7 だったら、だったら良いなぁ

 声の方をバッと俺たちが向くと、ニタついた笑みでさっき座っていた若い男がそこに立っていた。

「お前はゴミを庇おうとするな。うちの家を発展させるために、お前は死ぬ気で訓練するんだ。それなのにさっきお前は紹介状を受け取らなかったよなぁ! それで父上はカンカンなんだよ」

 ズカズカと部屋に入ってきた男は、ホームズの頭を大きな手のひらで強く掴む。

「ぐっ……!」

 ホームズの顔が苦痛に歪む。が、俺もアニーも止めることはできない。いくらなんでもこちらは十二、三ほど、相手はおおよそ成人しているほど、体格差がありすぎる。

 頭を掴む力だけで、ホームズはゆっくりと持ち上げられていく。

「やめ……ろぉ……!」

「おおおお、威勢のいいガキだこと。前は何やってたかしらねぇけど、ここではお前はただのを聞くだけのモノなんだ。わかったか?」

 そう言うとホームズを掴んでいた手が離れる。咄嗟に俺はホームズの下に滑り込んでいた。抱き止められはせずとも、クッションにはなれる。そう思ったからだ。

 思った通り、俺の腹の上にホームズは力無く着地した。ふらつきながらも立ちあがろうとするホームズの肩を、俺はゆっくりと抱きかかえる。

 そんな俺の目の前に、封筒が一枚落ちてきた。

「ほら、お前の分の招待状だ。もう破くなよ。それとそこのデブ。生まれ変わったように殊勝な心がけだな。そうやって下に敷かれて、この優秀なガキを守ってろよ! ははは!」

 言うだけ言うと、男は部屋から出ていった。

「ありがとう。助かったよ。痛くなかったかな?」

「いや、気にしないでください。全く感じなかったんで」

 脂肪のおかげか、本当に痛みはゼロに等しいものしかなかった。

 そんな俺の腹の上からおり、ホームズは紹介状を拾い上げる。

「ひどい人ね。本当に私たちは物でしかないみたいな言い方」

「しょうがないさ。彼らにとって僕たちはあくまでも駒なんだ。死んだ人間を救い出してやった、とさえ思っているだろうしね」

 そんなことを話していると、今度は執事の一人が部屋を訪ねてきた。

「失礼致します。同じ部屋におられたのですね。準備は整いましたでしょうか?」

「ああ、三人とも準備万端ですよ」

 ホームズの言葉に、執事の男性は優しそうに微笑んだ。

「ならよろしゅうございました。ぼっちゃま、お嬢様、玄関の方にお集まりなさってください」

 深く礼をした執事は、そのまま部屋から去っていった。

「準備が整った……まあ、これのことだろうね」

 ホームズが紹介状を掲げる。俺とアリーもポケットからそれを取り出した。

「じゃ、行こうか」

 これから先、どんな苦労が待ち構えているかはわからない。でも、あれ以上の苦労はないことだけは確かだ。そんなことを思いながら、俺はホームズらと部屋を出た。

 

 ・・・

 

 この家の玄関は俺が想像していたモノ以上の大きさだった。執事やメイドが何人も……いや、十何人と並んでいてなお、大きな病院の待合室と同じくらいの幅がある。

 玄関にはすでにバインハルトが立っており、先ほどの若い男も隣に立っていた。

「おお! ホームズも招待状をちゃんと持ってくれているではないか。ちゃんと反省する子はいい子だな」

 俺たちを見つけたバインハルトは喜ばしいといった様子で手を広げる。

「さ、外には師匠を準備しているのだよ。あ、ヤマト、君だけは馬車に乗って少し遠くに居る師匠の元へ行くんだ。いいな?」

 俺の方に歩み寄ってきたバインハルトはにこやかに笑いながら言う。

「わかりました。じゃ、アニーもホームズも、頑張って」

 ホームズとアニーに別れを告げながら握手をし俺は一人玄関から外に出た。

 外に出ると広く美しい庭園の中に、一台の馬車が停まっていた。綺麗な細工が施された、しかしそれでいてごってりとせず瀟洒な作りの馬車だ。メイドの一人が扉を開けると、俺はゆっくりと重い足取りで馬車に乗り込んだ。

