第8話 お仕事は立ち話から

「うぅ、ずみばぜん」


 私は潰れた鼻を押さえながら恐るおそる白蓮を見あげる。流麗な後ろ姿の印象とは裏腹に、一瞬触れた彼の体は予想外にしっかりとした筋肉がついていた。その証拠に私が全速力でぶつかっても彼はびくともせずに元の場所に立っている。横から前を覗くと進路のど真ん中に人が立っていた。どう考えてもわざととしか思えない位置だ。

 立っているのは先程、外商院の副院長に嫌味を言っていたどこかの院長である。年は四十後半かあるいは五十にさしかかっているかもしれない。相対的に平均年齢の若い天虹国の王城では、それだけでかなり古参とわかる風貌だ。

 小柄な痩躯の背筋を針金でも入っているのかというほどぴんと伸ばし、皺一つの乱れもなく衣装を着込んでいる。細縁眼鏡の奥の両目は獲物を見つけた猛禽類のように鋭く、白蓮様の後ろに隠れた私を隅から隅まで値踏みしている。薄くなりかけた髪を丁寧に撫でつけた額は広く、そこに浮きあがった幾筋もの血管が、時折ひくひくと生き物のように動いている。一見しただけで癇の強いタイプだとわかる。


「ここは子供の遊び場ではない」


 少し甲高いよく通る声で言った。命令し慣れた声だった。決して大きくはないが広い朝議の間の隅々まで響き渡る。するとその場に残っていた参加者の大半が蜘蛛の子を散らすように部屋から去っていった。

 残ったのは蓬藍を含むほんの数人と白蓮様と私である。逆にこんな状況でも気にせずに残れるような人々は相当に面の皮の厚い強者だ。こちらの様子など少しも構わずにのんびりと後片づけや打ち合わせなどをしている。


「子供に朝議の議事録をとらせるなど、非常識にもほどがある」


 語気の険しさに、正面を覗きこんでいた私は、首を竦めて慌てて白蓮様の背中に隠れた。そうして当座の安全地帯に隠れて一息ついてから、私はあれっと首を傾げた。

 このどこかの院長であろうおじさまは喧嘩腰だが、しかしよくよく考えてみるとおっしゃっている内容は至極真っ当ではないだろうか。私のようなどこの馬の骨ともしれない子供を朝議に参加させるのはもちろん、議事録をとらせるなんてもってのほかだって? いやいや、よくぞ言ってくれました。本当にその通りですとも!


 裏切り者の私は白蓮様の背中で、密かに拳を握り激しく同意する。子連れは感心しないって? それはここにいた全員が、そして何を隠そう私自身が、誰よりも一番そう思ってましたとも!

 ぜひ白蓮様にもっとはっきりと、そしてしっかり言い聞かせていただきたい。それでもう二度とこんな大それた人違いをしないように諭してあげてくださいな!!!


 しかし私が叫んだのは心の中でだけだ。本当は喉元まで迫り上がってきたものを私はひっしに飲みくだした。どのような理由でか知らないが、主に黙って勝手に不在にしていた侍従も侍従だし、下女の私をその侍従だと勘違いしたままの白蓮様も白蓮様だ。私だって一刻も早く誤解を解いて本来の己の仕事に戻りたいと思っている。

 しかし不可抗力とはいえ、下女である私はなんの資格もないにも関わらず、現実に朝議という国政の中枢、最前線の場に勝手に紛れ込んでしまっている。もしもこの場で私の身代わりが明かされようものなら、比喩ではなく二度と日の目を見られないだろう。だから私は白蓮様に一刻も早く勘違いに気づいて欲しいと切望しながらも、今この場では絶対に真実が明かされてほしくないと、いるかわからぬ神に祈った。


 この世界に来てから本当に理不尽なことばかりだ。前の世界で企業に勤めている時も日々理不尽に文句を言っていたのだが、異世界のそれはサラリーマンの比ではない。

 そもそも異世界転生したということ自体が非常識すぎるのだ。明確な目的もなく無理やり転生させられたうえに、一方的な勘違いで振り回されたあげく、自分には何の非もないにも関わらず間諜と罵られ、その場で問答無用に切り捨てられては堪らない。一体、これ以上の理不尽があるだろうか。

 この世界に来てからすでに一万回は脳裏を横切った『なぜ、どうして私が?』という疑問が再び私の脳裏に去来する。私はこの場で叫びだしてしまいたい何かをグッと飲み込んで目を閉じた。そして細く長く息を吐く。

 この世界で死んだら元の世界に戻れるかもしれないという淡い期待だけが、この堂々巡りの果てに辿りつく唯一の慰めだった。


「医学的見地からいえば子供に明確な定義はない。我々は仕事をするために集まっているのだから、仕事ができれば問題なかろう。逆に大人だからといって必ずしも仕事ができるとは限らぬしな」


