第三章

立太子式①

扉が開いて、痩躯の少年が現れる。歩く度に、ひとつに束ねた漆黒の髪が、ほのかに揺らめく。執務机の前に立つと、書き物をしていた父親が、顔を上げて微笑む。

「どうした、ユリウス。立太子発表の作業は、進んでいるかね?」

途端、少年が、力任せに机に手をつく。驚いて見上げる父親を、きつく睨んでまくし立てる。

「父上! どうして立太子を承認したんですか! このままだと、真昼の娘が即位することになるんですよ⁉」

困惑したように、父親の眉尻が下がる。何も言えずにいる姿に、苛ついた声が響く。

「陛下の御妹君の子息であるこの僕が! 真夜の漆黒と王家の群青を持つこの僕がッ、王位を継ぐにふさわしいというのに!」

「――不遜であるぞ、ユリウスッ!」

鋭く発せられた怒号。少年が、ぐっと口を引き結ぶ。激情に燃え立つ群青の瞳を見つめて、父親が溜め息をつく。

「……お前には、話しておこう」

そうして、父親は、自らの罪を告白した。


病がちな父王のために、嫡子であるルキウスは、長らく王の代理を務めてきた。それが、成人して王太子となり、政務を本格的に取り仕切り始めた頃。

各地方を、未曾有の飢饉が襲った。原因は、記録的な冷夏だった。

南の穀倉地帯では小麦が実らず、西の草原でも、牧草の伸びが悪かったために、飼料が確保できず、家畜は痩せ細っていった。かろうじて、東の山岳地帯で、高原固有の家畜の乳製品や肉が確保できたが、周辺地域を賄うのがやっとで、根本的な解決にはならなかった。

