第8話 特訓開始!

 そして翌日。

 俺はエストさんの待つ訓練場へやってきた。


 訓練場はフラジール城の裏庭の外れにあるだだっ広い広場である。

 周囲を木柵でぐるっと囲まれていて、訓練用の木人形だとか巻き藁なんかが置いてあり、兵士たちの訓練や軍の演習なんかに使用される場所だった。


 普段は訓練に励む兵士たちのかけ声や剣戟音などで活気にあふれる場所なのだけど、今の時間は夜も空けきらぬ早朝。辺りはシンとした暗闇に包まれている。


 そんな訓練場の中央に、エストさんが腕を組ながら佇んでいた。

 俺は駆け足で彼女の元まで駆け寄る。


「おはようございます! エストさん! 今日からよろしくお願いします!」

「時間通りだね、リグレット」


 エストさんは組んでいた腕を解くと、小声で何がしかの呪文を詠唱した。


 シュン――


 その直後、エストさんの背丈くらいある木製の杖が現れ、彼女の手に握られた。

 エストさんの愛用武器――ドルイドの秘術を以って造られた魔法の杖『ウィッカーマン』である。


「それじゃあさっそく始めよう」


 ウィッカーマンを握ったエストさんが俺に向き直る。


「私がキミに教えられるのは魔法技術。まず確認しておきたいのだけど、今の時点でキミは魔法を使える?」

「いえ、使えません」

「それじゃあ、魔法理論については?」

「多少はかじっています」

「説明してみて」


 エストさんに促され、俺は【ジリリア】の世界観における魔法の設定を思い起こす。

 

 

「魔法とは――魔力に一定の指向性を与え現象として発現する行為です」


 魔法を発動するまでの過程は二段階に分かれていて、「イメージの構築」と「魔力による具現化」というプロセスを経て発動に至る。


 「イメージの構築」は魔力に指向性を与える行為であり、具体的には詠唱、または詠唱を図式化した魔法陣がそれに該当する。


 「魔力の具現化」は文字どおり、指向性を与えた魔力を現象として発動する行為だ。

 魔法の威力は詠唱にこめた魔力の量に比例するため、このプロセスで決定する。

 ちなみに魔力を引き出す方法は主に二種類あって、自分の内なる魔力を利用するか、魔力が満ちた物質の力を借りるか、のどちらかになる。


 これが【ジリリア】世界における魔法理論だ。

 ジリリアン・ヒストリア設定資料集より。



 ちなみに【ジリリア】のゲーム内においては魔力の高さはステータスで表されていて、魔法の取得はいわゆるスキルポイントを利用したスキルツリー制で行う。

 

 だけど、転生後のこの世界に、ステータス画面やスキルツリーの概念はない。

 

 つまりこの世界における魔法とは、度重なる修練と研鑽の果てに昇華される専門技術だ。


 スポーツ選手が一流の競技者になるために、科学的に正しいトレーニングを地道に積み上げなければいけないように。

 手品師がトリックを習得するためには、そのトリックの仕組みを理解したうえで、反復練習を繰り返す必要があるように。


 一流の魔術師になろうと思ったら、血の滲むような特訓が必要になる。


 残念ながら俺に無限の魔力とか、チートスキルとかそんなものは与えられていない。

 強くなるためには地道な努力を積み上げるしかない。

 


「――以上が魔法理論の概要です」


 俺の説明を聞いたエストさんは満足げに頷く。

 

「うん、悪くない。魔法に対する正しい知識を持ち、実践においては変なクセがついていないまっさらな状態だ。教える側としてはやりやすい」


 そして杖を握りなおすと言葉を繋いだ。


「まずは――自分の内に眠る魔力の引き出し方を覚えてもらう。これはすべての魔法技術の基本となる技術。これができないと話にならないから」

「了解しました」

 

「手取り足取り丁寧に教える方法もあるのだけれど、ここはエルフ式でいかせてもらうよ」

「エルフ式?」


 エストさんは俺の質問には答えず、代わりに懐から木短剣を取り出すと、俺に投げてよこした。


「これは?」

「手合わせ。好きに掛かってきて」

「え? あの、魔法の訓練じゃないんですか?」


 木剣を受け取った俺は戸惑いの声を上げる。

 しかしエストさんは涼しげに言葉を返した。

 

