第5話

「ようこそ!クラスペディア荘へ!」

 弾けた四個のクラッカー。チェリーちゃんはカラフルなテープをまとって目をぱちくり。

「えっと、まずは自己紹介だよね。リリーとティサはまだ向こうで手伝ってるから後で、だとして……じゃあ、ユオから」

「はいはい。……ユオ・フォール。十二だよ。よろしくね、チェリーちゃん」

 ビアと同じ色の髪に、紫の目。ユオは普段物腰柔らかいけど、怒るとめっちゃ怖いんだよ。イリアスが暴走してる時は止めてくれるの。どっちが兄かわからないね? ……ブーメランだ、とは言っちゃダメだよ?

「次はわたしね!」

 自信満々に前に躍り出てくるイリカ。

 この孤児院にいる子供は男子三人、女子五人の合計八人。年齢順で上から私、イリアス、リリー、ユオ、ティサ、イリカ、スニカ、ビアね。だからリリーとティサがいない今はユオの次はイリカであってるわけですが……。

「スニカのほうが三ヶ月も歳下だし?」

 イリカ……。言うと思ったよ。思ったけど、わざわざそんなことでマウントを取る方が子供だとは思わないのね?

「精神的に見てイリカがあたしより上にくるなんて考えられないから、なんとも思わないけどね」

「スニカ…!」

 自分から仕掛けておいて激おこなイリカちゃん。お子ちゃまね〜。ユオはため息を一つ。

「イリカとスニカは置いといて。ビア、自己紹介しちゃいな」

「いいの?」

 ビアは嬉しそうに笑う。今日のために散々練習してたもんね。がんばれっ。

「ビア・フォールです! 一月二十日生まれで、七歳です。ここには五年くらいいるので、わかんないことがあったらなんでもビアに聞いてね! なんでも答えるよ! これから……よろしくねっ、チェリーちゃん!」

 赤い目を細めてチェリーちゃんの手を取るビア。

「うん、わかった! よろしくね、ビアおねえちゃんっ」

 うわぁ。すっごい嬉しそうに笑うねぇ。私も末っ子だからわかるな。お姉ちゃんって呼ばれるのってなんかいいよね。

「よしっ。自己紹介も終わったことだし、」

 終わったかな? 終わったって言ってるイリカ。君こそやってなくない?

「ご飯食べよ!」

「そうだね。ほらおいでっチェリー。サティアさんが美味しいものたっくさん作ってくれたんだよ!」

 笑顔のスニカがチェリーちゃんの手を引っ張る。切り替えバッチリ。さっきまで喧嘩してたとは思えないね?

「そうそう。その中でもクッキーは絶品……」

 イリカがおっとりとどこか遠くを見る。おっと、またもや嫌な予感……。

「はぁ? カレーが一番に決まってるでしょ!」

「何言ってんの! あんなゴロゴロ野菜とか肉とか入ってるものがおいしいわけないでしょ!」

 まぁた始まったぁ…。すぐ喧嘩するんだから。チェリーちゃんが間で困ってるよ?

「残念でしたぁ〜。今日はキーマカレーみたいに具を小さくしたんですぅ〜」

「そ、それがなんだって言うのよ! 野菜は野菜! 肉は肉! まずいものはまず……」

「はい。そこまで」

 諦めた普段の諌め役、イリアスに変わって、ユオがイリカとスニカの間に割って入る。イリカは意固地だから、誰かが止めに入らないと思ってもないことまで口に出しちゃう。スニカ相手だと特に。

「なんで止めるの! そもそも悪いのはスニカで…!」

「終わりって言ったでしょ。新入りさんが驚いてるよ」

 ユオは腰に手を当ててイリカを見る。完全にキレる前に言うこと聞いといたほうが自分のためだよ、イリカ?

