歯向かえるわけがない。そう思わせるために。

 だが彼らも、桜井の女子グループも、一人ではない。


「うるせえし、うぜえ。勝手にやってろよ。俺、帰るわ」


 変化の瀬戸際に立っているのが怖いのだろう。

 斎藤が逃げるように鞄をつかみどかどかと教室を出ていこうとし、その後に同じように二人がならおうとするのを横目で眺めながら、静かに問いかけた。


「本当におまえらは無関係なのか? 人が一人死にかけたんだぞ」


 三人の足がぴたりと止まる。


「その状況を作ったのは加藤だ。だがおまえらも加害者の一人だ。だから俺はおまえたちにこいつの言いたかったことを代弁する義務がある」

「俺たちがいつ何をした? 俺たちはやらされてるだけだって、さっきから言ってんだろうが! それに、『こいつ』って……。お前さっきから何なんだよ。ついに頭おかしくなったのか? 現実逃避かよ。自分が嫌われてるって認めたくなくて、他人事のフリか」

「お前、本当に理が嫌われてるからいじめられてると思ってんのか?」

「空気も読めずに余計なことするから悪いんだろ!」

「それはいじめられてる奴を庇ったことか?」

「……そうだよ。誰も頼んでないのに偽善者ぶって、和を乱すから悪いんだろ。庇われた奴だって立場がないじゃねえか。どんな顔して学校に来ればいいってんだよ。なのに、自分は何もなかったみたいな顔して、加藤に何を言われても素知らぬ顔で……さっぱり何考えてるかわかんねえし」


 そういえば、理が庇った奴は今学校に来てないんだったか。


「庇ったことを責める奴がいるとは思いもしなかったな。こりゃ相当クラス全体が腐ってやがらぁ……」

「おまえは何も覚えてないからわかんねえんだよ! ずっとこの異常な環境にいたら、その中で得られる最大の平和が何かなんて痛いほど身に染みてわかっちまうんだ。それを逸脱しようとするのが悪い! みんなと違うところがあれば標的にされるのはわかってるんだから、目立たず騒がず静かにしてないのが悪いんだよ」

「そうやって誰かが犠牲になることを『仕方がないこと』にして、楽になろうとしてるだけだろ」


 仮に理が誰も庇わなかったとして、そのいじめられてた奴の髪型がみんなと違うのは悪いことだったのか?

 どうやったって違いは誰にでもある。

 悪い所だって探せば誰にだってある。

 だったらいじめていいのか?

 そんなわけはない。

 そもそもいじめる奴が悪いに決まってるのに、何故その周りが『仕方がない』理由を探さなければならないのか。


「――うるせえよ!」

「本当はいじめられてる奴を庇った理をこそ見習うべきで、それができない自分の弱さを正当化したいから『放っておけばいいのに余計なことをした馬鹿な奴』『むしろ悪化させてみんなに迷惑をかけた』ってことにしたいんだろ」

「うるせえって言ってんだろ! それになんなんだよ、さっきから『理』って」

「こんな俺と理が同じ人間なわけねえだろ」


 さらりと言えば、ざわりと何かの空気が教室に走っていくのを感じた。

 理は俺が何を話すつもりかわからないのだろう。不安そうに傍に寄ってくる。

 俺もここまで話すつもりではなかったが、もう止められない。


「こいつは、理は、ビルから落ちたとき加藤と一緒にいたんだよ。加藤が押したのか、理が自ら落ちたのか、俺は知らない。だがどちらであってもその意味はわかるだろ? 不幸にもたまたまその下を歩いていただけの無垢な市民も巻き込まれた。理の体はそれほどひどい傷を負わなかったが、代わりに下敷きになった体はぼろぼろで、今も眠ったままだ。理の魂は落ちたときの衝撃で体から抜けたのかもしれない。空っぽになったそこへ、俺が入っちまった。理は今もここで漂いながらお前らを見ている」


 ちらりと理を見上げると、何故話したのかという戸惑いを顔に浮かべ、けれど何も言わず黙っている。


「やめてよ! 脅すつもりならもうやめて」


 掃除当番の女子二人は顔を白くして本気で怯えているようだった。

 だがやめるわけにはいかない。怖いからと言って自分のしたことから逃げていいわけではない。怖いのは自分に罪があると認めているからだ。

 髪を二つに結った一人がもう一人の肩に触れながら、恐々話し出す。


「ねえ、でもずっと気になってたの。白崎くん、この街で生まれてここで育ったはずなのに、退院した後から、なんか、微妙に話し方が違う」

「そういえば……毎日教室に入ってくる時、欠かさず挨拶するよね」

「それは、自分がいじめられてたとか、どういう奴かって忘れてるからだろ」


 二つ縛りの女子は「そうかもしれないけど。私が言いたいのはもっと根っこのところっていうか……」と言葉を探すように首を傾げた。


「言葉も違和感があるんだよね。乱暴な言葉遣いになったせいだと最初は思ってたんだけど。なんていうか、イントネーションが違わない? そういうのって生きてきた背景とか環境によるものだし。急に変わったりするかな」

