第5話(後編)

 新人戦まであと10日。

 忠太ちゅうたの能力レッスンは順調に進んでいます。

いつも通り神気煌耀シェンメイの部室、旧温室にて5人が集まっています。ガーデンテーブルの上にはみことの用意したお茶と煎餅が置いてあります。熱帯植物に囲まれる中で、忠太ちゅうたの宿題を確認しました。

「この前ユニットメンバーの能力もコピーしたんですけど……」

「どうじゃった?」

 ばりっと煎餅をかじった紅蓮ぐれんが聞きました。

「朗の能力はよかったんですけど」

 と、忠太ちゅうたは渋い顔です。一颯かずさの「音響調整」はコピーこそできましたが、うまく使えませんでした。音響がむしろ悪くなり、不協和音が部屋に響き渡る結果に。居合わせた千呼ちこ大和やまとも顔をしかめました。

「ふむふむ、それで? 『リラックス』は?」

「怒った一颯かずさが落ち着いてくれました……」

「わっはっはっ」

 紅蓮ぐれんは爆笑しました。

「あまり笑っては気の毒ですよ」

 とは言うもののみことも少し笑っています。ここ1週間で忠太ちゅうた神気煌耀シェンメイの面々はずいぶん打ち解けました。

「……」

 あきは相変わらずほぼ喋りませんが。

「そうだ! 鶯原うぐはら先輩、教えてもらった商店街のお店行きましたよ!」

「お口にあったかな?」

「美味しかったです! メンバーともまた行こうって」

 忠太ちゅうたは、春音しおんにおすすめの店を教えてもらっいました。学園からほど近い商店街にあるティールームです。テラス席でユニットメンバーとお茶しました。一颯かずさは紅茶を楽しみ、ほがらは高さ10センチほど積まれたパンケーキを食べきりました。

鶯原うぐはら先輩たちもよく行くんですか?」

「うん。あそこの3階は個室になっててね。静かに休みたいときにちょうどいいんだ」

 デビュー済み在学生ユニットの中で、神気煌耀シェンメイは一番有名です。人工島内とはいえ、あまり気楽にぶらつくことはできません。

 例外もいますが。

「……ワシはあんまり誘われぬけどな」

 唇を尖らせた紅蓮ぐれんは、好き放題に島を練り歩くことで有名です。あまりに自然にぶらついているので、逆に騒がれません。ちなみに島のご年配の方々は食べ物をくれますし、子どもは遊びに誘います。厄介な人もいますが、そういった人々は不思議と紅蓮ぐれんの姿を見失います。

「静かに、休みたいときだから。遠慮して?」

 にこりと春音しおんは言い放ちました。

「かぁ~、生意気な。いつからこんな子になってしもうたんじゃ」

 ずずっと茶をすすります。

「先輩たちって昔からの知り合いなんですか?」

 忠太ちゅうたがそう聞くと、春音しおんはとんでもない、と首を横に振りました。

「僕たちの付き合いは入学からだよ」

「ワシとあきは数度、顔を合わせたことがあったがな」

 この言葉にあきは頷きます。

 みことがみんなの湯呑にお茶を注ぎます。

「どうして気になったんですか?」

鶯原うぐはら先輩と朱凰すおう先輩って仲いいなぁって」

 いやまさかそんな、と春音しおんは言いかけました。

「テレビでも楽しそうですよね! クイズのやつとか!」

(そうだよね、テレビぐらい観るよね……)

 神気煌耀シェンメイは今を時めくアイドルグループです。メディア露出も多く、国内外を問わず人気を得ています。そして表舞台では、春音しおん紅蓮ぐれんを気の置けない仲間ということにしています。

 簡潔にいえば、仲良し営業です。

 このことは関係の深い相手しか知りません。鶯原春音うぐはらしおんは案外口が悪く、朱凰紅蓮すおうぐれんのことも雑に扱っている、と。しかし1年生の前でそういった部分を出すのは憚られます。

(一応、王子様系(笑)で通ってるしなぁ……)