「た、確かにチェリーちゃんの前ですることじゃなかったかもだけど……、でも、不味いものを不味いって言うことの何が悪いって言うの!?」

 ……あちゃー、言っちゃった。

 シーンと静かな空気が流れる。嵐の前の静けさってね。

「イリカなら、言っていいことと悪いことの区別くらいつくと思ってたんだけど、俺の勘違いだったみたいだ」

 ユオは怒鳴るでもなく、静かに言い放った。イリカは恐怖に顔を引きらせる。

「……ごめんなさい」

 消え入りそうな小さな声。

「俺にじゃないでしょ」

 怒る兄を宥めるためにか、駆け寄ってきたビアを抱き上げながら、ユオは言う。

「ス、ニカ」

「ん?」

 ……いや、溜めるね? すっごい溜めるね?

「……食べてもないのに、『不味い』なんて言って……ごめん、なさい……」

 おっ、ちゃんと言えるじゃん。

「いいよ、許してあげる。でもその代わりちゃんと食べてよねっ! イリカも食べれるようにって、こっちは工夫してやってんだから」

 怒ってるように人差し指をピンと立ててイリカに詰め寄るスニカ。やっぱりキーマカレー風にしたのは、イリカのためだったんだね。

 イリカとスニカってさ、お互いにお互いのこと嫌ってそうでしょ? なんだけど、意外とちゃんとお互いのこと気にかけてるんだよね。スニカは、好き嫌いが多くて不健康なイリカのために日々料理の研究をしてるし、イリカはイリカでスニカが苦手な臨機応変な対応が必要なことを率先してやってるし。

 二人とももっと素直になればいいのにね。相手をちゃんと思いやれるいい子たちなんだからさ。

「たく……。馬鹿ばっかり」

 おっと? 今のイリカにその発言は危険じゃないかね、ティサくん?

「ほら、もう。チェリーちゃんが困ってるじゃない」

 台所からティサと一緒にやってきたリリーが「おいで」と膝をついて手を広げる。イリカとスニカのやり取りを眺めていたチェリーちゃんは、迷いなくリリーの腕の中に飛び込んでいった。

 リリーはほんとすぐに人の心を掴むよね〜。何がそうするんだろ…。見た目? 清楚だと安心感あるし……あっ声とか!

「ねぇ今、バカって言った? たった六ヶ月しか違わないのに、なに年上面してるの?」

 イリカに睨まれてティサがギョッとする。そうなるよね、知ってた。

「なぁにまた喧嘩をおっぱじめようとしてるんだい。せっかくの食事が冷めちまうよ」

 とここで救世主のご登場! サティアさんが台所から出てくる。手には香ばしい匂いとパチパチと油の弾ける音を出す……もしやそれは、私のイノシシですね!?

「サティアさん〜!」

 サティアさんを盾にするティサに、イリカは不満げに反発の声を上げる。

「あのね、聞いてよ! ティサったら……」

「聞いていたよ。確かにバカはいけないね」

「でしょう!?」

「でもティサの言うことも尤もだって自分でわかってるんだろう?」

 イリカは気まずそうに目を逸らして、スニカは少しハッとしたような表情を見せる。そんな二人にサティアさんは笑いかけた。いつ見てもいい笑顔。

「喧嘩は夕飯を食べた後にいっぱいおやり。それからでも遅くはないだろう?」

 イリカは小さく頷く。

 一瞬でイリカを諌めちゃうサティアさんは、いつ見てもカッコいい。その笑顔も相まってさ。

「……チェリーちゃんごめんね。急に喧嘩し出して驚いたよね」

 スニカが言う。

「わたしも、ごめん。嫌な気持ちにさせちゃった……」

 続いてイリカも頭を下げる。スニカに対してじゃなきゃ、ごめんってすぐに言えるんだよなぁ……。

「どうしてチェリーにごめんって言うの?」

 リリーに抱っこされるチェリーちゃんは、キョトンと首を傾げる。

「え? 誰かが喧嘩してるのって嫌じゃない?」

 リリーが驚いてる……珍しい。

「おねえちゃんたちケンカしてたの?」

 喧嘩だとすら思ってなかっただと…? 驚く私たち。サティアさんが豪快に笑う。

「あのね、おじさんたちのネサゲコウショウみたいでね、おもしろかった!」

 クックとかわいらしく笑うチェリーちゃん。ね、値下げ交渉…?