食料品の値は高騰し、特に、蓄えのない低層の人々は、飢えに苦しんだ。悪知恵の働く商人は買い占めを始め、中層や富裕層の平民が、不当な価格ながらも群がった。

耕す畑と飼う家畜を持たない王都は恐慌を来し、それが伝播して、さらに各地方の混乱を招いた。

ルキウスは決断し、財を放出するよう、六貴族に命じた。そして、王族であるカンチェラリウス家とフォルティス家には、より多くの責務を果たすことを求めた。

反発する者には厳しい態度で応じ、王家への侮辱として、謹慎と減俸を言い渡すことも辞さなかった。

集められた財産は、生産者や買い占めた商人から、食料品を購入する資金となった。

買い上げた品は、許可を得た商人のみに卸され、平時の価格よりも、安く販売された。また、困窮者には、各街区の役所を通じて、無料で提供することとした。

こうして、食料が行き渡ると、徐々に人々は、落ち着きを取り戻していった。翌年は、豊作とまではいかないものの、平年よりは多い収穫に、安堵の空気が広がった。

一連の功績により、ルキウスの評価は、飛躍的に高まった。これまでも好意的であった人々は、果断で英明な王太子を、さらに熱く支持した。

しかし、六貴族の間には、深い禍根を残した。


「お前の祖父上――先の当主は、いたく憤っておられた。王の柱として、代々支えてきたからこその財だというのに、それを取り上げるなど、とんでもないことだ――と」

父親の細面が青ざめていく。息子は言葉もなく、その瞪った藍色の双眸を凝視する。

「だから、私は……弟の方が、都合がよいのでは、と提案した。父上は大いに得心して、ワルターに、王太子の馬車に細工するよう命じた」

病状が悪化し、王都の郊外で療養中の父王を見舞うため、ルキウスは、妃と王子を連れて、度々出かけていた。

舗装されていない土の道は、かなり揺れる。次第に金具の緩みは大きくなり、ついに弾け飛んで、車輪が外れた。

均衡を失い、驚き暴れる馬に引き擦られて、馬車は早春の激流に転落した。

「父上も私も喜んだ。これで滞りなく政ができると。それが、あんなことになるとは……」

長い長い溜め息。宰相は顔を上げると、嫡子を真っ直ぐに見て、静かに告げた。

「自分が王位を継ぐにふさわしいと言ったな、ユリウス。しかし、お前よりも、ずっとふさわしい御方がおられる」

少年の淡白な顔が、強い不快感を示す。群青の眼が、父親を睨み据えて歪む。

「紺青の瞳――心当たりがあろう」

弾かれたように、少年が身を起こす。唖然としたまま数歩、後ずさる。

「難を逃れ、マニュルム地区に隠れ住んでおられた。ワルターは、不幸な火事で死んだと言っていたが――はて、どうかな」

藍色の双眸に、陰険な光が閃く。肘をつき、手を口元に当てて、言葉を継ぐ。

「恩寵の証が失われたとはいえ、あれほど御父上に似ておられるのだ。今まで時を無為に過ごした総帥の意図はわからぬ。しかし、あの男のこと、然るべき時に動くであろうよ」

細く長い溜め息。これまでの歳月が映っているかのように、宰相の藍色が、息子を通り越して、中空を見はるかす。

「あとは、御夜の御意思に任せるのみ――私はもう、手は出さぬ」

言いきるか否かの瞬間、少年は蒼白な顔のまま踵を返し、執務室を出ていった。


寝室の扉が開いて、美しい絹織物の衣を纏ったアメリアが、引き裾を擦りながら歩いてくる。厚織りの絨毯の下、板張りの床が鳴る、ほのかな音。

優美な所作で、しとやかに歩を進める佇まいは、気品に溢れ、成人の時が間近に迫っていることを想起させた。

傍らに立つ、小柄な姿。そっと腕に触れて、見つめる碧色の瞳。

不安に揺れる色に、優しく微笑む。

「大丈夫ですよ、殿下」

半月後に控えた、立太子と婚約の公式発表。この冬至には、立太子式が行われる。

今月から、その準備として、六貴族の次代当主とともに、王議に参加するのだ。アメリアにとっては、公の場で、初めて政に触れる機会となる。

いつもは血色豊かな頬が、緊張して白い。碧色の瞳を見つめて、穏やかに語る。

「これまでの努力は、私がよく存じ上げております。講義で学んだことが、実務にどう落とし込まれるのか、確認する場だと思えばよろしいのです」

「……そう、そうよね――まだ見ているだけなんだから、大丈夫……」

仕官服越しに伝わる、微かな震え。

初の公式の会議である上、失態を演じれば、所詮は真昼の娘だと、無数の蔑みの刃が、容赦なく降り注ぐ。そうした怯えと恐怖が、怜悧で溌剌とした心を萎縮させていた。

こういう時、抱き締められたら、どんなにいいかと思う。

腕に収めて、頭を撫でることができたら、どんな恐ろしいことも、温めて取り除いていけるのに。今はただ、優しく語りかけることしかできない。

「どうか、学んできた年月を信じてください。殿下は、誰よりも賢く聡明であられます。七年間、講義の感想を伺ってきた私が申し上げるのですから、間違いございません」

あえて大げさに、最後は少しおどけた口調で話す。碧色の瞳が瞬き、おもむろに滲んでいく。

「それは――ひいき目というものよ、フェリックス」

おかしそうに、少し笑いを含んだ声。

震えがやみ、目に強い光が宿る。ゆっくりと、頬に赤みが戻ってくる。

「……でも、そうね。自信を持って、いいのよね」

「はい。もちろんでございます」

明確に頷く。安心に満ちた微笑みが、愛らしい顔に広がる。

温かな気持ちで見つめ合っていると、近づく気配がして、視線を向ける。警護のアドルフが、なんとも言えない表情で立っている。

「殿下、次代様。そろそろ――」

「ええ、行きましょう」

アメリアが応じて、居室を出る。

今日は、フォルティス家次代当主としての出仕だから、後ろに控える必要はない。隣合って談笑しながら、王議室を目指した。


その顔を見た途端、衝撃が走った。大切な娘とともに、王議室に入ってきた青年の面差しは、焼死した前王太子そのものだった。

それが今、総帥を父上と呼んで挨拶し、フォルティス家次代当主の席に座っているではないか。あまりの状況に心が戦慄き、思考が追いつかない。

確かに、前王太子には子息が一人いた。

遺体は焼け跡になかったが、街をあれほど赤々と燃やした火事だ。小さな子供の身体が焼け残る可能性は低いと思われた。憐れだが、灰になってしまったのだろうと、結論づけていた。

総帥の背後に控えて座るエクエス家当主に、そっと視線を向ける。

真夜の王家の血筋を重んじ、前王太子一家は生きているはずだと隠密に捜索し、接触していることは、把握済みだった。

先を越されぬよう周到に用意し、妃を殺して火をかけ、無事におびき寄せたというのに。

(仕留め損ねたッ……!)

