もう一生離さないからね?

 幼馴染が告白される瞬間を目撃したわたしの脳は、それはもう完膚なきまでに破壊された。


 何も見えない、何も分からない、何も聞こえない。何も見たくない、何も分かりたくない、何も聞きたくない。そんな風に、無様にも現実から目を逸らしたわたしは、いつの間にかその場から逃げ出していたらしい。気がつくと、制服のまま自宅のベッドに倒れ込んで枕をぐちゃぐちゃに濡らしていた。

 正直、シングルマザーである母が月に数回しか帰ってこないような多忙な人で助かった。何かと気苦労が絶えないあの人に余計な心配はかけたくないから。


 だがしかし、どうしてわたしはこんなにも深く傷ついているのだろうか。

 綾佳が原作のヤンデレヒロインと恋仲になってバッドエンドに突入してしまう展開と比べれば、寧ろ胸を撫で下ろすべきファインプレーのような展開と言ってもいいはずなのに。素直に喜べよ。などと自分に言い聞かせてみても、浮かぶのは苦しみと後悔の感情ばかり。あぁ、本当に意味が分からない。


 何よりも意味が分からないのは、原作において友人キャラに過ぎない須藤さんが、よりにもよって主人公である綾佳に告白したということだ。

 現実世界と錯覚しそうになることもあるが……というか、ぶっちゃけると普段は忘れていることの方が多いが、所詮ここは百合ゲーの世界。モブはどこまで行ってもモブであり、わたしも須藤さんも主要キャラの友人でしかないわけで。だから、多少ストーリーに干渉するくらいのことはできても、主人公に惚れたり惚れられたりなんてメインストーリーの当事者には到底なれないはずなのである。


 にも関わらず、ファーストコンタクトの翌日にメインヒロインたちを押し退けてあっさりと告白してみせた須藤さん。

 いやいや、あんたヒロインでも何でもないじゃん! わたしと同じ非攻略対象キャラじゃん! なんであんたが綾佳に惚れて告白までしてんの!? と、そんな具合にわたしが取り乱したのは当たり前だと思うわけ。

 でも、それはあくまで困惑の理由。今みたいに涙が止まらない理由にはなり得ない。




 感情を整理しきれないまま迎えた翌日。重い足を引きずるようにして登校したわたしは、まともに幼馴染の顔を見ることが出来なかった。当然、「昨日さ、須藤さんに告白されていたよね? 綾佳はなんて返事したの?」などと訊けるはずもなく。

 幸い綾佳はいつも通りの能天気さで、戸ケ崎さんたちの様子にも変わりなし。意外なことに、須藤さんも教室には一度もやって来なかった。でも、怖い。怖い怖い怖い。いつ須藤さんがひょっこりと現れて綾佳を連れ去ってしまうか分からない。気を抜けない状況下で、恐怖の感情がわたしの心を苛み続ける。


 放課後、半ば無意識的にのは、そんな恐怖から解放されたいという一心で。とにかく今は彼女と二人きりになりたかった。


「りんちゃん、もしかしてなんだけど」

「ひっ! ……な、なに?」

「……ううん、やっぱりなんでもないや。えへへ」


 わたしの様子がおかしいことには、さすがの綾佳も気がついていたのかもしれない。うちに向かう途中でこんなやり取りもあったのだけれど……彼女はそれ以上何も言わず、時折苦笑いにも似た表情を浮かべながらわたしの隣を歩いていた。


 うちに着いてからは、一緒に宿題してゲームして。いつも通りを装うわたし。日が暮れ始めた頃、わたしの口から「明日は休みなんだし、久しぶりに泊まっていきなよ」なんて言葉が零れ出た。あまりにも唐突で強引な提案。けれど綾佳は拒まなかった。


 一緒にお風呂へ入って夕食を食べて、着替えはわたしの服を貸してあげた。サイズが合わなくてなんだか彼シャツを着たみたいになっていたけれど、これはこれで可愛いから何も問題ない。

 眠気が訪れるまで当たり障りのないトークに花を咲かせ、綾佳が欠伸を漏らしたところで部屋の電気を消すことにした。わたしたちは狭いシングルベッドに並んで寝転び、お互いの体温を感じる距離まで身体を寄せ合う。実を言うと、来客用の布団もクローゼットの奥には仕舞ってあったのだけれど、わたしは敢えてそれを取り出そうとしなかった。なんとなくそんな気分だっただけで、べつに他意はない……はず。

