8 テレビ

 部屋に戻ると、遠野はまだ起きていた。


「寝ないのかよ。お前は寝不足だと機嫌が悪くなるだろ」


 芦刈は言ったが、遠野はソファーの上で伸びをしただけだった。テレビを見ていたようだ。知らない洋画が流れていた。


「もう終わったの?思ったよりもスムーズに進んだね」


 芦刈は遠野の横のソファーにどっかりと腰を下ろすと、我が物顔でリモコンを取り、チャンネルを変える。遠野は顔をしかめたが、黙ってテレビ画面に視線を戻した。深夜のニュース番組に切り替わる。押し入り強盗のニュースを報道していた。人相の悪い男が警察に囲まれ、パトカーに乗せられる間、マントを被せられてフードの下からギラついた視線をカメラに向けている5秒程の動画が何度もスローモーションにして流されている。

『容疑者はなんと、毎日のようにパンや米を食べ、水分をとり、ほぼ毎日睡眠を取っていたようです!』

 アナウンサーは興奮した口調でそう言った。


「容疑者はなんと、毎日のようにこのテレビの報道番組を見て、インタビューに積極的に応じたこともあるそうです!」

 遠野はふざけた調子で言ってケラケラ笑う。


 他に言うことはなかったのかと呆れるような報道だが、まだ現時点では人相の悪いその男は、限りなく怪しいが決め手がない容疑者に過ぎないのだった。


「丸尾くん、世間なんてこんなもんなんだよ。明日、もしあんまり上手くいかなかったとしても、世間は私たちを正しく見ることなんかないんだ。世界なんてテレビに与えられたエサを貪っているだけだよ。エサに夢中になっているうちにいつの間にか瓶の底に閉じ込められて出られなくなり、上から与えられるエサだけをただ待つだけの馬鹿になるんだ」


「瓶の中のネズミの話ですか」


「そう。エサを食べなければまだ瓶から出られるのに、外の世界へ自分で探しに行かずに与えられたものだけを何も考えずに食べてしまうと、そこから出られなくなるんだよ」


「ハハハ、その話には欠陥があるって知らないか?」

 芦刈が笑った。遠野はむっとする。

「何それ」


「確かにネズミが瓶の中のエサを食べれば、エサのかさは減る。でも、その代わり出た糞によって脱出は可能だ」


 遠野は数秒ぽかんとして芦刈を見たが、やがて吹き出した。

「確かにね」


 遠野はその答えに嬉しそうに口の中で転がしていた。

「私たちは透明なテロリスト、一般的なただの変人」


 遠野はソファーの上に立ち上がって、「変人、変人ー」と歌うように呟きながらバレエのような仕草でくるりとターンした。裸足の足が顔に当たりそうになって芦刈が顔をしかめる。遠野は気にせずにソファーで踊り出す。馬鹿馬鹿しいニュースをバックに踊る狂人はなぜかとても犬丸の印象に残った。


 遠野はそのまま踊るようなステップで自分の部屋に消えていった。


「変人だよな」

 芦刈は肩をすくめて言った。


「座れよ。朝まで暇だし、いっしょにテレビでも見てようぜ」


 いつもそのソファーを寝床にしている犬丸にとっては、芦刈が陣取っている以上寝ることは出来ないので、素直に横に座った。


 他人とテレビを見ることは久しぶりのことだった。二人で黙ってくだらないニュースを眺める。


「父と時々こうしてたのを思い出します」

 犬丸は呟くように言った。不意にこぼれたような本来こぼす予定のない言葉だったので自分でも驚いたが、芦刈の方はそこまで驚いてはいなかった。


「そうかい」

 さほど興味無さそうに言って、犬丸にはそれが丁度よく感じた。


「じゃあ、父と子らしい話でもするか」


「父と子ってどんな話するんですか」


「こっちのセリフだよ。お前が言い出したんじゃないか。じゃあそうだな、今、若いやつの間ではなにが流行ってるんだ」


「え……、コロナウイルスですかね」


 芦刈は両手のひらを天井に向けて嘆くような仕草をする。


「子供演るつもりあんのか」


「すみません」


 くだらなさを煮詰めて凝縮したような時間だった。窓の外に広がる深夜の夜景はときどき瞬きをするだけで、静かにそこにある。窓際の観葉植物だけが二人の会話を聞いていた。テレビの音量を絞る。


「計画までは10時間を切ったし、お前に1つ秘密を教えといてやるよ」


「秘密?」


「お前が車で轢いた人間ってのは、俺だ」


 犬丸は驚いて芦刈の顔を見るが、芦刈はテレビを見ている。

「僕は人を殺してないってことですか?」


「そうだ。俺が遠野に言われて演じただけ。安心しろ、お前は誰のこともまだ轢いちゃいねえよ」


 混乱する犬丸を無視して芦刈はローテーブルの上に置いてあった遠野の飲みかけのいちごミルクを勝手に飲んだ。


「ああそうだ。これを聞いておきたい。お前、子供の貧困と、災害と、戦争被害者の中から選ぶとしたらどれを1番支援したい?」

 何かを急に思い出したかのように芦刈は聞いた。


「突然ですね。まあ、ひとつ選ぶなら子どもの貧困ですかね」


「お前に奢ってもらった160円、今返せそうもないからユニセフに募金しておくよ。今後しばらくはユニセフに募金しなくていいぜ」


「使い道を自由に選べるから通貨が発展したんだと思うんですけど」


「お前はさっき、俺のために金を使う事を選んだ。ちゃんと価値は還元されたぜ。お前の持つ価値はさっきの分となんら変わりは無い」


「だといいんですけど」

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