 さらりと言い放ち白蓮様が肩を竦める。向かいに立つ人物の額の血管がひくひくと脈打った。


「戯言を、子供は子供だ。そういう屁理屈を並べる輩がいるから余計に風紀が乱れるのだ。子供を借りだすほどの人材不足は責任者である君の不采配だろう。節操なしに余計なことにばかり首を突っ込み、金儲けになぞ現を抜かしているからだ」

「医薬の研究には相応の金がかかるのですよ。何事も成すには相応の対価が必要だ。必要経費を自分で賄っているだけです。己の食い扶持も稼げずにただ浪費するばかりのお荷物よりよほどましだ」

「必要経費? 売名行為の間違いだろう。多少覚えが良いからと言って調子にのるのもいい加減にするのだな。その顔にそうやって薄ら笑いを浮かべていれば、何でも許されると思っているのかね」


 ふと白蓮様が黙った。背中に隠れた私は身震いする。誰か窓でも開けたのかと思って見回すが、今は春。ぬるい風が吹きこんだところで寒さなど感じるはずがない。ではこの悪寒は一体どこからかと息をのんだ私が見上げると、白蓮様が凍えるような声でいった。


「……年齢も容姿も、能力とは関係ない」

「ふん、己の能力を過信するもの大概にすることだ。何事も行き過ぎれば破滅を招く。現に君の前任の侍従は──」


 そこでぱちり、と鋭い音が議場に響いた。残っていた人々が一斉に音のした方を見ると、扇を手にした蓬藍が座ったまま視線だけこちに向けていた。


斎峰さいほう、そのあたりに。そろそろ宮内院くないいんの会議がはじまるころでしょう」


 蓬藍がさらりというと、斎峰と呼ばれた正面の男性は驚くほど素直に矛先を鞘に納めた。そして仰々しいまでに恭しく格式張った挨拶を蓬藍に向かってすると、何事もなかったように議場を後にする。

 蓬藍の口にしたキーワードで私にもようやく目の前の人物が誰かわかった。宮内院長の斎峰だ。書類整理の際に目を通した過去の議事録にもその名はあった。

 宮内院というのは十院の中で唯一奥宮にあり、王族の生活面に関する事柄を取り仕切っている部署である。前の世界で言うところの宮内庁と同じだ。王城が主体となる祭礼などもここが管轄しており、先ほどもうすぐ行われる予定の夏至の祭礼である夏煌祭かこうさいについて報告していた祭礼局さいれいきょくも宮内院の所属だ。


 彼が宮内院長ならば色々と腑に落ちる気がする。見た目で人を判断するのはあまり褒められたことではないが、衣装の着方、礼儀作法一つとって見ても、非常に真面目で伝統を重んじる考え方が滲みでているように思う。その上で彼の仕事を知ると、規則に細かい神経質な性格が思い浮かぶ。常道から外れたやり方や、前例のない事柄が、とにかく嫌いなのだろう。先ほどの土木院への一言も、白蓮様への苦言もそう考えるとよくわかる。しかし一方で、蓬藍に対するあの少々異常なまでの慇懃無礼さはどういうことだろうか。他にも気になることはある。白蓮様の金儲け? 顔? それに前の侍従がたどった運命って……いや、気になり過ぎるんですけれど!?


「あれでも悪気はないのですよ。昔から心配性が過ぎるだけで」


 議場に残るのが蓬藍と白蓮様の周辺だけになると、蓬藍が笑みを含んだ声で誰に向けるともなく呟いた。


「でしょうね。貴方の治世がいかに平らかに成るかだけを考えている御方だ」


 先ほどとは打って変わって面白がるような声色の白蓮様が軽く肩をすくめると、それに合わせるようにこちらを向いた蓬藍がことりと首を傾げて微笑んだ。

 白蓮様の背中の影からこっそり様子を伺っていた私は、笑んだ蓬藍と予想外に視線が合い、慌てて後退る。それでも蓬藍の視線は白蓮様の背中に隠れた私を追い続けている気がして、私は必死に気配を消して下を向いた。


「おや、陛下の治世の間違いでしょう。貴方がなにやら面白いことをしているらしいというのは私のところにも聞こえてきてきていますよ。私個人としては中々興味深い取組みだと思いますが、さて、評価の分かれそうなところです。頭の固い方々がどうするか今から楽しみですよ」

「行政院長に楽しみにしていただけるとは、私も張り合いがあるというものです。それにしても」


 白蓮は再び軽く肩をすくめると、少々改った声をだした。


「風紀の乱れが気になるとしても、頻繁に前宮まで巡視なさるのは、少々宮内院長の職務範囲を超えていらっしゃるのでは。彼は風紀委員ではありませんか」


 蓬藍は扇を口元にあてるとふふっと息をこぼした。


「そうでしょうね。でも広い心で大目に見ていただけると助かります。やめよと言って聞くような人ではありませんから。あれは……そうですね、まあ彼の生きがいのようなものです」


 そうしうて二人は呟きだか会話だかよく分からないものを交わすと、蓬藍が扇を合わせに戻したのが合図になって、議場に残っていた人々は白蓮様も私も残らず次の仕事に散っていった。

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