第2話

 鼻歌混じりに孤児院への帰路をスキップで進む。カゴいっぱいの山菜に、両腕に抱えきれないほどのお肉! あ、そうそう。【邪霞じゃか】は食べようが、溺れようが、害はないってさ。例外はあるって言ってたけど……その例外ってなんだろ? まいっか!

 何もない原っぱに細々とある道の先。このリーホック村の端っこ。集落から少し離れたところ。それが私の住む孤児院、クラスペディア荘のあるところ。

 ……ニヤニヤが止まんないよ〜!

「たっだいまぁ!」

 シンプルな装飾の扉を開け、誰もいない廊下にも笑顔になって、私は一人、浮き足立って厨房へと向かう。

 レイにはね、取った肉の三分の二くらいを、町に売りにいってもらってる。内臓とか皮とか骨とかもね。あの小さな体じゃ持ちきれなかったから、ちゃんと魔法でお手伝いをしてあげて。

 ……いやぁ、今思い出しても鳥肌が立つんだけどね? レイったらね、パパッとイノシシのこと解体してくれちゃったんだよ。ほんっとすごかった。

 うーん……でも、解体ができるならもっと早く言うべきだと思うの。今までもイノシシとかウサギとかシカとか獲ってたけど、そんな素振り一回もなかったからなぁ。レイはもう少しレイのことを私に話してくれてもいいと思うんだ。まあ過ぎたことをどうこう言っても仕方ないけど。

 厨房に入ってすぐに目についた背中に、私の機嫌は最高潮に達する。

「サティアさん! 見て! 肉!」

 両手の肉を掲げて見せる私。野菜を切っていたサティアさんは驚きもせず、優しい顔をして振り返る。

「おかえり。ずいぶん遅かったね」

 おっと。肉が嬉しすぎてつい……。では気を取り直して。

「ただいま〜。そうなの、いろいろあってね? イノシシに襲われるし、カゴを山の上に置いたまま麓まで下りてきちゃうし」

「それは災難だったね。それはそのイノシシの肉かい?」

「そう! このイノシシ、私なんかよりすっごく大きくってさ。三頭狩っただけなのに信じられないくらいお肉取れてね」

「怪我はないのかい?」

「うん。へーき」

「そうかい。……でもなんでそんなでかいのがあの山にいたのかね? あそこは安全だと思ってたんだけど……」

「大丈夫大丈夫。レイもいるし、私そんなやわじゃないし」

「…………はぁ。わかったよ。でもくれぐれも気をつけておくれよ」

「心配してくれてありがと」

 心地よい優しさがくすぐったくて私は笑みをこぼす。

 サティアさんは孤児院の……経営者って言えばいいのかな? 私たちの、お母さんだ。私たちを平等に愛してくれて、衣食住を整えてくれて。それだけでも十分なのに、失敗しても体罰はされないし、お小言だって言われない。悪いことしたら怒ってくれるし、ダメなことはダメと言ってくれる、私たちの、大好きなお母さんだ。

「えっと……タケノコ、エリンギ、アスパラガス……。オッケー、合格だよ」

「慣れたもんですよ」

 私は得意げに胸を張ってみる。私の夕食がかかってるわけだしね。

 サティアさんは少し申し訳なさそうに笑う。

「すまないね。お前だけずっとこんなことをさせちまって」

「ううん。当然の処遇だよ。置いてもらえてることがもう奇跡だもん」

 ……うーん……そんな顔してもらいたくて言ったんじゃないんだけど……。

 サティアさんは恩人だよ。私たち姉妹の大恩人だよ。これは何年経ったって変わらないたった一つの事実だよ。

 あの約八年前のあの日。私たちはサティアさんに助けられたんだ。親が不審死した子供。おかしな痣、おかしな目におかしな髪の子供。私たちは……村の人たちに、村に残り続けるのを嫌がられた。当然のことだよね。まあそもそも、七歳になったばかりで家の所有を続けることはできなかったんだけど。

