第9話 さあ、異世界での戦いはこれからだ!

「な、なんだよ!」

「爆発した!」

 結果として子供たちの身を守れようと、パニックまでは抑えられない。

 倒したテーブルの影から顔を出した僕が、真っ先に目にしたのは、図書館の壁に大穴が開いている点だ。

 穴を開けた不届きものは誰か、立ちこめる砂埃の中、正体を把握しようとする。

「なにか――いる」

 立ちこめる砂埃の中に蠢く影あり。

 同時、鋭い異臭がする。禊の泉で直面した同じ臭い。僕は影から目線逸らさず、すぐ側にある本を足先で寄せながら、尻餅つく女性に呼びかけた。

「僕が引きつけます。あなたは今すぐ子供たちとここから離れてください!」

 砂埃の中から土を掻くような音がする。

 この音に脳が刺激され記憶を引き出した。

「まるでイノシシが突撃前にする動作みたいだ」

 かつて婿入りする予定だった神社の裏手は、広大な山であった。

 それ故、野生のイノシシやツキノワグマが出没するなど珍しくなく、度々人里訪れる野生動物を猟友会が追い返していた。

 ただここは異世界!

 現代日本の基礎常識は一切通用しないと考えろ!

「あ~これヤベーな」

 語彙力が単純になるほど事態はヤベー。

 砂埃が崩れた壁より吹き込む風にて散り、異臭の正体が露わとなったからだ。

 黒い異形がいた。

「顔はイノシシ、けれども、身体はイモムシかよ」

 大きさ的には普通の成獣イノシシと変わらないだろう。

 違いは頭部だけがイノシシであって、身体はイモムシのか、らだ、うっわ、気持ち悪い! 異世界のイノシシってこうなの? ヌメヌメヌルヌルとした身体は気持ち悪い! 体色も頭部の毛皮と合わせて黒一色だから、うん、もう一度言おう、気持ち悪い!

「なにあのイノシシ、気持ち悪い!」

 子供たちも僕と同じ感想のようだが、口調からして見慣れぬもののようだ。

「イボイノシシいうか、イモムシシだよ!」

 確かに見たとおり。だから、便宜上、僕もイモムシシと呼ぼう。

「ここに他の利用者は?」

 イモムシシから目線逸らさず、僕は周囲の流れを読みながら女性に問う。

「い、今は自由時間でしたから、図書館に行きたい三人の付き添いで」

 どうやら僕を除いて四人しかいなかったのは不幸中の幸いか。

 いや、僕だけならどうにかできた。

 あのイモムシシの目は僕ではなく、明らかにこの四人に向けられている。

(一番弱くて狩りやすいからか)

 ならば今動かずしていつ動く。

 僕は幾多ある足を蠢かせるイモムシシ目がけて、本をサッカーボールのように蹴り飛ばした。

「こっちだ!」

 本は見事にイモムシシの眉間に直撃する。

 当然、狩りを妨げたのだから、野獣の鋭き眼光を僕に向けている。

 僕は眼光に臆することなく大穴の外へ駆けだしていた。


「黒王様、聖陽騎士団、黒王都駐屯部隊、出撃準備完了です!」

「我ら白王に仕える身なれど、この剣は黒王様のために!」

「その忠義、感謝します。では、命じます。総員、その場を動くな!」

「な、か、身体が、動かない!」

「こ、これが黒王の力、で、ですが、魔物がいるのですぞ!」

「彼の実力を見極めたい。騎士団のみなさまにはしばしの間、ご辛抱をお願いします」


 校庭とおぼしき広き地を僕は駆ける。

 背後から砂埃巻き上げ、猪突猛進に迫るはイモムシシ。

 僕は鍛錬で培われた勘で、右に左にと紙一重で回避する。

 突撃の風圧が肌を鋭く走る度、緊迫の微電流が電圧を上げる。

 一太刀浴びせたくとも、丸腰だからできず、逆にあっちは質量による体当たりを基本に、紙一重で避ける僕に対して頭部を振るっては、鋭い牙の攻撃を重ねてくる。

「ちぃ、護身用に木刀持ってくればよかった!」

 牙の先端が服の右脇をかすり、布地を引き裂いた。

 嘆いて時が戻るなら何度でも嘆いてやる。

 けれど、嘆く暇あるなら状況を打破する思考を回せ。足を止めるな。

 ベタな展開として、このまま聖陽騎士団が駐屯する地まで誘導するのが吉。

 けれど、治安と警備を担う騎士団の存在を本で把握していようと、その駐屯地がどこにあるのか、着たばかりの僕が知るはずもない。地図を見れば一発でもイモムシシがその時間を与えない。

