第19話 お仕事はウインクから

 海の大袈裟な注意に、そこまで心配しなくても子供じゃあるまいしと考えて、ああそういえば今の自分は子供だったなと思いだした。この世界での自分は、確か十五、六歳ぐらいの年齢だったはずだ。はずだ、というのはじっくりと鏡を見て確かめたことはないからである。しかし周りの反応からなんとなくそうだろうとは確信している。

 一番の決め手は、下女寮で同室の雪が同じ歳の友達ができたと喜んでいたことだ。彼女はどこからどう見ても十五、六歳の少女だった。再び雪のことが心配になる。親切のつもりで白蓮様の執務室の清掃を交代してから早三日。まさかこんな勘違いをされることになるとは夢にも思っていなかった。私がぼんやり空を見あげていると、通用口から海が顔をだし手招きした。小走りで駆け寄ると、海の背後からひょっこりともう一人、別の男性が顔をだす。年は四十代の中頃、髪も髭も白髪混じりの鈍色をした、いい感じにワイルドな妙齢のオジサマだ。


「おっ、これが噂のお相手か? 思ったよりも若いな。お前もなかなかやるじゃないか」


 オジサマは顎鬚を撫でながらにやにやすると肩先で海を小突く。かなりの勢いで当たったはずだが、仏頂面の海は微動だにしなかった。


じん、そこを退け。澪が入れん」


 海はぶっきらぼうにいうと、背後から覗きこんだ相手をぞんざいに押し返し、できた隙間から私の扉の中へと招きいれる。しかし沈と呼ばれたそんな海の態度を気にする風もなく、むしろこのやりとりを楽しんでいるような顔だった。二人は余程親しい間柄らしい。


「お、澪ちゃんて言うのか。可愛い名前だな」


 沈と呼ばれたオジサマは笑顔で手を差しだしてくれる。私はためらいつつも、ちょこんと彼の手を握った。


「俺は沈雨じんうだ、じんと呼んでくれ。この西門の警備長けいびちょうをしてる」


 オジサマは沈雨と名乗りながらとびきりの笑顔でウインクした。彼があと二十若かったら、かなりの威力があったのではと思わせる笑顔だった。人によっては今でも十分な威力を発揮するだろう。


「警備長様とは存じあげず、大変失礼をいたしました」


 城門の警備長といえば各院の局長に匹敵する役職だ。しかし私が急いで頭をさげようとすると、沈雨は軽く手を振ってそれを制した。


「まあ、色々あって西門の警備長なんぞやってるが、俺も堅苦しいのは苦手でね。それよりもさあ中に入んな」

「沈に部屋を用意してもらった。そこで話の続きをしよう」


 先を歩く沈雨がにやにやしながらこちらを見返す。


「ほおぅ、話の続きねぇ」


 わざとらしい語尾の強調に、眉間に皺を寄せた海が後ろからさりげなく蹴りをいれる。完全に死角からの一撃だったにも関わらず、沈雨は軽い体重の移動だけでそれをかわした。案内されたのは通用口からほど近い、奥まった場所にある一室だった。


「ここなら邪魔も入らんだろう。壁が厚いから外に声ももれないしなー」


 後半、沈はわざとらしく海の耳元に口を近づけて囁くようにいう。海は思い切り顔をしかめると、容赦のない勢いで沈雨の顔を払いのけた。しかし沈雨はそれをひょいと戯けた仕草で避ける。実に身軽なオジサマである。


「話をするだけだ。澪おいで」


 促されて私は中に入った。広くはないが品の良い調度品が置かれた四人掛けの部屋である。正面には窓があり、部屋には明るい日差しが差し込んでいる。窓の向こうには小さな庭も見えるが、庭は生垣によってきっちりと仕切られ、外からは中の様子が伺えない造りになっていた。官吏たちが大店との面談に使用するような商談室である。


「今日は夕方まで予定を入れておくから、時間は気にしなくていい。終わったらそのままにしておいてくれ」

「この借りは、今度」

「気にするな。それよりも俺は安心してる」

「は?」

「お前にこんな甲斐性があったとはな」

「煩いぞ」

「見たか、さっきのお前の顔。犬猫だけじゃなくて人間相手にもまともな対応ができたんじゃないか。お前のあんな顔……おっと!」


 なんの前置きもなく海が仕掛けた足技を、沈雨は片足を上げてひょいと避けた。


「ま、楽しめよ」


 扉から顔を覗かせてそれだけいうと、次の攻撃が飛んでくる前に彼は廊下へと消えていった。朗らかな笑い声が遠ざかってゆく。海は息をついて髪を搔きあげると、私に席をすすめてくれた。


「沈は煩いが悪い男じゃない。腕も立つ」

「海様のお友達なのですね」


 私はいつもの習慣で、何も考えずに長椅子の端にちょこんと腰をおろした。そしてそんな私の隣に当たり前のように海が座る。


「腐れ縁だな。さ、あの男のことはどうでもいい。それよりも澪、ここなら落ち着いて話せるだろう? 時間も気にしなくていい。この三日間に何があったのか教えてくれ」


 海は長い足を組むと、椅子の背に片腕をのせて私の方に顔を寄せた。海の意外に長い睫毛まで数えられる距離だ。吸いこまれそうに青い瞳が真っ直ぐに私を見ている。私は深呼吸して気を紛らわせる。そんな事で動揺しているような場合ではないのだ。そうして改めて間近で海を見ながら、私はふと思った。海はこんな顔だっただろうかと。

 これまでも海には何度も会っている。しかし忙しい海との面談はいつも慌ただしく、この世界にきてからの私は常にどこか上の空だった。だからこんなにも世話になっているというのに、私はちゃんと海と向きあって話したことがなかったような気がする。それどころか、助けてもらった御礼すら、ちゃんといえていないのではないだろうか。

 海は文字通りの私の命の恩人なのに、そんな大事なことが曖昧になる程この国に来た頃の私は混乱していた。そしてこの国にきてからの半年間はただ生きることに必死だった。きっと海にも混乱してわけのわからぬことを色々といってしまったはずだ。しかしそれでも海様は私を見捨てないでいてくれたのである。それは本当にありがたいことだった。

 

「海様あの……ありがとうございます」


 私は海に向かって深く頭をさげた。


「どうした、急に?」

「私、海様に森で助けていただいた時のお礼を、まだちゃんど言ってなかったと思って……」


 私は顔をあげるとしっかりと海の目を見つめて笑顔をうつくった。照れてしまいてへっとした感じになってしまったが気にしないことにする。海はわずかに目を見開くと、ふと表情を和らげた。


「ちゃんと、澪は礼をいってくれている」

「そうですか、だったらよかったです」

「澪、何があったか教えてくれ。もし君のいいづらいことでなければだが……」

「海様が、その……ご心配なさっているようなことは本当に何もないんです。でもどこから話せばいいか分からなくて……」

「どこからでもいい。君が話しやすいところからでかまわない」


 私は海に促され、この三日間の出来事をぽつりぽつりと話しはじめた。

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