 あっという間に耳元でスースーと寝息を立て始める幼馴染。なんて無防備なんだろう。彼女の小さな手をそっと握り、自然と「この手はもう二度と放したくないなぁ」なんてことを考えながら、釣られるようにして心地良い眠りへと沈んでいった。




 翌日、遊びに出掛けようという綾佳の提案をやんわりと躱し、動画配信サービスでひたすら映画を鑑賞して過ごすことに。なんとなく、綾佳を外に出したくない気分だったから。完全にわたしの我儘である。

 けれど彼女は嫌な顔ひとつせず、身体を小さく揺すりながら楽しそうに映画を鑑賞していた。可愛い。


 夕方、何本目かの映画のエンドロールが流れ出したタイミングで「そろそろ時間だから」と帰り支度を始める綾佳。何故だか無性に苦しくなり、結果的に無理やり綾佳を引き留めてしまった。そんなつもりはなかったのに、わたしは一体何をしているのだろうか。


「ちょっとした用事があるからさ、りんちゃんは先にシャワー浴びてきてよ」


 そんな風にお願いされて、渋々ひとりでお風呂場へ。そうしてシャワーを浴びている最中、不意に「離れている間に綾佳が帰ってしまうかも」なんて不安が頭を過った。慌てたわたしはタオルすら巻かずにお風呂場から飛び出したが、すぐにソファの上でくつろぎながらニコニコとスマホを弄っている綾佳の姿が目に入る。もしかすると、ハマっているソシャゲがあるのかもしれない。途端に肩から力が抜けて、自分の慌てっぷりに苦笑いが溢れた。


 夜を迎え、昨晩と同じように身体を寄せ合ってベッドへと入る。こうしていると、ほんの少しだけ不安が薄れていくような感じがした。

 はぁ、こんな日々が一生続けばいいのに。割と本気でそんな考えが頭に浮かぶ。そうだ、昨日と同じように綾佳の寝息が聞こえてきたら、またこっそりと手を握っちゃおうかな。わたしの側から勝手に離れてしまわないように、ね。


 その数分後、寝息の代わりに聞こえてきたのは綾佳の囁き声だった。


「りんちゃん、見てたでしょ?」

「…………えっ?」


 不意打ちの一言。核心を突かれてわたしは固まる。


「やっぱりかぁ。昨日からりんちゃんの様子がおかしかったから、それしかないと思ったんだよね」

「……気づいていたの?」

「さすがにその場では気づけなかったけどね。りんちゃん、ず〜っと不安そうな目をしているんだもん」


 要するに、鈍感さの塊みたいな綾佳にすらあっさりと勘付かれるレベルで態度に出ていたということか。それはやばい、恥ずかしすぎる。


「にししっ、りんちゃん耳真っ赤だ」

「うぅうう……恥ずかしすぎて死にたくなってきた」

「……死んじゃダメだからね? ボクをひとりにするなんて、そんなの絶対にダメ。許さない」

「いや、綾佳を置いて死ぬ気はないわよ?」

「ホントに? えへへ、ならいいや」


 何この子、驚くほど情緒が不安定……! まあ、わたしも人のこと言えない精神状態なんだけどさ。


「それと……ボク、ちゃんと断ったから」


 ……えっ、断った? 須藤さんからの告白を? あれだけ頬を真っ赤に染め上げていたのに?


 そ、そうか、やはりメインヒロインじゃないと相手にされないってことなんだろう。なるほどね。


「あのとき迷わずに断っておいて良かったよ。ボクとりんちゃん、両思いだったみたいだし」

「うんうん、そうね。わたしと綾佳は両想……い? ん、んんんんん!?」


 んんんんんんんんんん!?!?


