第28話 誕生日

「……それで?」


 家に帰ると、リビングにいた奈々に「そこに正座」と言われた俺は、何も敷いていない床に言われるがまま正座していた。


 なぜかソファの座面に立って、高いところから見下ろしながら高圧的に訊ねてくる。


「……安城さんの誤解は解けました。これからは変に避けることなく、接していくと約束しました」


 敬語で事態を説明する。

 安城さんには「しっかりと女の子として見るから」というかなり直接的な発言をしてしまったが、流石に妹にはぼやかして伝える。


「あーちゃんはなんて?」


「……改めて告白されて、俺に好きになってもらえるように頑張ると……」


「ふ~ん」


 妹の目が鋭い。

 帰ってからずっとこうだ。


 俺は思わず背筋を伸ばしてしまう。


「おにぃはさ。あーちゃんを泣かせた責任を取らないんだ」


「責任……?」


「あたしとあーちゃんが付き合ってないってのがわかったんだから、あーちゃんと付き合えばいいじゃん。なのに『これからは変に避けない』って、それって適当に誤魔化してるだけでしょ?」


「そ、それは違う!」


 あらぬ誤解に俺は思わず立ち上がる。

 が、ギロリと睨まれ、情けないことにまた正座をし直した。


 ……今日の奈々の威圧感たるや。


 追求の眼差しを向けてくる妹へ、俺はぽつぽつと答える。


「仕方ないだろ。これまで安城さんのことはそれこそ妹のように見てたんだ。急に好きって言われて、じゃあ付き合おうってなれるわけがないし……それに、罪悪感から付き合っても、安城さんに失礼だろ?」