「ああ、確かに俺は東北出身だからこの辺りとはイントネーションも違う。高校を出てからずっとこっちだし、もうなまりなんて消えてると思ってたんだけどなー」


 言い当てられた恥ずかしさに、後半は小さく口の中で呟いて、ぽりぽりと頭をかく。

 もう一人の女子生徒がおずおずと話し出した。


「うちのお母さんも単語はこっちの言葉で話すけど、どうしてもイントネーションだけはなおらないみたいで、いつも恥ずかしいなって思ってた……。こういうのって、真似してできることじゃないと思う」


 最後はしっかりと目をあげてじっとこちらを見つめていた。その目には怯えもあるが、真実を確かめようとする色もあった。


「ねえ、じゃあ理くんは死んじゃったってことなの?」

「どうだろうな。今はここにいるけど、俺がこの体から抜ければ理は戻れるかもしれないし、そのまま体も魂も両方死ぬかもしれん。だが、それはやってみないとわからんし、やり方も知らん」

「なんだよ、そんな怪談話は合宿ででもやってキャーキャー好きに騒いでればいいだろ。茶番に付き合ってなんかいられねえよ」

「理が死ななかったのはただの結果論だ。人が一人死にかけたってのに、まだ関係ないって自分に言い訳するのか」

「それだって、全部加藤だろ!」

「日々の暴力、つまり傷害罪と知りながら何もしなかった場合、幇助罪に当たる。お前たち全員、立派な犯罪者だ」


 やめて、と理が透けた姿で必死にとりすがるのがわかった。これ以上みんなを責めないで、追い詰めないで。そう言いたいのはわかったが、無視した。はっきり言って、頭にきていた。


 同じクラスにいながら、彼らは誰も理を助けなかったのだ。

 そうして理は死の淵に立たされたのに、それでも今も変わらず加藤の手足となっている。

 全部加藤が悪い。そんなことはわかっている。

 誰だって加藤が怖い。そんなこともわかっている。

 だが人が一人死にかけてさえ、誰も動かないのか? 

 人の命はそれほど軽いのか?


「俺は怒ってる。嘘の平和にしがみついてるお前らに。高校卒業して後で振り返ったときに『楽しかった!』って何のてらいもなく言えない、そんな高校生活に何の未練がある? そんなものの何が大切だ? 何を守ろうとしてる? お前らがこの生活から得るものはなんだ? 一回しかない高校生活がこんなクソったれな毎日でいいのかよ。何故何もしない!」


 感情的になりすぎた。肩を上下させていた息を静かに整えていく。


「少数派だと思うやつは声をあげにくい。だからなおさら自分を少数派だと思う。だけど考えてみろよ。いじめを心底楽しんでるやつがこのクラスにどれくらいいる? 加藤やらその取り巻きの何人かだけなんじゃないのか。お前ら、こいつをいじめて鬱憤が晴れるほど歪んでるか? 家に帰って『ただいま!』ってスッキリ笑えるやついるか? 今日も楽しかった、って毎日笑えてるやつがこん中に何人いる?」


 それぞれの表情は様々だった。

 俯きがちに考えているようなのもいるし、責められていると思って気まり悪げにしている者もいるし、苛立ちをあらわにしている者もいる。

 わかっている。みんなこう言いたいのだ。


『だけどしょうがないじゃないか』


 後ろの女子グループを振り返り、ぐるりとそれぞれの顔を見渡した。

 先程とは違い、全員が目を伏せている。

 俺は掃除当番たちのほうへと顔を戻した。


「なあ。自分がやられるのが嫌だって思ってるやつがどれくらいいると思う。それは加藤を含めてこのクラスの全員なんじゃないのか。それって、多数派メジャーなんじゃないのか」

「だからだよ。誰だって自分がやられたくないからやるんだ。仕方ないだろ。いじめは絶対になくならない。弱いやつが悪いんだ」

「なるほど。そうやって弱いやつがいじめられて死んで、今度は次に弱いやつがいじめられてまた死ぬわけだな。そんなサバイバルな世界に生きてて、よく他人事でいられるな。この状況で自分が無事卒業できるなんて思うのか? 理は死にかけたんだ。その理がいなくなれば次は誰だ? その次は? 現実逃避してる間に自分の番になって死ぬぞ」


 誰も何も答えない。

 俺はさっきしまいこんだ言葉を吐き出した。


「理に悪いところがあっていじめられたんなら、次はこのクラスの誰が標的になってもおかしくない。完璧な人間なんていないんだからな。自分が標的になって、言われるんだ。『おまえが悪い』ってな」


 ちゃんと想像しただろうか。

 自分がいじめられるその時を。


「そんな理不尽、あるか?」


 俺は悪くない。

 そう思うんじゃないのか?

 いじめられるような悪いことなんてしてない。なのに何故? どうして自分なのか。

 納得できず、苦しむんじゃないのか。

 それなのに誰も助けてくれない絶望感を、今だけでもいいから考えてみてほしい。


「そうなった時、おまえらは誰に、どうしてほしい?」


 考えてほしい。

 自分のことを。


「それを今、おまえ自身が何故やらない?」


 俺から思うような反応を得られない加藤は間を置かずに別のターゲットを見定めるだろう。

 だが今すぐ加藤をどうにかできるわけではない。

 俺は何をされても平気だが、他人までは守り切れない。

 俺一人ではどうにもできないのだ。

 だから、他人事ではなく自分たちの頭で考えてもらうしかない。

 されるがまま、流されるのではなく、自分で自分の人生をどうしていくのかを。

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