「魔法の訓練だよ。まずはキミを限界まで追い込む。体力を尽くし、気力すら尽くした状態になってもらう。魔力の引き出し方のコツを教えるのはその後だ」


 俺はゴクリと喉を鳴らした。

 エストさんはそんな俺の様子を見て、不敵に笑う。


「それに手合わせは戦闘訓練にもなる。一刻も早く強くなりたいキミにとってはピッタリな方法、でしょ?」

「わ、わかりました……!」


 俺は木剣を構えて、エストさんを見据えた。


「リグレットの好きなタイミングでいい」

「はい――」

「一応言っておくけど、遠慮はいらない。私を殺すつもりでかかってくること。でないと意味がない」


 彼女の冷たい瞳と言葉から伝わる刺すような緊張感。

 エルフ特有の少女のような可愛らしい容姿とは裏腹に、エストさんからは凄まじいまでの威圧感が放たれていた。


 俺のこめかみから一筋の汗が伝う。

 心臓の鼓動が高まっていた。


「行きます――」


 俺は深呼吸をひとつしてから、強く地面を蹴った。


 

 ***

 


「ハァ……! ハァ……!」

「どうした? そんなもの? もっと本気でかかってきて」

「うおおおおッ!」

「大振り」


 ズバンッ!

 エストさんの木杖が俺の脇腹に直撃。


「ぐえッ!」

 

 衝撃と痛みで身体がくの字に折れ曲がる。

 俺はそのまま地面にひざまづいた。


「それに踏み込みも浅い。そんな攻撃が通用すると思う?」

「ハァ……! ハァ……! くそっ……!」


 この短時間で痛感したこと。


(エストさん、超つええ!!)


 魔法はともかく短剣術では多少は食い下がれるかと踏んだけれど、とんでもなかった。まったく歯が立たねえ。


「もうおしまい? お嬢を助けたいと吠えたキミの決意はその程度?」


 エストさんが挑発してくる。


(くそ……! ここでへこたれてたまるかよ……!)

 

「まだまだぁ!!」

「それでいい」


 

 それからどれくらい時間が経っただろうか。

 何十回も、何百回もエストさんに打ち倒された俺はボロ雑巾のように地面に転がっていた。


「ぜえ、ぜえ――」


 身体中はアザと泥まみれ。

 ついでに言うと途中何回か吐いたのでゲロまみれでもある。


(くそ、さすがにもう動けねえ。結局、俺の攻撃は一発も当てられなかった)


 一方のエストさんは汗ひとつかいておらず涼しい顔を浮かべている。


(マジモンの化け物だこの人――)


 リグレットの意識が初めて現れたときもその実力に戦慄したけれど、この人も大概だった。


 しかもこの人の場合、本職は魔術師なのだ。

 俺とエストさんの間にへだたる途方もない実力差に唖然としてしまう。



「さて、そろそろ頃合いかな。立って」

「は、はい……」


 エストさんの言葉を受けてヨロヨロと立ち上がる俺。


「今のキミは体力と気力が尽きかけている。立っているのがやっとの状態」

「……はい。おかげさまで」

「余計なモノが削ぎ落とされた今だからこそ、キミの感覚は研ぎ澄まされている。見てて――」


 エストさんはそう言うと杖を片手に呪文を唱えた。



「"根源なる力よ――我が意に従え"」



 すると彼女の手に握られていたウィッカーマンの杖先が光り輝く。

 光はますますその輝きを強め、杖全体を包み込んだ。


 その切っ先をまっすぐ俺に向けるエストさん。


「これが私の魔力。魔法として指向性を与えていない、ありのままの状態」

「ありのままの魔力……」

「どう感じる?」

「どうって?」

「キミが感じるがままに答えて」


 俺はしげしげと杖先で輝く光を見つめる。

 