「須藤さんから好きだって想いを告げられたとき、真っ先にりんちゃんの顔が思い浮かんできてね。このラブレターの宛先がりんちゃんじゃなくて良かったって、心の底からそう思ったんだ」

「綾佳、何を言って……」

「で、理解わかったの。あぁ、ボクってりんちゃんのことが好きだったんだなぁって。そしたら、なんだか急に恥ずかしくなっちゃった」


 あのときの「あっ」って、もしかして……。


「告白された直後に赤面していた理由、それ!?」

「……うん」


 今の今まで抱えていた不安とか恐怖とか、そんなシリアスな感情は一瞬でどこかへと吹き飛んでいった。そんなことより、綾佳の話している内容を理解して受け止めることの方が何億倍も重要だ。


「それにしても、りんちゃんがボクのことそんなに大好きだったなんてねぇ。盗られるかもって不安になって軟禁しようとするくらいだもん、相当だよね」

「すすすす好きって……というか、な、軟禁!?」


 だめだ、全く理解が追いつかない。わたしの可愛い幼馴染はさっきから何を言っているんだ?


「ボク、最近に詳しくなったからわかっちゃうんだ。今のこの状況、ボクってりんちゃんに軟禁されているんだよね? ひひっ」

「状況と心境的に若干否定しづらいけども……それはあまりにも人聞きが悪すぎるっ!」

「いいんだよ、そんなの気にしなくても。というか、今度ボクも真似してみようかな~って」

「いや、なんで!?」


 めちゃくちゃな会話。あまりにも混沌カオス

 それなのに、どうしようもないほどに顔が緩んでしまうのは何故だろう。だめだ、喜びの感情が溢れ出てきて止められない。


「そんなわけだから、りんちゃんとボクは両思いなの! お〜けぃ?」


 そう囁きながら、綾佳は布団に入ったままわたしを優しく抱き締めた。


 両想い。わたしと綾佳が両想い。そんなことあり得ない、と少し前のわたしなら取りつく島もなく否定したと思う。だってわたしはヒロインじゃないから。これまでずっと、そのように考えて生きてきた。

 けれど、原作で非攻略対象キャラだったはずの須藤さんが綾佳主人公に真正面から告白し、その綾佳は非攻略対象キャラであるわたしを好きだと言い放った。この時点で、もはや原作のルールなんてものは崩壊しているに等しい。崩壊も何も、そんなルールは最初から存在していなかったのかもしれないけど。

 そして、ここ数日のわたしが抱いていた感情の正体はきっと……嫉妬と羨望、そして独占欲。これらもまた、ただの友人キャラが抱くはずのない感情。


 つまるところ、ここは原作と似て非なる世界だった。そう解釈するのが一番自然な気がする。よく考えてみれば、ヒロインたちだって良い子ばかり。今のところ、ヤンデレのヤの字も見当たらないわけで。

 だから、原作でどんな役割キャラだったかなんて気にする必要は皆無だし、わたしたちは何にも縛られない自由の身。なら、わたしの答えはこれしかない。


「お、お~けぃ」

「あはは、ぐれぃと! よく出来ました」

「ちょっと、さっきからその変なノリは何なのよ!? ……ふふっ、ふふふふ」

「にしし、やっとりんちゃんが笑顔になった」


 一度でも自覚してしまったら、ブレーキなんて効かなくなるのが恋というもの。その勢いに身を委ねて、わたしは更に言葉を紡ぐ。これまで無自覚に溜め込んできた分も乗せて……。


「綾佳にリードされっぱなしってのも釈然としないから、やっぱりちゃんと伝えておこうと思うの」

「ほへ!? ちゃんとって、何を?」

「わたしもね、綾佳のことが大好きよ。貴女のことを世界で誰よりも愛しています……な~んてね」

「……ふ、不意打ちぃ! りんちゃんのそういうところ、結構ズルいと思うんだっ」


 最後の最後でほんの少しだけヘタレてしまったものの、幼馴染にはしっかり効果を発揮したらしい。彼女は小さく唸りながら、枕に顔を埋めている。

 と思いきや、綾佳はゆっくりと顔を上げて、挑発するようにわたしへと囁く。


「あのさ……明日も日曜日でお休みだから、もう暫くボクのこと軟禁してもいいよ?」

「だ~か~ら~、めちゃくちゃ人聞き悪いから軟禁って言い方はやめなさいって!」

「えへへへ」


 くぅう、可愛い奴め。なんだよ、えへへって。

 せめてもの仕返しとばかりに、わたしは綾佳へ顔を寄せる。そして……そっと唇で唇に触れた。


 もう一生離さないからね?



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やるときはやる主人公。


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