 そういう付き合い方を、彼女は望んでいないはずだ。

 望んでいたら「好きになってもらえるように頑張りますっ」なんてあんな笑顔で言わない。


「だから俺は今まで通り……いや違うな。今までとは違って、奈々の友だちとしてじゃなく、俺のことを好きな女の子として見る。……そこから先のことは、わからない」


 奈々には誤魔化したのに、結局同じようなことを説明してしまった。


 そう。結局の所この先どうなるかは、俺にだってわからない。

 今まで女の子として見てこなかった子に、突然告白されても、正直戸惑いの方が大きい。


 ただ、それでも。

 あれだけ真っ直ぐに好意を伝えてくれた安城さんにはしっかりと応えたい。


 それに、何よりも、


「そもそも俺、女の子に告白されたのなんて初めてだから……どうしたらいいかわからないって」


 俺が赤裸々に告げると、奈々は目を丸くした。

 それまで鋭かった視線が急に弱まり、生暖かい目で俺を見てくる。


「そっかそっか、うんうん、じゃあこれからってことだ」


 奈々は少しからかうように大仰に頷いた。


 ともあれ、これでようやく話は終わったかと、俺は立ち上がろうとする。

 そんな俺を、奈々がまたジロリと睨んできた。


「ちょっと、何立とうとしてるのよ」


「え、なに?」


「……あたしとあーちゃんが付き合ってたって勘違いしてたことについて、まだちゃんと謝ってもらってないんだけど?」


「…………その節は、大変申し訳ございませんでした」


「まったくさ、いい年して現実とアニメの区別もつかないなんて」


「お前にだけは言われたくねぇ……」


「なにか?」


「! なんでもありません!」


 俺は額を床に擦り付け、ひたすら平伏する。


 結局、高価なフィギュアを一体買わされることになったのだった。




 ◆ ◆ ◆




 あの日以来、安城さんの距離がものすごく近い。


 毎日のように家に遊びに来ている彼女は、俺が帰宅すると玄関まで駆け寄ってくる。

 奈々と遊んでいる時も、俺が姿を見せると笑顔を向けてくる。

 この間また一緒に勉強したときなんかは、ちらちらと俺の顔を見てきて、「えへへ」と微笑んだりしていた。


 ……数日前までの彼女はどこへやら。

 その積極さに、奈々も戸惑っている様子だった。


 そんな日々を送る中も、学校生活は止めどなく続く。

 五月最後の一週間。

 俺たちからすれば慣れた、新入生にとっては初めての高校での定期試験――中間試験が行われていた。


 日に日に生気を失っていくクラスメートたちと共に三日間を戦い抜く。

 二年生になって最初の試験。

 今後のことを考えれば中々重要だ。


 そうして試験最終日。

 最後の試験を終えて、俺は健介と共に一階の自販機前に移動していた。


「ああああぁああ~、この解放感、何度味わってもたまんねぇ~~」


 コーラを一気飲みした健介は、ハイテンションで叫ぶように言う。


「今日の朝は死にかけてたもんな」


「あー、よりのもよって最終日に苦手な数学と英語が集中したからな。今日は徹夜よ。成績悪いとレギュラーでも試合に出れねえからな、気合いがちげぇよ気合いが」


 試験が終わったからか、やけに饒舌だ。


 俺はそんな健介の様子に苦笑しつつ、サイダーを一口。

 疲れた頭に甘い飲み物は沁みる……。


「そういや透、来月の誕生日は予定あるか?」


「うん?」


 缶ジュースを片手に教室まで戻っていると、階段にさしかかったタイミングで健介が訊いてきた。


 何を隠そう来月、六月十日は俺の誕生日だったりする。

 実のところ予定はあった。


「今年は生徒会の先輩たちが祝ってくれるらしくてさ。放課後は生徒会室でパーティーやるんだ」


「あーそういや姉貴がなんか言ってたな。クラッカーがどうのとか……」


「健介もくるか?」


「……いや、ここは生徒会水入らずで楽しんでくれ」


「紅羽先輩がいるからだろ」


 笑いながら指摘すると、健介は誤魔化すようにコーラを呷る。


「じゃあ夜どっか飯行くか? って、どうせ行かねえよな。お前には大事な大事な奈々ちゃんがいるもんな」


「……うっせぇ。それに今年は父さんもいるからどのみち家で食べるよ」


「そっか。んじゃまあそのうち遊びに行くべ」


「おー」


 そんなやり取りをしつつ階段の踊り場に出ると、ちょうど上の階から安城さんが降りてきた。

 どうやら一人らしい。


 彼女は俺に気が付くと、パッと笑顔を浮かべて話しかけようとしてくる。

 だが、隣に健介がいることを察してか口を噤むと、代わりに控えめに手を振ってきた。


 俺も密かに手を振り返して、そのまますれ違う。


 ……元々素直な子だとは思っていたけど、連日あんな風にわかりやすく懐かれていると照れくさい。

 いや、懐かれるという表現もよくないんだろう。


 彼女は真っ直ぐに、俺への好意を隠すことなく向けてくる。

 奈々と付き合っているという誤解がなくなった今、その好意は余すことなく俺へ伝わっていた。


「透、安城と仲良いんだな~」


「うぇ、きゅ、急になんだよ」


 健介の何気ない呟きに想像以上に挙動不審になってしまう。


「ごまかし方下手か。あんな仲良く手を振り合って気付かないわけねえだろ。なになに、どういう関係?」


「……別に。奈々の友だちで、時々うちに遊びに来てるんだよ」


「ほぉ~ん、とてもそうは見えなかったけどなぁ。安城の表情、噂によく聞くとっつきにくい感じじゃなかったし。なんつーの? 大好きなものを見つけたみたいな笑顔――あ、おい! 何すんだよ」


 やけに鋭い親友。

 その親友からこれ以上の追求を避けるために、俺は健介のコーラをひったくると、一気に飲み干した。




 ◆ ◆ ◆




「今日ね、透さんと学校ですれ違ったんだぁ。私が手を振ったら、透さんも手を振り返してくれて……」


「よかったね」


 おにぃが生徒会でまだ家に帰ってきていない中。

 あたしはあーちゃんと家で遊んでいた。


 ここ最近のあたしたちの話のネタはアニメのことかおにぃの話ぐらい。


 あーちゃんは、あの勉強会の日からおにぃのことを透さんと呼ぶようになった。

 子ども扱いされないために、本人なりの意識替えのつもりなんだろう。

 そしてそれは上手くいっているように見える。


 おにぃも少なからずあーちゃんのことを意識してるみたいだし、二人の距離もずっと近くなっていた。


 告白を先送りにしようとしたあたしの判断は間違っていた。

 結局、恋愛なんてストレートにいった方が上手くいくんだ。


 あーちゃんの話をしばらく聞いていたあたしは、ふと思い出す。


「そういえば来月おにぃの誕生日だね」


 あたしが何気なくそう言うと、あーちゃんはピタリと固まった。


「……透さんの、誕生日?」


「ありゃ、やっぱり知らなかったか。まあおにぃが自分から言うわけないもんね~」


「い、いつ?!」


「十日だよ。今年は月曜日」


「あ、あと二週間もない……っ。ど、どど、どうしよう。プレゼントとか……というかお兄さん、欲しいものあるのかな……」


 焦りすぎて呼び方がお兄さんに戻っている。


 慌てふためくあーちゃんに、あたしはニッと不敵な笑みを浮かべた。


「あーちゃん。あーちゃんの目の前にいるのは誰?」


「ななちゃん」


「そう。そしてあたしはおにぃのなに?」


「っ! 透さんの、妹!」


 パッとあーちゃんの表情が明るくなる。

 あたしは胸をドンと叩きながら言った。


「おにぃのことなら任せて! あたしがおにぃが喜ぶプレゼントを一緒に選んであげる!」


「な、ななちゃぁあん!」


 ヒシッと抱きついてきたあーちゃんの頭をよしよしと撫でる。


 無事に告白ができたと言っても、二人はまだつきあい始めたわけじゃない。

 おにぃの妹として、そしてあーちゃんの親友として、あたしにもまだできることはあるのだ。

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