「えっと熱くて……力強い感じがします。ちょっと怖いかな。あとは……なんていうかぐるぐると螺旋を巻いているような……」


 正直よくわからない感覚だった。

 とにかく感じたままの印象を、取り留めのない言葉でエストさんに伝える。


「それが魔力に対する君のイメージ。そのイメージを忘れないこと」


 エストさんはそういうと杖を下ろす。

 同時に魔力の輝きも収まっていった。


「今のイメージを基に、君の中にある魔力と向き合ってみて」

「え、向き合うって……どうやって?」

「言葉で表すのは難しい。私は。でも人によっては瞑想に近い感覚だとか、己の過去に向き合うとか、感じ方はいろいろ」


 エストさんは淡々と語り続ける。


「――とにかく内なる自分に眠る魔力に向き合って、それを外の世界に解放するの。さっきキミが目の辺りした私の魔力のイメージが、そのための手がかりになる。魔力はこの世界すべての根源であり、その本質は変わらないものだから」

「はあ……」

「あらかじめ言っておくけど、一朝一夕で魔力の開放は成らない。キミはこれを毎日繰り返すことになる」

 


 エストさんの助言を受けても、分かったような分からないような感覚だ。

 とにかく、言われたとおりにするしかない。


 俺は目を閉じて、自分の内側に意識を向けた。

 精神を集中させてみる。


 最初に感じたのは身体の疲労感と痛み。

 ドクドクと脈打つ心臓の鼓動。

 そして全身に巡る血液の流れ。


 やがてそれらの感覚は徐々に遠のいていった。


 暗闇の世界で次に浮かんできたのは、これまでの俺の記憶だった。

 

 まず浮かんだのはヒストリアとの日々。

 彼女の顔。声。そして香り。

 ついで前世の記憶の断片。

 この世界に転生してから過ごしたフラジール城での日々。

 シャーロット、ゲルダ、ダメディス、その他大勢の貴族たち。

 そして、本来のリグレットが顕現した際、俺が目撃したおぞましい光景。


 さまざまな記憶が泡沫うたかたのように浮かんでは消えていく。

 初めは視覚的な情報だった記憶それは、徐々にぼんやりと、感覚的なものになっていった。

 


 (これは――感情だ――)



 心の奥底から湧き上がってくるのは喜びや安らぎ、あるいは愛しさといった正の感情。

 そしてそれらとは対照的な、恐怖や悲しみ、怒りや憎しみといった負の感情。

 相反するふたつの感情は徐々に混ざりあい、その螺旋が俺の中に渦巻いていった。

 

 

 ふと、この感情を外にだしたいという欲が芽生えた。

 

 

 だけど、その方法が分からない。

 どうすればこの狂おしい混沌を解き放つことができるのか。


 まずは、言葉にしてみようと思った。

 だけど、この混沌を正確に表すことができる言葉を俺は知らなかった。


 そして――


(ああ、簡単なことじゃん)


 ふと、腑に落ちる感覚があった。


(俺の心に渦巻くものを、ありのままに外に引っ張り出してやればいいんだ)


 そして無意識に俺は、そのフレーズを口にした。

 なぜか、そうすべきだと思った。



 

「"根源なる力よ――我が意に従え"」

 



 刹那、暗闇の世界に光が満ちる。

 そのまぶしさから逃れようと、俺は思わず瞼を開いた。


 次いで自分の身体の奥底が熱くなる。

 その焦熱を逃そうと、俺は思わず左手を前に出した。


 左胸から手のひらにかけて、俺の半身を焼き尽くすような熱感が奔る。


 次の瞬間、俺の左手のひらがまばゆい光に包まれた。


「わ、わ! マジか!」


 驚いている暇はなかった。

 光はどんどん強くなっていく。


「ちょ! これ、大丈夫なの!? エストさん!?」


 慌てふためきながら、俺はエストさんの方を振り返る。



「…………!」



 視界の先で、滅多に表情を崩さないエストさんが、驚愕の表情を浮かべていた。


「え、エストさん?」

「まさか、特訓初日で魔力を解放するなんて……」


 エストさんは呆然とつぶやく。


「魔力の解放!? ってことは……俺、できたんですね!?」

「ああ、見事だリグレット。どうやらキミの才能は私の想像を遥かに超えているらしい」


 エストさんはこくりと首肯する。

 

「やったぁ!!」

 

 その言葉を聞いて、疲れも忘れてガッツポーズしながら俺は叫んだ。







 


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