第5話 カースト社会の生き延び方
高校入学後、理の友人関係はそれなりで、平穏に過ごしていたらしい。
学校を離れてまで遊ぶような特定の親しい友人こそいなかったが、クラスメイト達とは会話もあったそうだ。
それが高校二年では、クラス内のカーストがはっきりとした形をもって現れた。
進学校にはそんなものなどないのだろうと勝手に思っていたが、どこにでもそういうものは自然発生するようだ。
理いわく、進学校ではあれど勉強だけがすべてという校風ではなく、スポーツにも力を入れているのだそうだ。
スポーツ推薦で入学した生徒もいて、成績に差もある。
そういう生徒を馬鹿にする奴もいるが、逆に大会で目立つ成績を上げれば尊敬の念を集めるというのは想像に難くない。
だが怪我をして選手としての道が絶たれると、今度は勉強の成績のみで進級要件を満たさなければならなくなるため、黒いものを抱えた生徒が生まれやすいのだろう。
そうした軋轢があるから勉強しかできないことを馬鹿にする人もいるし、模試で全国上位に入ればやはり進学校だけあって誰もが一目置く。
違いがはっきりと目に見えるからこそ、そういう対抗意識や『上下』が生まれやすいのかもしれない。
全員が成績向上やスポーツに一心になっていれば他人にかまけている暇などないのかもしれないが、進学校といっても中途半端で、スポーツも最後までやり遂げられるか芽が出るかは分かれる。
夢中になれるものがある人とない人の温度差が大きいというのが、またいじめに向かいやすかったのだろう。
理自身はカースト下位に位置づけられていたそうだ。
成績はよくとも一番ではなく、特に裕福なわけでもなく、秀でた一芸もなく、大人しい性格で目立たないとそんな評価になるらしい。
それでも本人がそんなものを気にしなければないのと同じことで、理はマイペースに過ごしていたようなのだが、夏休みが明けて状況が変わった。
久しぶりに登校すると、クラスは夏休みの浮ついた空気を引きずっていて。
そうしてこれから始まる学校生活に、「あー、まじでだりぃ」「なんかおもしれぇことねえかな」とカースト上位は『何か』を探していた。
そんな時に、たまたまクラスのボス的存在である加藤がカースト下位の生徒をいじり出した。
「おいおいー。なんだよその髪型。ナスビちゃんですか?」
加藤が喋ると場が一気に凍るのだそうだ。
誰もが目をあわせるのを恐れ、下を向く。
それは加藤が気分次第で誰にでも矛先を向けるからだ。
「きゃはは! 美容院で丹精込めて頭にナス植えてもらったの? それを大事に育てて学校まで来ちゃうとか健気~」
待ってたと言わんばかりに女ボスの桜井がのっかる。
「あいみ、おまえ褒めんの天才的なー」
女好きだが夏休み中にフラれたばかりらしい杉本があいみにしなだれかかるも、邪険に振り払われる。
いつもそのメンバーと共にいるスポーツ推薦の原田と腕っぷしの強い竹中もにやにやとその様子を見ていた。
その五人が理のクラスのカースト上位だが、彼らと中間層には絶対的な隔たりがあった。
加藤一派であるか否かが大きな違いで、どんなに成績がよく、スポーツが得意でも、上位にはなれない。
だからその悪ノリに乗っかるのは加藤一派だけで、他の生徒たちはみな視線を合わせず黙り込んでいた。
加藤が従える竹中が怖いからだ。すぐキレる上に、これまで上級生とも何度か乱闘しているが、その度に親に揉み消されていた。
その竹中や女ボスである桜井が何故加藤一派としてつるんでいるのか。
それは加藤の人を痛めつける言動が思い切りがよく、彼らを楽しませてくれるからだ。
進学校の中にも、真面目に勉強や運動に励むばかりではつまらないと思う奴が必ずいる。
だが多くはそれを抑え込んでいるのだ。
加藤はそれを真っ先に解放して見せた。
いわば悪ノリという奴だが、固い空気を突き破り、いち早く自由を手にして見せた加藤に、奴らはカリスマ性を見たのだろう。
鬱屈としていた竹中や桜井が加藤とつるむようになれば、強い人間の下に集まる人間が必ず出てくる。
そうして一派が形成されれば、勉強や運動に励むために入学した生徒たちはそこには関わらないよう距離を置く。
その空気が奴らを刺激し、また増長させた。
そうしていまや加藤はクラスの空気を支配していることを自覚していて、中間層である生徒に「なあ?」とふる。
「おまえも畑に埋めたくなるだろ?」
「え……、あ、はい……」