苛烈な憎悪が、心の内で燃え盛る。同時に、当主が気づいていながら、今まで静観し続けた意図を悟る。

横暴な王に、六貴族や真夜に忠実な従家は疲弊していた。

陰で皆、英明な前王太子の急逝を惜しみながら、王を悪し様に囁いていた。暗殺を企てた張本人である当主すら、後悔の念に苛まれていたのである。

総帥が手中に置いている目的は、前王太子の嫡子を、王位につける以外にない。

嫡子は、誠実で優秀だと、耳にしていた。手塩にかけて育て、即位させる機会を虎視眈々と狙っているのだ。

そして、これまで事を起こさずにいるということは、身分を証するもの――神の恩寵の証が見つかっていない。

両親は顔で判断がつくが、馬車に細工をして河に落とした当時、王子はまだ二歳の幼子だった。子供の時分を知らない若い者達が、成長した姿で見分けるのは難しい。

悠久の歴史の中で、カンチェラリウスとフォルティス両家と血を交えたために、王家の子女の瞳は、格の一段落ちる群青が多い。原初より受け継いできた紺青は、最も高貴な色である。

しかし、フロス街で暮らしていたのだ。〈たれどきの子〉では、という疑念は消せない。確たる証明ができない以上、他の策を講じるつもりなのだろう。

それにしても、神の片眼とされる宝玉が、そう簡単に失われるものだろうか。

確かに、住民の消火活動のあと、埋葬前に、前王太子の遺体を密かに確認したが、恩寵の証は見当たらなかった。

王家の嫡子のみ、姿形を知るものだ。きっと、小さな宝石のようなものだろう。何らかの方法で、嫡子の手に渡っている可能性が高い。

そして、それを総帥は知らない。二人の関係の深い亀裂が、垣間見えた気がした。

必要な議事を筆記しながら、青年を、目の端で見る。

筆記具を手に、長い脚を組んで、傾聴する姿。体格がことさら優れているのは、母方の血か。

あの筋肉の発達した首を斬れば、恩寵の証が手に入る。愛するひととの大切な娘が、証の片割れである漆黒の剣の縛めを解き、正統な真昼の王として即位する。

そして、あの鬼畜な男の妹は、当主に降嫁している。前王太子の嫡子と二人、還してしまえば、実質ノクサートラ家の血は絶えるのだ。

生きて連れて帰れ、という当主の命にそむいて、家に火を放った当時は、自ら選んだ愚昧な王を戴いて悔いればいいと、思っていた。当主には、不幸な事故だったと報告した。従家の身でできる、最大限の抵抗だった。

しかし、今は力がある。長年かけて培ってきた――〈太陽の剣〉が。

(今度こそ、決して屈せぬ)

主家が取り戻してくれたと喜び、さめざめと泣いて詫びるいとしいひとを、ひたすらに抱き締めた日々。当主の命の前に、為す術なく引き裂かれた絶望。

(ああ、アグネス。全てが終わったら、もう二度と、離しはすまい)

淡々と、総帥が報告と議題を述べる。次代当主のための外輪の席で、少し緊張を解いた、前王太子と瓜ふたつの顔。

フォルティス家の直系嫡子として育てられたからには、相当な手練れのはずだ。

評価試合を定期的にやっていると聞くが、さすがに結果はここまで降りてこない。刺客は、複数人用意すべきだろう。

思いがけず手間は増えたが、不確定要素が消せるのだ。今度は過たず還してやると、喉頭の出た太い首を見つめた。


「あーっ! 緊張したねえ!」

歩きながら伸びをして、親友が明るく笑う。晩春の暖かな風が吹き渡り、波立つ短い金色の髪を、ふわふわ揺らして煌めかせる。

初めての王議が終わった昼時。食事を摂りに、騎士舎の食堂へ向かう石畳の道。

休憩したら、早番の後半のために、騎士服に着替えて、再び出仕だ。前半はヘンリクスが当番を担って、隊の指揮を執っていた。エルドウィンは遅番で、夕方からそのまま夜勤だ。