「おとうちゃんとおかあちゃんもよくやるんだよ。『これは、しいれておくべきよ! いま、とてもカチがあるもの!』『いいや、そのカチはすぐなくなる。こっちをしいれるべきだよ』って。おねえちゃんがとめないと、ずーっとおはなししてるの」

 確か、チェリーちゃんのお家は商人の家だってサティアさんが言ってたよね。

「チェリーね、おとうちゃんとおかあちゃんのおはなし、スキだったの。わかんないこともいっぱいあったけど、でもおとうちゃんもおかあちゃんも、すっごくたのしそうで……」

 楽しそうに話すチェリーちゃんに反して、空気が重くなるのがひしひしと伝わってくる。スニカは唇を強く噛んで、イリアスは困ったように笑った。

「でもね、おじさんがね、チェリーに言ったの」

 チェリーちゃんの顔も曇り出して、私はここから逃げ出したい気持ちに駆られる。……私の気持ちは、チェリーちゃんやみんなみたいに真っ直ぐじゃないから。歪みきって、今も私を縛っている。私の左手が包帯を撫でた。

「おとうちゃんもおかあちゃんもおねえちゃんとも、もう会えないんだよって、そう言うの。でもね、チェリー会ったの。おじさんがそう言ったあとに、おとうちゃんたちと会ったの。でもねでもね、みんなお話ししてくれないの。チェリーがよんでも、こっち見てくれないの」

 …………チェリーちゃん、家族のご遺体を見たんだ。落石事故って聞いてたから、てっきり遺体はないものかと思ってた。あってもチェリーちゃんに見せられないようなものかと……。

「チェリー、わるいことしたのかな? おとうちゃんたちにきらわれちゃったの? だからみんなが、おとうちゃんとおかあちゃんとおねえちゃんをもってっちゃったの? もう……会えないの…?」

 私にも、「死」の意味を理解できない時期があった。大好きなママとパパを持って行っちゃったミディカ教のお兄さんたちを恨んだりもした。実際、私たちからママとパパを奪ったのは私たちだったのだけど。それを理解したのは……ずいぶん後だった。自分たちへの怒りと、ママとパパともう二度と会えない悲しさと安堵で、お姉ちゃんと一緒にたくさん泣いたっけ。

「そんなことないわ。チェリーちゃんのこと、お父さんもお母さんもお姉さんも大好きだったよ」

 ポロポロと涙をこぼすチェリーの頭をそっと撫でて、口を開いたのはリリーだ。

「ほんと……?」

「ほんとほんと。ミディカ様に今ここで誓うわ。だからどうか信じて」

 リリーは優しく笑う。みんなの重い空気をもろともしない。リリーも両親を亡くしてるはずなんだけどね。

「でも、じゃあ、どうして……」

「チェリーちゃんのお父さん、お母さん、お姉さんは死んでしまったの」

「おい…!」

「イリアスは黙ってて」

 リリーが待ったをかけてきたイリアスを睨みつける。イリアスはたじろいで口を紡ぐしかない。美人が凄むと怖いよね。わかるわ。

「……チェリー、しんじゃうのはかなしいことってしってるよ。でも、どうしてもうおかあちゃんと会えないの?」

「死んでしまったからよ。死んでしまったら、もう二度と、話してくれることも、反応をくれることも、会うこともできないの」

 リリーはチェリーちゃんの目を真っ直ぐ見て言う。

「しんだら、会えない…?」

「ええ、絶対に。もう二度とね」

 イリアスが口を開こうとしたのをめざとく見つけた私は、彼の腕を掴む。振り返ったイリアスの抗議する目を見つめたままに、私は首を横に振った。

 イリアスのチェリーちゃんに「死」を教えたくない気持ちもわかる。日に日に弱っていく両親を見ていたというイリアスだから尚更なんだとも思う。でもどんなに隠しても、いつかは知ることになっちゃうから。リリーが今教えるっていう選択をしているのは、「後になって知る」という痛みを知っているからだと、私は知ってるから。