 そこで助けてくれたのがサティアさん。稼ぐこともできないのに、お金を持たず、孤児院の紹介状すらもないまま、村を追い出されそうになっていた私たちに、サティアさんは衣食住をくれると言ってくれた。反対する人を押し退けるために条件をつけて。

 一つ、破れたり、ほつれたりした服を直すこと。二つ、夕飯を食べたいなら、森からサティアさんが頼んだ食材を取ってくること。三つ、夜は私たちより小さい他の子たちの寝かしつけ、朝は朝起きるのが苦手な子を起こして、私たちより小さい子の着替えの手伝いをすること。

 それでも反対をする人はいたよ。もちろん。でもサティアさんがねじ伏せてくれた。「あんたらが世話をするわけでもないじゃないか。孤児院に置くのはあたしの勝手だ。それともなんだい? あんたらは村に置くことすら許せない小さな人間なのかい!」って一蹴してくれたの。あの時のサティアさんはほんとにカッコよかったなぁ。

 ちなみに今お姉ちゃんは、ミディカ教に勤めてるからここにはいない。五年前くらいかな? 私たちが十歳になる年の四月。お姉ちゃんが突然言ったんだ。「私、ミディカ教で働くわ」って。前触れ全くなしにだよ? 驚いたのなんの。お姉ちゃんは一度決めたらテコでも動かない頑固者でね。私が何を言っても引き止められなかったよ。私としては離れ離れになんて、なりたくなかったんだけど。

 それからお姉ちゃんが孤児院に帰ってきたことは、一度もない。月一程度で手紙のやり取りをするだけ。私は一週間に一回くらい出してるんだけどね? ただ一人の家族を蔑ろにしすぎだと思う!

「ほら、出て行った、出て行った。今日は年長者としてやることがあるだろう?」

 追い出すように手を動かすサティアさん。膨らんだ私は恨みがましくサティアさんを見る。

 …………えー? 夕飯作りのお手伝いしたーい。

 いや、わかってるよ? やらなきゃいけないことがあるのはわかってるよ? わかってるけどさ、料理も食べることも好きな私にとって、調理場は至高の場所なんだよ。ほら、想像してごらんよ。大きなお鍋がぐつぐつと……。あぁもう想像のくせにいい匂い……。

「料理の手伝いは明日。今日は我慢しておくれ。なんてったって今日はこの孤児院に新人が来るんだからね。あんたが面倒見ないで誰が見るって言うんだい」

 そうなんだよねー……。


 チェリー・ルーリスト


 今日ここに来る六歳の女の子の名前だ。この前、とんでもない大雨が国の東の方で降ったんだよ。こっちは被害が皆無。どころか晴天だったんだけど。その時に、土砂崩れがあったらしくてね。この子の両親とお姉さんが乗っていた馬車が巻き込まれて……三人とも息を引き取った。ルーリスト家は商人なんだけど、その時も売り物を売って家に帰る途中だったらしい。チェリーちゃんは熱が出てただとかで家にいたから無事だったんだって。引き取ってくれる親戚もいなくて、ここに来ることが決まったんだそう。

 チェリーちゃんがもともと住んでいた場所の近くにも孤児院があるらしいんだけど、六歳なんて年齢で生涯孤独になっちゃった子だからね。遠いけどここの方がいいだろうって国王様が。

 国王様がなんで決めるんだっ! 決定権はチェリーちゃんにあるだろう! と思わなくもないんだけど、これには訳がある。実はこの孤児院。訳ありの子がほとんどなんです。大人にトラウマがあったり、物心ついてから家族を亡くしてたり……。あぁでも、私の場合は住んでいた村にある孤児院だからって理由でここに来たので、あくまでたまたまなんだけどね。

 そんなわけでこの孤児院には大人がサティアさん一人だし、リーホック村の領主のお貴族様じゃなくて、お国から支援されて運営してるし、孤児院を出る出ないは個人の判断だし、料理も洗濯も掃除も私たちの仕事。だからチェリーちゃんのお出迎えも私たちの仕事で、中でも最年長者の私がやることに……。

 なんでだよ! リリーとかユオとか私より子供の扱い上手な子たくさんいるじゃん! なんでまた私が選ばれるんだ! ……抗議していい? いいよね?