「なっ!」

 イモムシシは唐突に立ち止まれば、鼻息を荒げている。

 円を描くように距離を取る僕から目線を決して離さない。

 ブルルと一鳴きすればイモムシシが突撃を再開。頭部を傾け、口元から生える牙を地面に突き立てれば、巻き上げた砂利を散弾銃のように放ってきた。

 僕は咄嗟に樹木の影に飛び込むも、幹に刻まれた弾痕に絶句するしかない。

「嘘、だろ!」

 ただの砂粒のはずが、本当に散弾直撃の蜂の巣ときた。貫通していたらと、ゾッとする。やはり異世界、現代日本の常識は一切通じない。

「ぼーぼーぼぼぼ!」

 蜂の巣となった木々の枝から一匹の鳥類が飛び出してきた。

 ポボゥだ。

 脇目も振らずに翼をはためかせては、一目散に飛び去っていた。

「ああ、もうどうする!」

 僕はまたも嘆きながら自問する。図書館の壁を破壊しただけに樹木など楊枝のようにへし折られるだろう。かといって逃げ続けても体力には限度がある。いくら呼吸で身体能力を高めようと、瞬発的に上げているだけで長時間行使できるわけではない。最速のチーターとて最速故にスタミナは最短なのがいい例だ。

「どこか武器はないのか!」

 周囲に目を配ろうと、ご都合な展開が起こるはずがない。場所が場所だけに期待するだけ無駄。異世界の学校に、さすまたが常備されているかは不明。騎士学校なら武器はあろうと、ここは小学校、皆で勉強する場所だ。

「なんかあるし!」

 ご都合主義権限!

 なんと校庭のど真ん中に聖剣のように垂直に刺さる剣がある。

 距離目測にて一〇〇メートル。僕はイモムシシが突撃してきたのを合図に、樹木の影から飛び出していた。

「誰が、なんて後だ!」

 倒木の轟音が背後から響く。次いで無数の足が地を削り、峠の車のようにドリフト音を軋ませる。振り返らずとも分かる。あのイモムシシ、イモムシのように沢山ある足で、勢い殺さず急激な方向転換を行っているんだ。

「ええい、ままよ!」

 全力疾走を維持したまま僕は、地に刺さる剣を掴み取る。

 掴んだ手の平から伝わるのは、柄糸の感触と刀特有の重さ。これは剣じゃない! なんで異世界に日本刀が! って疑問、日本人転移者か、日本人転生者が打ったと考えればいいだろう!

「はあああああっ!」

 勢いを殺すな。呼吸を広げろ。ただ抜くだけであの獣は切れない。ただ刺すだけで獣は貫けない。毛皮は厚く、骨もまた硬い。何より四足獣はその四つ足故に全高が低く、それ故に放つ攻撃位置も低い。真っ正面から渡り合えば下腹部直撃、風穴つきだ。だからこそ見極めねばならない。

「相手が魔物なら人間じゃないんだ!」

 死を帯びた風が猪突猛進に迫り来る。僕は左手で鞘を、右手で柄を握りしめた。呼吸にて全身に行き渡る酸素が身体に熱を与え、筋肉を目覚めさせる。一撃でしとめねば次はない。ならば使う型は一つ!

「火の型・次無じむ!」

 右足を軸に勢いよく振り返った僕は、鞘を投げ捨てるように刀を抜いて力強く両手で握りしめた時には、イモムシシの牙が眼前に迫っていた。僕は腰に捻りを加えることで重心を傾け、迫り来る牙を紙一重で回避。その最中、返し刀で武器を振り上げ、イモムシシの首根っこめがけて真上から全体重をかけて垂直に振り下ろした。切った感触が手に伝わった直後、イモムシシと勢い殺さぬまま交差し、砂埃が間に流れ込む。僕が無言のまま抜き身の刃を拾った鞘にゆっくり納め終えた時、イモムシシはイノシシの頭部を地に落としていた。

「この刃、次を抜くことなし」

 今使ったのは火の型の基本、次無。

 単純に言うなら、攻撃極振り防御ポイ捨ての全力切りだ。

 一太刀抜けば相手の首を刎ねている。

 よって次なる刀は無し。

 もっともただ切れば良いものではなく、斬線、つまりは切りやすい部位を見抜く目と、敵よりも先に間合いへ踏み込む速さ、そして首を刎ね飛ばすだけの力が求められる。

「き、消えた」

 爆発する心臓を呼吸で整えながら、僕は黒き霧として散っていくイモムシシの姿を目に焼き付ける。魔物は動物と理が違うのか、牙一つどころか血の一滴すら残さず消失していた。魔物は消えた。けれど、ヒリヒリと肌を焦げ付かせる空気は、消えるどころか秒刻みで増している。

「渦?」

 校庭の各所に水溜まりのような小さな黒き渦が複数現れ、魔物の形を作る。

「休ませては、くれないようだね」

 そして現れるは小さきイモムシシ×一〇。

 どれもがうり坊のように小さいが、つぶらな目に宿らせた殺意を僕に向ける。

「いいさ、かかってこい!」

 僕は臆することなく刀を抜き、魔物の群に切り込んだ。


 さあ、異世界での戦いはこれからだ!

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