 ごめんイリアス。私はリリーの味方をさせてもらうよ。文句があるなら後で直接リリーとぶつかってくれ。

 チェリーちゃんの目から涙がドッと堰を切ったように溢れ出す。曖昧な悲しみが今、しっかり形作られたんだろう。行き場のない悲しみに、戸惑っているのがチェリーちゃんの表情からありありと伝わってくる。

 そんな彼女をリリーが優しく抱きしめる。チェリーちゃんはリリーの背にそろそろと手を回すと……わんわんと泣き出した。その顔にもう戸惑いはない。小さな手はリリーの服を強く握っていた。

 ……彼女の涙を見て、普通の人なら何を思うのかな? 同情? それとも哀れみ? ……考えたところで私にはきっと一生わからない。だって私ったら、……綺麗だと思ってしまってるんだから。おかしいでしょ? 人が悲しんでいるのに「綺麗」だなんて。でも……どうしようもなく「綺麗」という形容が似合ってるの。透き通り、しかもキラキラと光っている、純粋な悲しみからできる涙。私のとは大違い。

 憧れ、嫉妬、羨望。そんな思いが私の中で溢れて、こぼれることなく溜まっていく──。

「今はたくさん泣きなさい。泣きたい時は泣けばいいの。悲しみを完全になくすことができるわけじゃないけれど、少しは心が軽くなるわ」

 リリーがチェリーちゃんの頭を撫でながら優しい声で言う。

「そうそう。ここには泣いてるからって怒る奴はいないんだから、思いっきり泣いちゃえばいいのよ。もしいたとしてもスニカがとっちめてくれるしね」

「なんであたしが」

「え? とっちめないの?」

「いや、ボコボコにするけど」

「じゃあいいじゃん」

 スニカはまだなにか納得いかないような表情をする。

「えへへへ」

 いつの間にか泣き止んでいたのか、チェリーちゃんが楽しそうに笑う。スニカはちょっと気まずそうに手を後ろで組んで、笑った。

「チェリー、今から歓迎会にしようと思ってたが……今日はやめとくかい?」

 サティアさんの問いかけに、リリーの服を握ったまま、チェリーちゃんが首を横に振る。

「チェリー、おなかへった」

「思いっきり泣いたもんな」

「うん」

 台所から出てきたイリアスが、布巾でチェリーちゃんの顔を拭く。

「そうだね。ご飯にしよ。あたしもお腹減っちゃった」

「スニカが? 珍しい」

「イリカは黙ってて」

 スニカがすかさず出した助け舟は、イリカによって一瞬で撃沈させられる。

「チェリーちゃんは何が好きかしら? 今日は何でもあるわよ。サティアさんが腕を振るったから」

 リリーはイリカとスニカのやり取りにクスクスと笑いながらチェリーちゃんに尋ねる。チェリーちゃんも嬉しそうに笑う。

「ん〜とね、チェリー、クッキーがスキ!」

「もう、それはご飯じゃないわよ〜?」

「ビアもクッキー好きだよ!」

 ビアがチェリーちゃんの口の中に、野菜クッキーを放り込む。

「あっ、もう。ビアー? ビアも食べたでしょ? あたしの目は誤魔化せないよ」

「そんなことないよ?」

 ビアったら目が泳いでる。かわいいなぁ。

 みんなそれぞれに席に着き出す。決まっているわけでもないのに、なんだかんだいつもと同じになってしまう席に。

 チェリーちゃんの席はビアのお隣だ。チェリーちゃんが来ると決まった日から、ずっと席取りをしていた隣の席に座ってもらえて、ビアはとっても嬉しそう。

 ふと、お姉ちゃんが恋しくなる。私の唯一の血の繋がった家族。

「ねえユオ」

「ん?」

「手紙って……来てた?」

「あぁ……、来てなかったよ。今月は遅いね?」

「……うん」

 適当なお姉ちゃんが手紙の返事をくれるかはまちまち。一ヶ月に一回くらいの頻度で返事をくれると言っても、二ヶ月くらい送ってくれなかったことも過去にはあった。でも、最近は安定的に送ってきてくれてたのに……。

 楽しいはずの歓迎会だった。それなのに、ふとよぎってしまった手紙のせいで、始終胸にポッカリ穴が空いている気分だった。

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