「クレイスは頼もしいからね。私も安心して歓迎会の準備ができるよ。腕に寄りをかけて作るから楽しみにしておきな」

 サティアさんは爽やかな、晴れやかな笑顔で言う。

 ……ねぇ、サティアさん。わかってやってるでしょ? そんな顔されたら、断れなくなっちゃうじゃんか!

「……わかったよ」

 まだ嫌々ながら、折れた私の背を、サティアさんはハッハッハッと豪快に笑って、一、二回叩いていく。痛いなぁ、もう。

 諦めはしたもののまだ厨房から離れ難くて、置いてある椅子を引っ張り出し、夕飯の準備に取りかかり始めたサティアさんの背をボーと眺める。と、ドタドタと駆けてくる音がしてきた。

「姉ちゃん!」

 勢いよく厨房の扉を開けて入ってきたのはイリアスだ。私を抜いたら最年長。よく突拍子のないことをするヤンチャ坊主だけど、面倒見のいいお兄ちゃん。琥珀色の目にやわらかい茶髪がトレードマークだよね。今もホワホワと揺れて……。

「姉ちゃんってばやっぱりここにいたー。お客さん!」

 ドンッと机が叩かれる。やっぱりってなんだよ、やっぱりって。

「お客さん?」

 思い当たらない客人に首を傾げると、イリアスは呆れたような、蔑むような目で私を見る。えー?

「チェリーだよ。チェリー・ルーリスト!」

「あぁ……」

「あぁ、じゃないよ! たくっ…。今ティサが対応してる。早く行ってあげて」

 なんでティサが? 兄弟の中で一番人と関わるの苦手でしょ?

「だ、か、ら! 今みんな出払っちゃっていないの! みんな買い出し中!」

 ……言われてみれば。朝早くからみんな出て行ったな。歓迎会用の食料とかチェリーちゃんの必需品を買いに行くとかで。もっと前もって買っておけよって感じだけども。

 買い出しに行ったってことは……町かぁ。じゃあどう頑張ってもおしつけられないなぁ。ここはのどかーな田舎だけど、少し歩けば大きめの町があるんだよね。レイがお肉を売りに行ったのもそこ。まぁ少しと言っても片道一時間くらいかかるけど。

「どうしてそんなにお出迎えが嫌なんだよ。姉ちゃん、ビアと遊ぶの好きじゃん。小さい子の面倒見るのも上手だし」

 ……イリアスよ。多分私とお姉ちゃんごっちゃにしてるよ、それ。確かにビアと遊ぶのは好きだけど、面倒見がいいなんてことは全くないって。いや、それ以前に……

「初対面の子どもに怖がられなかったことないんだもん……」

 そうなんだ。この左目の包帯のせいか、初対面だとみーんな怖がるの。おばけだぁって。初対面じゃないとやーいやーいって揶揄われる。怒ったらバケモノ扱い。反応しなくてもバケモノ扱い。意外と辛いんですよ?

「あのね。僕は? 初対面の時怖がったっけ? 嘘つかないで」

 少し強い口調のイリアスに少しビクつきながら、記憶を思い起こしてみる。…………あれ…?

「怖がってなかったけど……」

 ……ほんとだ。確かに怖がられなかったことない、は嘘だ…ね。それはごめんじゃん。でも、だとしても……。

「スニカは? ユオとビアは? お出迎えの時怖がられたっけ?」

 あれ……?

「ハイラ兄ちゃんは? ルーゼ姉ちゃんは? ソフィーロ兄ちゃんは?」

 あれ……?