春音しおんは反抗期じゃからのぉ」

「あはは、紅蓮ぐれんってば~」

 このこの〜みたいな感じで紅蓮ぐれんの頭を小突きます。テーブルの下では、思いっきり足を踏もうとします。しかし紅蓮ぐれんはさっと足を引き上げ、胡坐をかきます。

「せっかくだしワシも連れて行ってくれんかのぉ。そのてぃーるーむとやらに」

 くそが図に乗るなよじじい、とは言えません。

「予定が合えばね~」

「明日は全員オフじゃろ」

「え」

 そんなバカな。

「……オレたち、キャンセルになった」

 あきがぼそっと言うと、みことが補足します。

「私とあきで、雑誌の取材を受ける予定でしたが……。どうも不祥事があったらしく」

 もろもろの調整の結果、取材はナシになりました。

 その結果、明日は4人全員オフです。

「では決まりじゃのう」

 ユニット水入らずで楽しんできてくださいね! 忠太ちゅうたの声が、頭の中で反響します。ああ、いっそついて来てほしい、お友達も呼んでくれ……とは、やはり言えない春音しおんでした。




 翌日。新人戦まであと9日。

 ヤドリギ寮からほど近い商店街に、神気煌耀シェンメイの4人がいました。

 あいにくの雨とはなりましたが、商店街の端にさえ着いてしまえば、アーケードなので傘もなく楽に歩けます。悪天候も関係なしに、多くの人でにぎわっていました。

 最近は再開発も進んでおり、新しい店も多くあります。春音しおんの行きつけも2年ほど前にできたお店です。

「……はぁ」

 春音しおんの鬱屈とした表情は、マスクとサングラスで隠れています。それぞれ簡単にですが変装して外出しています。例外はいますが。

「しけた面をするものではないぞ」

 素顔を晒し、声は抑えず、紅蓮ぐれんは言いました。

 だから一緒に歩きたくないんだよ、と改めて思います。

「……アイドルの自覚ある?」

「そういうおぬしは島民の自覚が足らんぞ。ここはワシらにとっての『ほーむぐらうんど』なんじゃから。安心して過ごせばよい」

 みことの方を見ると、

「確かに、商店街ぐらいでならいいかもしれませんね」

 とマスクを外しました。みことにとって商店街はよく買い出しに来る場所です。ほとんどのお店から認知されていますし、おまけをもらうこともしばしば。

あきは……。まぁ変わんないか」

「……」

 こくり、とあきは頷きます。いつも通りの黒マスクです。ここにサングラスまでかけると黒づくめの不審者になるため、マスクと帽子のみです。つまり、ほとんど変装とはいえません。

「ばからしくなってきたな」

 春音しおんはマスクを外しました。

「して、どこじゃ?」

 もう待ちきれない様子で紅蓮ぐれんが聞きました。

 

 雨音を聞きながらゆっくり歩いて、お店に着きました。

「ここだよ……」

 春音しおんの行きつけのティールームは3階建てです。もともとは無骨なアパートでしたが、リノベーションによって素敵な洋風建築となりました。テラス席を通り抜けると、紅茶の匂いと、制服に身を包んだ店員が迎えてくれます。シャツにエプロン、センタープレスのあるパンツに革靴と、フォーマルな制服です。

「いらっしゃいませ」

「予約の鶯原うぐはらです」

 若い男性店員はくすりと笑いました。

「もちろん分かってますよ」

 そりゃそうだ、と恥ずかしくなりました。春音しおんは常連ですし、毎回個室を予約します。そしてなにより――。

「アイドルとしての自覚が、なんじゃって?」

「うるさい」

 有名人ですので、変装していなければ誰だって分かります。

「お部屋にご案内する前に、店長がぜひご挨拶したいと。いかがされますか?」

「……はい」

 春音しおんにとって「ティールームしらぬい」は最高の店です。

 ただ一つの欠点を除いて。

 奥にある「STAFF ONLY」のプレートがかけられた扉が開きます。そこから、ちょび髭を生やした男性が現れました。

「皆様、お久しぶりです……。そして、ああ! 朱凰すおう様!」

 スライディングしながらすごい勢いで、紅蓮ぐれんの前に跪きます。この男性も制服姿で、きちっとしているのですが、その分動きのギャップがありました。あきはびっくりしてみことの服の裾を握っています。

「ふむ。店名の『しらぬい』は不知火しらぬい家の繋がりか」

「はっ! 私、不知火しらぬい家当主の従姪孫じゅうてっかそんでございます。この店の店長でございます。お会いできて誠光栄です!」

(じゅうて……なんだって?)