「緊張もしたが、なんというか――あの妙な心地よさはなんだろうな。うえの気持ちが、少しわかったよ」

隊議で、隙あらば居眠りしているヘンリクス。どうやら、ブラッツとの打合わせでも、うつらうつらしているらしい。よく小言に入る話題だった。

「確かに、役割が違うもんね」

一人納得する親友に、首を傾げる。微苦笑する、秀麗な顔。

「従家は補佐官として、一滴たりとも漏らしたらいけない。細かい部分に気を配って、主家様の落とし物も、きちんと拾っていく。でも、主家様は指揮官だから」

はっとして、申し訳ない気持ちになる。

明らかに、背後がいるからという緩みだ。謝ろうと、口を開きかけたところで、言葉を継いで遮られる。

「――謝らないで。責めてるわけじゃないから。役割が違えば、求められることも変わる。僕は、君の役に立てるのが嬉しいんだ。従家としても、親友としてもね」

優しい、穏和な笑顔。温かな思いが、胸に広がる。

白昼の陽光に煌めく、新緑の瞳を見つめて告げる。

「ありがとう。お前がいてくれて、いつも本当に助かっているよ」

心からの嬉しさに、エルドウィンが笑って頷く。輝く金色の髪が、柔らかく揺れた。

食堂に続く廊下の扉を引き開けて、中に入ると、薄暗さに一瞬目が眩む。行き交う人々を避けながら、廊下を横切り、開放された両開きの扉をくぐる。

昼時とあって、かなり混雑していた。

筆記具などの入った小さな革鞄を置いて、席を取り、各献立の列に並ぶ。

先に座っていた親友の盆を見て、軽く驚く。珍しく、肉の定食だ。いつもは魚や小麦の麺が多い。指摘すると、困ったように苦笑する。

「午前中、緊張しすぎたから……なんだか、味の濃い物を食べたくて」

「珍しいな。お前がそんなになるなんて」

食器で、肉の塊から骨を外しながら言う。

目の前で、刻んだ野菜とこねて丸めて焼いた挽き肉が、ぱかりと開いて、肉汁が溢れ出す。少し失敗したかもしれないと思う。

「だって、やっと王議が終わって、ほっとしてたら――宰相従家の当主様が、挨拶に来たんだよ? もう、すごく冷や汗かいた……!」

なるほどと、納得する。

王議の閉会が宣言されて、三々五々散っていく中、アメリアや警護の騎士達と外へ出ようとしたところで、呼び止められたのだ。

ありきたりな挨拶を受けて応え、エルドウィンも愛想のいい平穏な笑顔で、受け答えしていた。

まさか、食事を変えたくなるほど緊張していたとは、微塵も感じさせない、鮮やかな態度。かれこれ十三年来の付き合いだが、この優秀な親友には、本当に感心しきりだ。

「婚約の話、進んでいるんだな」

「それもあるけど……」

視線が皿に落ちる。ひとつ溜め息をついて、静かに言葉を紡ぐ。

「当主様の周辺が、ちょっとね。ルチナからも手紙が来ていて、父上は、あまり乗り気じゃないんだ」

知らない話だった。ワルターと商務官従家との間で、何かあったのだろうか。

しかし、自分まで報告が回ってきていないということは、まだ疑惑に、確証が得られていないのだ。伯父やブラッツの判断もあるだろう。軽率に尋ねる真似は憚られた。

慎重に言葉を選びつつ、それでも愚痴をこぼさずにはいられない親友の心中を慮って、黙って聴く姿勢に徹する。

「でも、家格を考えると、他に選択肢がなくて……ご息女自身は、可愛らしい人だから、うまくやっていけそうな気がするんだけどね」

愁眉がわずかに緩む。

年初に、成人したから挨拶しに行ったと、話していたことを思い出す。

アメリアと同い年なのだ。さぞかし可愛いだろうと思いつつ、聴いたのだった。

「何事もないといいな」

心から願って呟く。そうだね、と愁眉を寄せた笑顔。

子を為す行為が、たとえ義務的で苦しかったとしても、どんな形でもいいから、親友には幸せになってほしかった。