それ以外に何を答えればいいのか。
誰もが目を合わせぬよう必死に空気になろうとする中、加藤は次のターゲットを見定めた。
「白崎、お前がナスを刈ってやれよ。頭いいんだからさ、こう、幾何学模様とかにして革新的に頼むわ」
「あ、ハイハイ! 俺バリカン持ってるわ。ツーブロックは毎日のメンテがキモだからな」
そう言って杉本が自らのツーブロックを撫でつけながらバリカンを取り出すと、理の机の上に置いた。
それを理は見もせずに、加藤に言った。
「許可なく髪を切るのは傷害罪、または暴行罪にあたるんじゃないかな。だから僕はやらないし、誰もやらないほうがいいよ」
「はあ? んなこと言ったら美容師はどうなるんだよ!」
反射のようにそう吠えたのは杉本。あまり頭がよくないらしい。
「『許可なく』って言ったよね。美容院は髪を切るための場所であって、そこに自ら行ってこういう髪型にしてくれと注文しているんだから、当てはまらないよ」
理も大真面目にそう返すと、カースト上位五人組は一気に陰険な雰囲気を漂わせた。
「なんだ、お前。俺たちを犯罪者扱いするつもりかよ」
竹中が眉間に皺を寄せ、今にも殴りかかりそうな顔で理を睨む。
お前は本当に訴えられたら負けるぞと話を聞いていた俺ですら思ったのだから、クラスメイト達の内心も似たようなものだったろう。
いや、目の前でそんな光景を繰り広げられたらそれどころではないか。
とにかくその場を収めたのは、ボス加藤のこんな一言だった。
「なるほど。白崎は『俺はみんなとは違う』って主張したいわけだ。そうして下剋上でも狙ってるつもりか? 下位のお前が? ならいいぜ、お前を仲間に入れてやるよ。それで文句ないだろ、白崎」
そこでなんと言えば正解だったのか、俺にもわからない。
だがその時の理はこう言ったのだ。
「仲間になるのは無理だと思う。加藤くんとは楽しさの価値観が絶対的に違うみたいだから」
素直な素直な、ありのままの言葉だっただろう。
それを受けた加藤一派は、もちろん揃って凶悪な笑顔になった。
そこから理に対するいじめが始まった。
思春期真っ盛りな高校生たちのそんなやりとりを聞かされた俺は、痛むこめかみを揉み解すことしかできなかった。
「……おまえ、つえぇな、理」
「いじめられてるんだから、弱いんじゃない?」
「そこはイコールじゃない。生き方が下手ってだけだろ」
「でも、納得してもいないのに迎合する生き方を上手だとも思わないよ」
「だろうな。だろうな。だから思ったまんまを言ったんだもんな。いや、それを間違いだとは言わねえよ。だがおまえならその先は予想がついただろ」
「言いたいことはわかるよ。だけど、そんなに咄嗟に最適解って出せる?」
「出せねえな」
「今でもどう返せばよかったのかはわからない。意味がわからないことで人を貶めて笑ってるあいつらに腹も立ってたし、他に言いたい事なんて今もないから」
それは話を聞いた俺だってそうだ。
そもそも俺だったら手が出ていることだろうから論外なのだが。
理は理なりに自分の心を守ってよく戦ったと思う。
だが巨悪の前では翻弄されるしかなかっただけだ。
誰もが「こうきたらこう!」と最強の一手を放てるわけではない。
「正論で論破できても、戦うフィールドが違う相手にはノーダメージだしな」
三十歳も手前で青臭さなんてとうに忘れ、社会の中で処世術なんてものを多少なりと身につけた俺が思い浮かべる『こうすれば穏便に済んだんじゃないか』という方法なんて、高校生として今を生きている理にとっては正解にはならないだろう。
それに奴らにとっては仲間になるか、敵になるか、その二択しかなかったのだから、理がどんな言い方をしたところで結果は同じだったはずだ。
理が前者を選ぶことはないのだから。
それが理の選択で、どうすれば自分が平穏なままでいられるかなんてわかっていても、理は理を貫き通したのだ。
それは誰にでもできることではない。
理は飄々として見えるが、心の強さと立ち回りの不器用さがアンバランスで、これまで生きにくいことも多かったのではないかと思う。
それでもじっと前を向いて立っているような、そんな強さと底の深さがあった。
何を考えているのかよくわからん奴、というのが理の第一印象だったが、なんとも興味深い。
それと同時に、とても放ってはおけなかった。
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