 孤児院にきた日のことが脳裏にありありと浮かぶ。サティアさんに連れられてやってきた村のはずれ。笑顔で迎え入れてくれたイリアスとお姉ちゃん、お兄ちゃんたち。

 みんなが来た時も、知らない場所だから怖がってはいたけど、私を見ても特に何を言われるでもなかった──。

「ね? 大丈夫だって」

 イリアスは優しく微笑む。

 それでも……、みんながみんな私を怖がるわけじゃないってわかっても……、一定の速度を持って、際限のない風船は膨らみ続ける。不安という空気を入れられて……。

「で、でも…! 私、あの時はまだ包帯なんてしてなくて……」

「ユオとビアが来た時にはしてただろ」

「あの二人は切羽詰まってたし…!」

「……ほら、姉ちゃんのこといじめてるのは村の連中だろ? あいつらは事情を知ってる。親からあることないこと吹き込まれてる。でもチェリーは違うだろ?」

「事情を知ってるか知らないかなんて関係ない…! 事情を知らない町の子に怖がられたことあるし、事情を知ってるイリアスたちは優しくしてくれた…!」

 私たちはしばらく睨み合う。サティアさんが包丁で何かを切る音と、鍋が沸く音だけになる。

 最初に目を逸らしたのはイリアスだった。勝った。そう思ったのに……あろうことかイリアスが次に取った行動は、ため息だった。

「いい加減にしろよ」

 冷たい声にビクッと体が跳ねる。

 怖い。やだ。嫌わないで。怖い。失望しないで。見捨てないで……。

「あっ、もう……。 ごめんって。怒ってないよ。怒ってないから。姉ちゃん、泣かないで」

 頬を伝う涙。頬より少し冷たい涙に、そこから浸透していくが如く少しずつ冷静を取り戻してくる私。イリアスが困った顔してオロオロしてる。私はこの状況の恥ずかしさのあまり顔を赤くする。サティアさんもいるのに……。

「ごめん、ごめん。イリアスは悪くないよ。ごめんね」

 お姉ちゃんなのに。お姉ちゃんなのに。

 際限なく溢れてくる涙に何度も何度も目を擦る。

「いや、僕が悪い。ごめん、怖がらせたよね。ごめん」

 私は首を横に振る。イリアスは悪くない。何も悪くない。タイミングが悪かっただけで、悪いのは私だから。

「……チェリーの面倒見るのやめとく? 僕らで頑張るよ」

 私は首を横に振る。リリーたちがいないなら、私が面倒を見るのが一番いいから。チェリーちゃん、お姉ちゃんがいたって言うし、女の子だから女子が見たほうがいいし。

「大丈夫なの? 無理しなくていいからね?」

 私は頷く。大丈夫。冷静だし。落ち着いてるし。……涙は止まらないけど。

「はい。お茶だよ。これ飲んで落ち着きな」

 トンッと置かれたコップ。顔を上げるとサティアさんが笑顔で私を見ていた。

「知ってるかい? 商人ってのはね、見た目で人を判断しないんだ。見た目で判断した時、そのせいで不利益を被ることもあるからね。大丈夫。チェリーも生粋の商人の娘だよ」

 私は頷く。気にかけてくれたのはすっごく嬉しいんだけど、でも、実はもう気にしてなかったり……。いやー、うん。気分屋だってよく言われる。

 ポロッと落ちてきた涙を拭いて、サティアさんが出してくれたお茶を一気に飲み干す。……うん。もう大丈夫。涙も落ちてこない。

「ひどい顔だねー。顔を洗ってから出て行くんだよ」

 サティアさんは豪快に笑うと、また台所へと向き直る。私はよしっと気合を入れて笑顔を作る。

「ごめんねイリアス。無駄な時間使わせちゃった」

 イリアスはちょっと迷うように目を泳がせた後、私を見て、ニコッといたずらっ子のように笑う。

「別にいいよ。困ってるのは僕じゃなくてティサだし」

「そうだった…!」

 ティサったら人付き合い苦手なのに…! しかも初対面の人と一人で対応させてるなんて…!

 青ざめた私は台所を飛び出して……ふと気づいた忘れ物に立ち止まって、台所の方へ体を向けた。

「ありがとね、イリアス」

 イリアスは少し目を丸くして、それから、優しく微笑んだ。

「どういたしまして」

 満足。満足。

 私は軽い足取りで応接室へ向かう。今日から新しい家族が増える。楽しみだね!


 って、顔洗わなきゃだった!

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