ただ、と、ふと思う。

結婚したら、宿舎を退去し、自宅を構えて通うのだ。今は隣の部屋だから、会いたい時に気軽に訪ねられるが、引っ越してしまえば、そうはいかない。

「なんというか……寂しくなるな。隣の部屋に行っても、お前はいないんだもんな」

切り分けた挽き肉の一片を、口に入れる直前で固まって、新緑の瞳が瞬く。ソースがひと滴、垂れ落ちる。微かに、息を呑む声。

ゆっくりと食器を下ろして、苦笑まじりの言葉が返ってくる。

「まだ、先の話だよ。ご息女は成人したばかりだし――父上も、どういう方向で進めるか、考えてるみたいだから」

「――ああ、そうか。それはそうだな」

飛んでいってしまった思考に苦笑する。

小さな子供の頃からずっと一緒にいたから、離れるのだと思ったら、かなりの衝撃だった。少しずつ覚悟をしなければと身に沁みつつ、ずっと隣にいたいと、心が駄々をこねる。

あらゆる面で頼りきりだな、と親友の偉大さを、改めて実感する。

「でも、僕も引っ越すの……少し嫌かも。宿舎の暮らしって、やっぱり気兼ねしないから」

困ったように、眉根を寄せて笑う顔。新緑の瞳に灯る色に、同じように寂しいのだと、心に迫る。

そして、エルドウィンの方が、より切実に思っているのだと。

「確かにな。毎回、部屋が片付かないって、慌てるのはごめんだ」

あえて他愛ない調子で返す。いつものように、首を傾げて、目顔で促す親友の姿。

「姉上が出産の里帰りから戻る時、片付けないと怒られるって、毎回ぼやいているんだよ」

「ああ――お婿様の机、いつも散らかってるもんね」

納得して、秀麗な顔が、おかしそうに微笑む。そして、思い出したように、悪戯っぽく付け加えた。

「あれでも、父上が優先順位をつけて、振り分けてるんだよ。部屋は、お婿様がお休みの時に、定期的に片付けてるんだって」

「ブラッツなら、そのくらいやってそうだな」

こんなに散らかして、と呟きながら、せっせと整頓する姿が、くっきりと浮かぶ。

主従というより、さながら気ままな弟の世話を焼く兄、といった二人。当人達――特にブラッツは、真剣そのものなのだろうが、端から見たら、上等な喜劇である。

エルドウィンも、情景を想像したらしく、顔を見合わせて笑い合う。ゆっくりと愉快な笑みを収めると、穏やかに語った。

「でも、父上と母上みたいに、仲のいい夫婦なら、結婚も悪くないかもね」

「そうだな」

微笑んで頷く。互いを慮って気遣う、優しい風景が心に浮かぶ。そして、ヘンリクスとヴィクトリアの、賑やかで楽しいやり取り。

(俺は――義兄上のように、頭が上がらないだろうな)

今年の冬で二十二歳になるが、伯父は何も言わない。当然だ。伯父が望んでいるのは、王家の嫡子として、妃を娶ることなのだから。

それでも、もし妻をもらう機会があるなら、唯々諾々と夫に従う淑女よりも、明るく笑う活発な女人の方がいい気がした。

鐘の音が、長く高く鳴る。当番の騎士達に、昼休憩の終わりが間近であると、知らせる音。最後の一口を放り込んで、盆を持って席を立つ。

「じゃあ、またな」

見上げて応える親友に微笑んで、踵を返しかけると、声がかかる。

「――お、フェリックス。ここ空く?」

振り見れば、ウィンケンスが、できたての料理が乗った盆を手に立っていた。席を譲り交代する途中、エルドウィンが告げる。

「僕、遅番だから、食べ終わったら帰るけど?」

「いいよ。昼まで寝てる馬鹿が、そろそろ起きる頃だから」

「相変わらず、寝汚いの治らないねえ」

そっと離れようとすると、気づいて二人が、軽く手を上げて挨拶する。応えて食卓の列から外れ、下膳台に食器を片付けて、食堂をあとにした。

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