第9話 権力も暴力も振りかざす相手は下にいる
竹中か。
戻ってくるなら完全に瓦解してからがよかったが、そこまでは間に合わなかったな。
「何か月も休んでると留年になるもんな」
「うん。明日から学校に来るみたい」
「そうか。そうなると厄介だな。せっかく離れかけてた杉本と原田が引き戻される可能性がある」
事故のことがあったから様子見をしていたのか、これまで加藤一派は悪ノリと物に対する損壊くらいで、さほど大きなことはやらかしてこなかった。
だが竹中はとにかく手が早いという。
理の計画を壊すわけにはいかないと、何をされてもこれまで我慢してきたが、手を出されればうっかりやり返してしまうかもしれない。
「学校に来る前になんとかしたほうがいいかも」
「そうだな。じゃあ、今から行くか?」
理を見上げると、じっと考え込んだ後、うん、と頷いた。
相手が竹中一人のほうが俺も動きやすい。
他の人の目を気にしなくて済むからだ。
「大人しく家にいろって言われてたみたいだから、たぶん今も家にいるんじゃないかな」
「よし。そしたらおびき出して、公園ででも決着つけるか」
「おびき出すって、どうやって?」
そんなのは、一つしかない。
理に案内され、竹中の家に辿り着いた俺は、すぐさまドアホンを鳴らした。
「……一ノ瀬さんてさ、考えてるようで考えてないよね」
「呼び出し方法なんてこれ一つだろ。とにかく出てこさせればいいんだし」
別に友達を遊びに誘うのにいちいち家まで行ってたアナログ世代ってわけじゃないが、連絡網から竹中の家に電話したとて切られたら終わりだ。
「確かにその通りだけど。その後はどうするの?」
「まあ、見てろって」
結構な間の後、ドアホンから「はい」と低い声が返る。
訝しむような、様子をうかがうような声色だ。
ちらりと理を見上げると、これが竹中の声だというように頷く。
きっと竹中の側に誰か大人がいるのだろう。
ドアホンにはレンズがあるからモニターでこちらの顔は見えているはず。それでも竹中自身が出たのは、友達だろうからあなたが出なさいなどと言われて、無視することもできなかったに違いない。
「聖陽高校二年四組の白崎です。先生からプリントを預かってきました」
A4サイズの角形封筒をカメラに向けてそう答えると、ぶつりと途切れるような電子音が聞こえた。
ややしてTシャツ姿の竹中が不審げな顔で現れる。
「何でおまえが?」
「ちょっと用があってね。少し外に出られないか?」
俺の答えに、竹中は眉を顰めた。
「おまえ、誰だ?」
最近はもうすっかり理のフリは諦めている。
理が誰かと話している姿なんて見たことがないし、器用でもないのによく知らない他人の真似なんぞできるわけがない。
おとなしめの高校生くらいには見えるよう頑張っているのだが、自分から遠い人間像というのはどうにも馴染まず、うまくいっていない。
丁寧に話しているつもりでも不遜に見えるらしい。
だが竹中には最初から装うつもりはなかった。
「そりゃあビルから落ちたんだ、人も変わるさ」
へらりと笑った俺に竹中はますます眉を寄せたが、はっとしたように玄関の方を振り返った。
「いや、なんでもない。少し出てくる」
母親に何か言われたのか、そう答えた竹中は世界を遮断するようにガチャリと扉を閉めた。
『白崎理』は竹中がこの家にいられるかどうかのトリガーだ。
どんな話になろうと聞かれたくないだろうことは間違いないが、思ったより簡単に連れ出せた。
竹中は不本意そうに早足で前を歩く。
「で、どこへ行けばいいんだよ」
「人目がある場所で、かつ落ち着いて話せる場所」
「なんだその警戒心むき出しの女みてえな場所指定は」
「そりゃそうだろ、人目がなきゃ何されるかわからんし、話をしに来たんだから話ができなくても困る」
竹中もそれなりに女遊びをしていたようだ。
でなければそんなたとえは出てこない。
いつの世も悪い男は一定にモテる。
竹中は近くの公園へと入ると植込み近くに並ぶベンチの前で足を止め、腕組みをしながら俺に向き直った。
「記憶喪失のおまえが、何故俺のことを知ってる?」
「学校に通い出せば嫌でも耳にするさ。休んでるとはいえ、カースト上位で目立ってた存在なんだから」
「だったら、その俺に何を話そうってんだよ。『もうボクをいじめないでください』って態度でもねえな?」
「これを渡すためだ」