 椅子は柔らかく、体が沈み込むようだ。俺の今の体重が重いだけかもしれないが……。

 窓の外ではメイドが一人、俺の方に近寄ってくる様子が見えた。

「私どもはこれまででございます。向こうに到着しましたら、お持ちになられている招待状をお開きになってください」

 メイドがそう伝えると同時に、手綱が風を切る音と共に馬車がガタンと揺れる。ゆっくりと景色が動き出して、馬車は屋敷の庭を進んで行った。

「大きい家だったんだなぁ、本当に」

 ふと口から言葉が出る。それほどまでに屋敷は広かった。

 人物の体を、精神を乗っ取ってまで良かったのだろうか。俺の幸せは、誰かの犠牲の上で成り立っている。そんな不安が、心をよぎってはゆっくりと水につけたわたあめのように溶けていく。

 俺はホームズのように賢くもないし、正しい選択も考察もできない。これが本当に正しいのか、それとも倫理的におかしいのか、それすらもわからない。でも、なんとなく自分が健康に生きれていることへの感謝は忘れないようにしよう。

「ふわぁ……」

 大量の食事を摂ったからだろうか、急激な眠気に襲われてきた。馬車はまだ平原を進んでおり、どこが目的地なのかはわからないがまだ先であろうことだけはわかる。

 俺は椅子に寝転び、瞼を閉じた。馬車の揺れが心地よくて、ゆっくりと、人生初の快適な睡眠に落ちていった。


 ・・・


 夢だ。これは夢だ。わかる。なぜなら、俺は空から自分を見ているから。だからこの光景も夢だ。謝りながら家族が俺の点滴に何かを入れているのも、そのしばらく後に俺の横に置いてあった機械が音を立て始めるのも、全て夢だ。

 その後のことなんて何もわからない。けれど、これは夢だ。そう思わないといけない。

 シーンが切り替わる。さっき窓に見た俺の今の顔そっくりの男が、食事を食べ散らかしている様子だ。周囲のメイドは迷惑そうに、しかしそれを表に出してしまわぬように彼を宥めている。それ以外にもふんぞりかえってまるで自分が王様のように振る舞っている。これは夢だ。都合の良い、自分を正当化する夢。

 だけれど、これが事実だったら良いなぁ。俺を助けるために誰かが犠牲になっちゃったのは申し訳ないけど、それでもこれが事実だったら、良いなぁ。


・・・


「到着いたしましたよ。坊っちゃん、坊っちゃん!」

「んふぇ……」

 いつの間にか眠っていたみたいだ。何か夢を見ていた気がするが、何をみていたかは思い出せない。

「もう、早く起きてください!」

「あぁ、ごめんなさい」

 目をこすりながら起き上がると、そこは森の入り口のような場所だった。

「……坊っちゃん、本当にお変わりになられたんですね」

 悲しそうな顔をした男が俺の目を見つめてきた。

「そう、らしいです。ごめんなさい」

 あぁ、この体の持ち主も愛されていたんだろう。死んでほしくなかったのだろう。

「いや、謝らなくても構いません」

「でも、悲しそうな目をされてますよ」

 俺の指摘にハッとしたように、男はかぶりを振った。もう一度こちらを向いた時には、さっきの悲しそうな表情はどこかに消えてしまっていた。

「あんなにも苦手だったのに、いざ居なくなってしまったと思うと少しの寂しさはあるものございます。坊っちゃん、あなたは優しい人であり続けてくださいね」

「……ありがとう。おじさん、名前は?」

「ヘルターと申します」

「ヘルターさん、ありがとう」

「いえいえ」

 俺が馬車を降りると、ヘルターが運転する馬車は遠くへと去っていった。今日、あの屋敷に帰ったらホームズに話すネタが一つできたな。俺は心の中でそう呟いた。

「さて」

 ポケットから紹介状を取り出す。封蝋がされており、開くのに少し苦戦したが無事それを命令通り開くことができた。瞬間、封筒の中から光が漏れ出す。それは森の中に一直線に続いていた。

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