耳から始まる連想ゲーム

古村あきら

耳から始まる連想ゲーム

 マグカップを横から眺めて、取っ手が耳に似ているなと思った。

 そう言えば人間の耳には良い感じのくぼみがある。元々耳は持つためにあったのかもしれない。人という生き物は大きな頭にオマケみたいな小さな身体と手足が付いていて、神様的な存在が耳を持って運んでいたのではないだろうか。

 しかし人は徐々に進化を遂げた。アウストラロピテクスから新人へ、という進化ではない。大きな頭についていた身体と手足が、だんだん巨大化していったのである。現に、若者たちの体形は親世代とは異なる。手足が長い。エビデンスとしては十分だろう。

 耳と言えば。小学生の頃、テストで「うさぎの持ち方」という出題があった。少し前に行った遊園地のふれあいコーナーで飼育員がウサギの耳を持って運んでいたのを見たので、迷わず耳を持つイラストに〇をつけ、×を喰らった。赤ちゃんを抱くように持つのが正しいらしい。考えてみれは当たり前だが、じゃあ、あの飼育員は何? ちょっと怖くなった。

 ちなみに子供の頃、ふれあいコーナーでウサギにやるキャベツを買って貰い、割り箸で挟んで食べさせようとしたが、ウサギは私に見向きもしなかった。何故なら奴らは何故か人参を持っていたから。そのとき私は心に誓った。大人になったら人参を買ってこっそり持って来て、ウサギというウサギを全て周りにはべらせてやると。

 その遊園地は、かなり前に閉園している。夢は叶わないまま儚く消えていったのである。

 叶わない夢と言えば。喫茶店のウィンドウにあった巨大チョコレートパフェ。そのころは巨大どころか「パフェ」じたいが夢のような存在であった。「チョコレートパフェ」を「チョコパフェ」などと略す人をみて恐れおののいたのを憶えている。大人になったら、きっとあれを注文して一人で食べて見せる。そう思ってから数十年。もう普通のパフェですら途中で胸焼けして食べられない。悲しい……。

 胸焼けと言えば、辛いものが好きである。激辛カレーとか、激辛ラーメンとか。人気のお店に行くには都会まで出なければいけないので、レトルトで間に合わせる。数年前に、職場で激辛カップラーメンを食べて話題をさらった。その夜、吐血して翌日胃カメラを呑んだ。

 同僚に散々に笑われた。ボロカスに莫迦ばかにされた。自業自得である。

 食の好みというものは不思議だ。基準がない。一人ひとり異なる。子供の頃は好き嫌いをすると叱られたものだが、大人になってまで叱る人はいない。この人はこの食材が苦手だと、素直に受け入れてくれる。自分たちの食の好みと違うという理由で攻撃されることもない。何故だろう。世間には、あれほど同調圧力があふれているというのに。

世間様せけんさま」という言葉がある。マジョリティの事である。数が多い方が正しい。そして少数派を裁く権限があるらしい。顔のない権力者。「〇〇じゃない」者たち。何かじゃないことが、そんなに偉いのかと思う。少数派の「〇〇である」者を痛めつけ駆逐くちくする。人類という「種」を守るための本能なのだろうか。世間様。私には、恐ろしい化け物に見える。

 同じ化け物でも、妖怪は好きである。水木しげるロードには、いつか行ってみたい。ゲゲゲの鬼太郎に出て来る妖怪では、一反木綿が好きだ。カラ傘お化けも可愛い。付喪神つくもがみ的なものが好きなのかもしれない。ポケモンだと、コイルとかヤバチャとか。ヤバチャには真作しんさく贋作がんさくがあるらしい。

 本物と偽物。触法なのはもちろん駄目だが、一般人にとっては、意外にどっちでも良かったりしないか。お正月に放送している格付けチェック。安いワインでも美味しければいいように思う。音楽もそう。以前、プロの歌い手と音大の学生の歌を聴き比べて当てるという出題があったが、全員が音大生の札を上げた。テレビの前で見ていても音大生の歌の方が音程もしっかりしており音の伸びも良く、何より心に響いた。プロの人は辛かったかもしれない。世代交代を感じただろうから。いや、それでも私はプロだと胸を張るだろうか。それはそれで良いのかも。個性という、もう一つの魅力にファンは惹かれるのかもしれない。

 歌も芝居も小説も漫画も、表現する、何かを伝えるというところは共通している。料理もそうなのかな。だったら全てにおいて好き嫌いは自由なのだと思う。

 駆け出しの作家さんの作品が気に入って読み始めた。どんどん人気が出て映画化される作品も出た。でも私は初期の作品が好きだった。地位のある解説者が「どんどん上達している」と言う。私には下手になっている様にしか思えない。彼が下手なのではない。きっと横から、売れるためのアドバイスと称して操作するやからがいるに違いない。私はそう確信している。

 右へならえが嫌いなだけかもしれない。強制されると逆らいたくなる。天邪鬼あまのじゃくなのだろう。反対に、お願いされたら、何としても望みを叶えてあげたくなる。丸い卵も切りで四角、である。ものは言い様で角が立つ。搦手からめてで行きましょう(何が?)

 切ると言うからには、ゆで卵に違いない。ゆで卵と言えばモーニングサービス。卵とパンとサラダ。そしてコーヒー。漢字で書くと珈琲コーヒー馥郁ふくいくとした薫りが感じられるような美しい文字だ。

 コーヒーが大好きである。最後の晩餐ばんさんに何がいいかと聞かれたらコーヒーと即答するぐらい好きだった。耳の病気をして医者にカフェインを取らないよう言われた。一年ぐらいコーヒー絶ちをしていたけど、最近また少しずつ飲み始めてしまった。そろそろいいかな。駄目かな?

 コーヒーカップの耳……もとい、取っ手を見ながら、つらつらと考えるのでありました。


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