第6話 過去を振り返ってもそこに未来はない

 それより二日前の水曜日のこと。

 理の部屋のベッドに寝転がり、漫画を読んでいたところにスマホがブルブルと着信を知らせた。


「はい、いち……白崎です」


 相手は由美さんだった。

 一通りの挨拶を交わすと、由美さんはにこやかな声で続けた。


「原田くん、しっかり働いてくれてて、力もあるし、スタミナもあるし、評判いいわよ。いい子を連れてきてくれて森脇さんも感謝してたわ」

「そうですか、それならよかったです」

「それでね、この間の話だけど、原田くんに話してみたら喜んでくれたわ。友達に聞いていた通りの子がいるみたいね。たまたま予定が合って、今度の土曜日に会うことになったの」


 思ったよりも話の展開が早い。

 それだけ双方乗り気だということだろう。


「ありがとうございます。彼は年上の女性が好きなんですが、大人の女性はナンパの成功率も低くて、相手にされない、出会いがないっていつも嘆いているので。由美さんたちと合コンできることになって、相当気合いも入ってると思います」


 もちろん話しているのは杉本のこと。

 そんなことをいつも教室で話していた杉本に、理は考えたのだ。

 杉本の前に年上の女性をちらつかせれば夢中になるだろうし、大人な女性と付き合えばいじめなんて子どもっぽいことから離れるのではないかと。

 彼女ができれば、というのはそれだけでもいい案だが、年上の女性というところがなおいい。

 高校生男子にとって社会人として働く大人の女性と会うことは非日常であり、没入感がすごいらしく、同じ年ごろの彼女よりも、より深くハマる奴が多い。

 もし別れたとしても、さほど心配はないだろう。

 子どもであることをバカにし、早く大人になりたいと思っている高校生男子が一度大人の世界に入れば、戻ってくることはない。

 元居た場所はさぞ幼稚に見えることだろうから。

 それで交友関係が広く、よく合コンをセッティングしていた由美さんに、あの日声をかけておいたのだ。


「うふふ。私みたいなアラサーはさすがに対象外でしょうけど、二十歳の子と二十四歳の子がいるわ。みんなで楽しく食事ができるといいわね」

「いえいえ、高校生から見たって由美さんは魅力的ですよ。由美さんも気に入る奴がいたらどうぞいくらでも持って帰ってください」

「さすがにそれじゃ犯罪になっちゃうわ。私は若人たちを見守る係よ」


 会社で会った人だから敬語で話してはいたが、由美さんの年齢は知らない。

 ただ、年齢によらずそういう性分なのだと思うが、面倒見のいい由美さんはよくこうして合コンをセッティングしてくれた。

 自分からグイグイ行く人ではなく、周りが楽しめればそれでいい、その中で誰かにいい出会いがあればいい、そんな風に考えていて、いつでも自分は二の次なのがもったいないといつも思うのだが。

 由美さん自身は年下好きということではないが、そういう女性はわりと多いと話していたことがある。

 逆光源氏的に育てたい、自分色に染めたい、愛でたい、バカでかわいくて癒されるなどなど、元々年下好きではなくても、付き合ってみたらハマってしまったという人もいるらしい。


 電話を切ると、傍で見守っていた理が「これでうまくいけば、二人片が付くね」とにっと笑った。

 原田は加藤から離れるつもりはないだろう。

 だがこれで杉本も他に交友関係ができて距離ができれば、加藤一派はそこから崩れていくかもしれない。

 竹中はまだ戻ってくる様子もないし、そうなれば桜井と加藤の二人だけだ。

 まだ序盤でありながら、意外とこの作戦はうまくいくかもしれないと思えた。


「合コンかあ。一緒にご飯を食べて、それの何が楽しいのかわからないけど、杉本くんはすごく食いついてたからよかったよ」

「まあ、楽しいかどうかは人によるだろうけどな。参加する目的もそれぞれだし」

「ふうん。一ノ瀬さんもよく合コンに行ってたの?」

「俺も由美さんに誘ってもらったことはある」

「それで彼女はできたの?」

「まあな。だからそれからは行ってない」


 二回目の合コンに行ったら、一回目にいた人が何故かまたいた。

 それで親しく話すうち、どうやら俺を目当てに二回目も参加したらしいとわかった。

 別に俺はイケメンでもないし、学歴もない。人から褒められるところなんてないのになんで? と思ったが、なんとなく話していていいなと思った、というのが理由だった。

 生まれも育ちも好きなものも全然違う。これまでお互いに傍にいなかったタイプの人間だった。

 だが戸惑いながらも何度かデートを繰り返すうちに、なんとなく居心地の良さを感じるようになった。

 そうして付き合うようになって。俺の人生は変わったのだ。

 それまで何のために生きているのかわからず、ただ生きながらえているだけだったのが、こんな日々をずっと過ごしたいと思うようになった。

 だからそれまで以上に働いた。

 自分のためではなく、一緒に生きるために。俺のできる限りの力をもって、幸せにするために。

 そうして、家族になりたかった。

 一緒に家族を。作りたかった。


「彼女か。僕にはまだよくわからないや。誰かを好きになったこともないし」

「俺も高校生の頃はそんなだったよ。あいつに出会うまでは、生きてんだか死んでんだかわからん毎日だったしな」

「よく人生が変わったって言うよね。僕もそうなるのかな」

「さあな。それは自分でその身になってみないとわからん」

「まあ、そりゃあそうだよね」

「だから死ぬなよ。おまえは生きろ」


 笑っていた理は、真面目な顔になって俺をじっと見た。

 だが、返事はなかった。


 自分の犠牲になって死んでしまうかもしれない人間がいるのに、生きるとは言えなかったのか。

 それとも。


「ごめんなさい。一ノ瀬さんの彼女さんも心配してるよね。結婚する予定なの?」

「いや。もうあいつとは――」

「いらないことを聞いてごめんなさい」


 俺が言い淀むと、空気を読んだ理はすぐさま話を終わらせた。


「とにかく、杉本くんだね。うまく食いついてくれるといいな」

「ああ」


 今見るべきは、終わった過去じゃない。未来だ。

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