そう言って手にしていた角形封筒を差し出すと、竹中はばっと手荒く受け取る。
不審げな顔でガサリと中を確かめ、何枚かの紙束を引っ張り出すと、すぐに険しい顔になった。
「……なんだよ、これはよ」
「書いてあるだろ? DVから逃れるためにやることリストだよ。相談先の一覧とその連絡先もある。って言っても、お悩み相談が目的じゃない。避難先とか民間シェルターの場所は一般に公開されてないことが多いから、相談先から紹介してもらわないと、逃げるに逃げられないんだよ。だからそこでしっかり事情を説明して、間違っても逃げた家族を追いかける側だとは疑われないようにしないといけない」
「おまえ……っ」
「どんな証拠を残しておけばいいかも具体的に書いてあるし、逃げる時の注意事項なんかもある」
「だから、なんでそんなものを俺に渡すんだよ!」
カッと顔を赤黒く染めて今にも掴みかかりそうな竹中を、俺は一歩も動かず真っすぐに見た。
「親父からDV受けてるんだろ? おまえもおふくろさんも」
「なんでおまえがそんなことを知ってる? そもそも記憶喪失じゃ」
「机の上にこの封筒が置かれてて、住所が書かれたメモがあった。持ってくつもりだったんだろうと思ってな」
「あの事故の前に? 白崎が、なんで……」
なんでと繰り返す竹中は怒った顔をしながらも、まるで子どものように感情がむき出しだった。
「さあな。だが本当にそうなら、おふくろさんに渡してやれよ。もちろん、おまえもしっかり読んでおけよな。これからはおまえが助けてやらなきゃならないんだから」
「ふざけるな! いきなり来てベラベラと喋って、人ん家に踏み込むんじゃねえ!」
「暴力という手段で他人の身体領域に無断で踏み込んできたおまえに言われたくないね」
その言葉に竹中はきつく俺を睨む。
「暴力の理不尽さを一番わかってるはずのおまえが、何故学校で同じことをしてた? それを知ったおふくろさんの気持ち、考えたことくらいあるだろ。それとも俺やクラスメイトを見下してたのと同じように、一方的に殴られてるだけのおふくろさんを情けないとでも思ってるのか?」
「そんなわけねえだろ! 力の強い男に女が勝てるわけがない。物理だけじゃない。家でも外でも権力振りかざしてやがる奴に、何ができるってんだよ!」
竹中が母親を気遣っているのは先程のやり取りだけでもわかった。
聞かれたくないだけなら扉を閉めるだけでよかったはずで、場所を移動したのはモメているところを母親に見られたくなかったからだろう。
これまでも父親から母親を守ろうとしてきたのかもしれない。それでも父親をどうにもできなかったのかもしれない。
だが、俺は竹中の葛藤なぞ知らない赤の他人だ。
それこそ竹中の家の事情を学校という他人だらけの場所に持ち込まれても、まったく関係がない。
そこを理解し、気遣い、慮ってやるのは人の善意でしかない。
そしてそんな善意を向けられるような態度をしてこなかったからこそ、『理』の行動は理解できないことだろう。
理の葛藤や苦しみを知ろうとしない限り。
だが俺にも竹中は心底理解できない。
「だから。それがわかってて、何で理に暴力を振るったんだよ。どう考えたって、こんなひょろひょろの体の男がおまえに暴力で勝てるわけがないのに。カースト下位の理が、カースト上位で権力と暴力を振りかざしてる男に何ができるっていうんだよ」
ぎっと睨みつけるように竹中の目を見れば、ぐっと歯ぎしりをして言葉を止めた。
こんな奴の事情なんぞ知ったことじゃない。
だが理にとってはそんな簡単に切り捨てられる話じゃない。
何故こんな目に遭うのか。何故痛い思いをしなければならないのか。理不尽の理由をずっと探してきたはずだ。
理由があったからといって許せるわけじゃない。
だが理由が見つからなければ心は耐えられなかったのではないだろうか。
こんな冷静で苦しい計画を立てるに至るまで、理は自分を苦しめるものの正体と向き合い続けてきたはずだ。
泥臭く、辛い記憶と憎しみや恨みに苦しみながら。
透けた姿になって人に知られず情報を集められるようになっても、理に人の心までは読めない。
問うことのできない理の代わりに、俺は真正面から竹中の答えを待った。
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