 遠縁なんだろうということしか分かりません。

「くるしゅうない。では部屋に案内するがよい」

「ははーっ!」

 何事かというお客さんたちを尻目に、紅蓮ぐれんは堂々と店内を進みます。そして階段を前にぐるりと振り返り、意地の悪い笑みを春音しおんに見せつけました。

(く、くそじじい)


「では、ごゆるりと」

 そう言い残すと店長は音もなくいなくなりました。

 個室は広く、クリーム色の壁、床はえんじ色の絨毯が覆っています。ラウンドテーブルの真ん中にはケーキスタンドが置かれ、紅茶からは静かに湯気が立ち上っていました。

 いずれも店長が自ら手際よく用意したものです。

 なおすべて無料だそうです。

「やれやれ、これも人徳かのぉ」

 紅蓮ぐれんは椅子にふんぞり返っています。

「ワシの愛くるしさのなんと罪深いことか」

「しかし気が引けますね。紅蓮ぐれんだけでなく私たちまで……」

「何を言うか、みこと。こういう厚意は、受け取ることこそ最大の親切じゃ」

 それもそうですね、とみことはあっさりと引き下がります。春音しおんも(紅蓮ぐれんこそむかつきますが)厚意を辞するべきとは思いません。あきだけが本当にいいのだろうか……と自問を続けていました。

「気にしなくていいよ。……また来ればそれで十分お礼になるでしょ」

 春音しおんの言葉に、あきは頷きました。

 それぞれがリラックスして紅茶を、ケーキを楽しみます。食事制限のあれこれは、あとでみことがさらっと修正してくれます。もちろんカロリー消費のための運動も組み込まれることでしょう。

 紅蓮ぐれんがカップを置き、一息つきます。

「しかし随分と洒落た店を知っておるのぉ」

「お前さえいなければな……」

 春音しおんは読み進めているハードカバーから眼を離しません。

「ここは本当にちょうどいいんだ。人の視線もないし、店員も放っといてくれるし」

「ほかのお店では難しいですよね」

「そうなんだよ! うじゃうじゃ人が寄ってくるから、おちおち本も読めしない」

「有名税ってやつじゃなぁ」

「だれが払うかそんなもん」

 ばんっ。

 力強く本が閉じられました。

「なんでわざわざ来たんだよ……行きつけの店ぐらいあるでしょ」

「そう邪魔者扱いするでない。おぬし、忠太ちゅうたのことで悩んどるじゃろ?」

 春音しおんは顔を上げ、紅蓮ぐれんの顔を見ました。

 爛爛とした瞳に、自分の顔が映っていました。

「大方、先祖返りとしてではなく、一般人として生きればよいとでも考えとるんじゃろ?」

 図星です。

 ちらりと横目にあきを見ます。

「だって」

「……オレは悪くないと思ってる」

 そんなわけないと言いそうになりました。しかし、あきの家族の話を聞いたときを思い出します。世の中にはいい親もいるんだな、と思ったことを覚えています。

(僕のとは違って)

 夫婦は、一人息子が先祖返りとして目覚めたことを大いに喜びました。そして政府・学園側のルールに断固反対しました。特に「能力の私的利用」について。

 いわく、息子の才能をどう使うかは自分たちの決めることだ。

 いわく、息子の財産を国が奪う道理はない。

 いわく、息子を使うことで得られたはずの利益について補填するなら検討する。

 両親と黒服の大人たちの話し合いを、当時中学生だった春音しおんはただ黙って聞いていました。自分が、両親の資産であることを深く自覚しました。

あきの親みたいに、すずめくんの親がいい人たちとは限らないじゃん)

