第2話 白い影ってつまりそういうことだろ?

「両親にはお前が見えないし、声も聞こえないんだな」


 少年の両親が去った後。俺がぽつりと呟くと、思った通り、少年は静かに頷いた。


「もうわかってると思うけど、僕は理。その体の持ち主だよ。僕が見えてるってことは、声も聞こえるのかな?」

「……ああ、聞こえる。なんだか尻の辺りがむずむずするけどな」


 理には体がないためか、その声は空気を震わせずそっと耳に入り込んでくるようだった。

 慣れないせいもあり、相当な違和感だ。


「何でもっと早く声をかけなかった? 両親に伝えたいこと、いろいろとあったんじゃないのか」

「『僕』が姿の見えない何かと話してるのを見たら、頭がおかしくなったと思うでしょう? これ以上、両親に心配をかけたくないから」


 冷静な言葉に目をみはった。

 まだ混乱している最中だろうに。

 喚きたかっただろう。両親に頼りたかっただろう。そんな状況下に置かれていても状況を見守り、冷静に判断したのだ。

 外見は頼りなく見えるが、思った以上にしっかりしている。


「それよりもまず一ノ瀬さんに謝りたかったんだ。ごめんなさい。巻き添えにして大怪我までさせた上に、こんなことになって」

「待て。なんでその名前を――」


 思わず声がざらついた。


「巻き添えにしてしまった人がいるってわかって、無事かどうか確かめに行ったんだ。看護師さんたちが『一ノ瀬さん』って言ってたから、それで病室を探した。勝手なことをしてごめんなさい」

「――それで? 生きてるのか? 今、同じ病院に入院してるんだな?」


 矢継ぎ早に質問を重ねる俺に、理は神妙な顔で頷いた。


「一命は取り留めたって。幸い僕はドアも壁もすり抜けられたから病室にも入らせてもらったけど、顔も体も包帯でぐるぐる巻きで誰だかわからないくらい全身怪我をしてた。今もICUに入ったままだから予断を許さない状況なのかもしれない。細かいことまでは、まだ聞けてないんだ」


 聞きながらベッドにずるずるともたれかかる俺を見ると、理は口元をきゅっと引き締め、九十度よりも深く頭を下げた。


「本当にごめんなさい」


 頭を下げたままじっと顔を上げずにいる理の透けた後ろ頭を眺めながら、ゆっくりと噛みしめるように言った。


「今は謝罪はいらない。理由もまだ聞いてないしな。だがどんな理由であれ、万一お前のとばっちりで死んだら、俺は許さない」

「わかった。僕もできることは何でもするし、心から一ノ瀬さんの回復を祈るよ」


 顔を上げると、理はしっかりと心に刻むように深く頷いた。

 その顔には、負った責任に対する覚悟が滲んでいた。

 なんとなく、調子が狂う。

 俺の胸の底に滾る怒りも焦燥も、矛先を失ってしまった。

 今この段階では許すことは容易にできないが、責めることもできない。

 そのどっちつかずが苦しくもあり、また救いでもあった。


「お前は不思議な奴だな。自分の体から抜け出てるんだぞ、もっと焦って困惑するもんじゃないのか」

「パニックだったよ。気付いたら体が透けてるし、浮いてるし、足元に自分の体があるし。なんとか戻れないかといろんなこと試してみたけどどうにもならないから、あとはなるようにまかせるしかないと思ってるだけ」

「なるほど。二日もあったならその間に試せることは試すわな」

「うん。だけどなんで僕は一ノ瀬さんの体に入れなかったんだろう。漫画やドラマだと、ぶつかった人とお互いの魂が入れ替わるじゃない?」


 その言葉にぞっとした。

 冗談じゃない。


「入れ替わりなんてあってたまるか。他人の体においそれと入るんじゃねえ」

「いや、僕の体に入っている人に言われるのも変な話だけど」

「お前が巻き添えにしたからだろうが」

「ごもっとも」

「俺のものは俺のもの。おまえのものは俺のものだ。お前の下敷きになった体は生死の境を彷徨ってるわけだし、その間この体は借りるぞ」


 暴君の名言を拝借した俺に、理はうーんと顎に手を当てしばし考えた後、こっくりと頷いた。


「異論はないよ。それに、一ノ瀬さんが死んでしまったらどんなお詫びをしても代わりにはならないし、その時は僕の体でよければ――」

「ふざけるな。そこまでのことは言ってない。俺は俺だ。お前として生きても何の意味もないんだよ。自分の体を安売りするな」


 あまりに自分の生を蔑ろにする理の言葉に怒りが湧いてついそう言ったが、もしもの時は俺は何をするかわからない。

 

「ごめんなさい。どうお詫びをしたらいいかわからなかったんだ」

「……いや、わかってる。わかってるが、まだ人生の楽しみも知らねえうちに滅多なことを言うな」

「うん、ありがとう。一ノ瀬さん、いい人だね。じゃあ、もし一ノ瀬さんが出て行ってくれないときはお寺でお祓いとかしてもらうことにするよ。『悪霊退散!』とかやったら効くかな」

「おい。いい人だと思ってるのか悪霊だと思ってるのかどっちだ」


 理にその気はなかったのだろうが、背筋がぞっとした。

 睨む俺に、理は「ごめんなさい」と笑った。


「ただのたとえで、悪霊扱いしたつもりじゃなかったんだけど、ごめんなさい。とにかく、償いにはならないかもしれないけど、元の状態に戻る方法がわかるまでは、僕の体を好きに使って」

「だからお前は、軽々しくそういうことを言うなって言ってんだろ。俺がこの体をどう使うかわからんだろうが」


 胸がざらついた。

 巻き添えにしておいて自分だけが助かるわけにはいかないからというのはわかるが、それにしても理は自分の体にも生にも執着が薄いように思えて仕方がない。

 屋上なんかにいたことを考えれば、なおさらじりじりしたものが胸に湧きあがる。


 俺は生きたい。

 他人の命を奪ってでも生きて、やりたいことがある。

 だから理が自分の体を手放してもいいのならば、喜んでいただけばいいだけのこと。

 だが、素直にそうは思えない。

 悔しいのだ。

 だから苛々する。


 俺が心底から欲しがっているものはそんな軽くない。

 理にももっと必死になってほしかった。命にしがみついてほしかった。

 失った者にとっては、求めても求めても手に入らないものなのだ。

 その価値を、理にもわかってほしかった。まだその手から完全に離れていないのだから。

 自分の利害と反するとわかっていても、理性ではなく、そんな思いが湧いていた。

 理はそんな俺をじっと見つめ、にこっと笑った。


「一ノ瀬さんは僕の体を大事に思ってくれてるよね。それがわかるから言うんだよ。それと、なんというか、僕も下心があって」


 やや上目遣いに俺を見る理に、俺は完全に意表を突かれていた。


「僕の体を貸す代わりに、一ノ瀬さんにやってほしいことがあるんだ」


 理は案外、強かなのかもしれない。

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