スーパー店員の白河さんは値下げシールをよく間違える

丸焦ししゃも

第一部 スーパー店員の白河さんは値下げシールをよく間違える

♯1 白河さんは値下げシールを間違える

白河しらかわさーん、そろそろ値下げの時間だから行ってきてー」

「分かりました」


 五月の中旬。


 今日も商品の値下げの時間が始まった。


 俺、水野みずの大和やまとはスーパーマーケットに勤めている二十四歳の会社員だ。全国規模に展開しているスーパーではなく、田舎の地方色の強いスーパーに勤めている。


 自分で言うのもなんだけど、俺はスーパーの社員になんてなるものじゃないと思っている!


 給料だって安いし、シフトの休みはいつだってパートさんが優先。


 みんなが喜ぶ大型連休は、俺たちにとってはただの苦しい繁忙期でしかない。


 当然のように早朝出勤だし、夜は発注や伝票の打ち込みがあるのでなかなか帰ることができない。


 そんな俺がプライベートの趣味や恋愛に時間を割けるわけもなく、毎日が職場と家の往復だけになってしまっていた。


「チーフ聞いたー? 総菜の若い子とレジの子が付き合ってるんだって」

「それ、この前も聞きましたよ」


 噂好きのこの女性の名前は、鮮魚部門のお刺身担当の山上やまがみさん。


 ずっとここの店舗で働いている大ベテランで、年齢は今年で六十一になるらしい。


 俺が所属している部門は山上やまがみさんと同じ鮮魚部門だ。


 俺はそこの部門責任者チーフをやっている。

 

「チーフはそういう話ないの? 私は顔も気立てもいいから優良物件だと思っているんだけどねぇ」

「あはははは、そう思っていただけてありがとうございます」

「私がもう少し若ければねぇ」

「そんなことを言っていいんですか? 旦那さんに怒られちゃいますよ」

「あらま」


 軽口を叩きながらも、山上やまがみさんは慣れた様子でお刺身を切っていく。


「チーフ、このお刺身のサクはどうする?」

「今、午前中に作ったお刺身は値下げしてもらっているので、切り立てのお刺身を作ってほしいです」

「了解~」


 スーパーの仕事、とりわけ生鮮部門の仕事はすごく単純だ。


 毎日、売り場に商品を出してそれを売り切ること。


 うちの部門だったら、生の魚であったりお刺身のパックとかだ。


 まぁ、その作業が簡単そうですごく大変なのだが――。



ピッ


ピッ


ガラララッ



 キャスター付きの古いワゴン台車の音と、その上に置いてある値下げ機の音が同時に聞こえてきた。


「チーフ、値下げ終わりました」


 アルバイトの女の子が、値下げシールを貼り終えて売り場から作業場に戻ってきた。


 この子は、うちの専属アルバイトの白河しらかわさん。


 高校生でありながら鮮魚部門志望だった少し変わった女の子だ。


 ちなみに社員でスーパーの鮮魚部門をやりたいという人間はほとんどいない。


 作業場は生臭いし、“魚を切る”という専門的な技術が要求されるからだ。


 入社したばかりの新人が、鮮魚部門に割り当てられるのはを引いてしまった人が多い。かくいう俺もそのうちの一人だった。


「あれ? 白河しらかわさんあそこも値下げしちゃった?」

「はい、一緒に20パーセント引きにしちゃいました」

「あー! ちょっと早かったかな! ごめん、俺がちゃんと指示しなかったから」

「すみません……」

「いや、ごめんごめん! 白河しらかわさんは全っ然悪くないから!」


 商品の値下げって、簡単そうに見えて実はとても大変な仕事だ。


 値下げが早ければ売り切れてしまうし、遅ければ売れ残ってしまう。


 部門責任者は時間帯ごとの売り上げを予測して、商品ごとに値下げの指示を出さなければならない。


 なので、本当に申し訳ないが、白河しらかわさんにはいつも口うるさいくらい指示を出してしまっていた。


白河しらかわさん、いつもありがとね。値下げって結構重要な仕事だからさ」

「いえ、私もチーフの思ったとおりにできなくてすみません」


 物静かだけど素直なんだよなぁこの子。


 色白でとても整った顔をしていて、スラっとした体型をしている。


 多分、学校でも人気があるんじゃないかなぁ。


 今は白い衛生キャップをしているので分からないが、ふわふわな髪はとても綺麗な栗色をしている。その髪を振り乱しながら、制服姿で出社する姿を何度か見たことがある。


「そう言ってもらえると助かるよ。白河しらかわさんにやめられちゃうと本当にキツイからさ」

「今のところやめる予定はないんで安心してください」


白河しらかわちゃん! 白河しらかわちゃん!」


 さっきまで刺身を切っていた山上やまがみさんが、白河しらかわさんに声をかけてきた。


白河しらかわちゃん知ってる? 総菜の子とレジの子が付き合ってるって!」

「えっ、そうなんですか!?」


 白河しらかわさんの大きな目に輝きがともったのが分かった。


 さすが年頃の女の子。その手の話の食いつきが早い。


「そうそう、だからチーフにもそういう子はいないのかって言ってやったんだけど」

「もー、俺のことを巻き込まないでくださいよ」

「だってチーフってもったいないから!」


 山上やまがみさんがケラケラと笑っている。

 ほ、本当にこの人はそういう話が好きだなぁ……。


白河しらかわちゃんはチーフなんてどう?」

「えっ!?」

「顔も良いし、真面目だからおススメよ!」

「そ、そそそれは……!」


 まーた山上やまがみさんが余計なことを言い始めたよ!


「俺、もう二十半ばですよ! 十代の、しかも女子高生の白河しらかわさんにそういうことを聞いたらセクハラですって!」

「そうなの? 今はコンプラがどうのこうのってうるさいねぇ」


 山上やまがみさんがつまらなさそうな顔をして、自分の作った刺身を品出しに売り場に行ってしまった。


 本当にもうっ!

 今は何でもセクハラになるから、下の名前を呼ぶことすらダメだって言われているのに!


「気を悪くしたらごめんね、俺なんかとそんな話をされるのは嫌だよね」

「そ、そんなことはありません!」


 白河しらかわさんが珍しく大きな声を出した!

 その様子に少しびっくりしてしまった。


「そ、そこまで否定してくれるんだ」

「い、いえ……! け、けど本当に嫌ではありませんのでっ!」

「あははは、そう言ってもらえると嬉しいよ。じゃあ、あとは作業場の掃除をお願いしてもいい?」

「わ、分かりました」


 白河しらかわさんが俺に返事をする。


「……」


 ……が、何故かその場から動かずにいる。


「どうしたの?」

「ち、チーフ……その……あれなんですが……」

「うん」

「わ、私、今50パーセント引きなんです。お買い得なんですがいかがでしょうか……?」

「へ?」


 アルバイトの女の子が顔を真っ赤にさせて、俺にそんなことを言ってきた。

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