 そんな春音しおんを励ますように声がかけられます。

忠太ちゅうたも楽しんどるじゃろ」

「心配しなくとも雀くんは明るい子ですし」

 自分以外のメンバー全員に言われると、さすがに杞憂かと思えました。それでも不安がまるっとなくなるわけではありません。

「今はよくてもこれからは? 宇留鷲うるわしの考えじゃ、すずめくんは窮屈になるんじゃない? 『手を出せない存在』になってもさ、ずっと見張られて、期待される」

 どこに行っても、王子様であることを期待される自分のように。街中を歩くのに変装して、それでもバレて絡まれて。鍵をかけて閉じこもらなくては、素の自分には戻れない。

「静かな不自由が続くだけだよ。それは幸せなことなの?」

 ティールームに静寂が訪れます。

 神気煌耀シェンメイになってから約2年間。多かれ少なかれ感じていた窮屈さが、春音しおんによって言語化されました。実力や才能、実績、知名度、なにがあったところで「先祖返り」である事実は変わりません。

 だったら努力なんてせずに、凡庸な「先祖返り」でいた方がましではないでしょうか?

 押し黙る春音しおん

「何を言っておる。おぬしはあやつの保護者か? 小僧っ子が」

 紅蓮ぐれんは言いました。

「おぬしが不安に思おうと、統が気にかけようと、関係ない。雀忠太すずめちゅうたの未来を決めるのは、あやつ自身じゃ」

「それができたら苦労は――」

「必要な苦労なら買ってせい。いらん苦労でも、押し売られたなら、なんとかせい。勝ち取りたいものがあるならの」

 春音しおんが口を閉じました。朱凰紅蓮すおうぐれんの年相応の貫禄に、口をはさむ余地はありません。爛爛とした瞳に映るのは現在。語り口に乗るのは歴史そのものです。

 そして、カップに残った紅茶を一気に飲み切ります。

「未来は切り開いていくものじゃ」

 紅蓮ぐれんは3人を順番に見つめていきます。眩しいものを見るように、思い出を振り返るように、自分の仲間たちの顔を見ました。

「いつの時代もそうじゃった。鳳凰ほうおうの先祖返りたるワシが言うんじゃ、間違いない」

 

 朱凰紅蓮すおうぐれんはいつも通り、堂々と言い切りました。

「じゃから春音しおん、おぬしはまず自分のことをすればよい」

 鶯原春音うぐはらしおんも、ここでは王子様ではありません。ただの18歳です。はっきり言って自分のことで手一杯です。それはみことあきもおなじです。悩みがあり、越えるべき壁があり、それに立ち向かう日々です。

 たまに休んで、友だちとお茶して、また忙しい日々に戻ります。

すずめくんもきっとそうだな)

 悩むことも、壁にぶつかることもあるでしょう。

 そこからどうするかは彼自身が決めることで、春音しおんは――頼られたら、ささやかながら手助けする程度です。

「どうじゃ? 気は軽くなったかの」

 笑顔の紅蓮ぐれんから、ぷいっと顔を背けました。

「……説教臭いし、年寄り臭い」

「なんじゃとぉ!」

 地団太を踏むを紅蓮ぐれんを、みことが取り押さえます。

「まぁまぁ」

「離せみことっ! 誰が年寄りじゃっ! あ、こら、本を開くな。イヤフォンを取り出すでない! 聞け、せめて!」

 このやかましい騒ぎをあきは眺めます。

 黒いマスクを下に下げ、紅茶を少しだけ飲みます。そしてマスクを戻し、その内側でぼそりと一言。

「落ち着く……」

 神気煌耀シェンメイらしい光景を見ながら、ティータイムを楽しみます。クリーム色の壁が、えんじ色の絨毯が、外から聞こえる雨音が、騒がしい声を室内に閉じ込めています。彼らだけの時間です。

 4月の終わりも近づいてくる、ある雨の日のことでした。

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