第2話 ぼーぼーぼぼーぽぽーぼーぽー

 夢を見た。夢だと分かる夢を見た。

 僕、晴信が耀夏と正式な婚約者として認められたある夜のことだ。

「うん、将来は、観光に関わる仕事に就きたいかな」

「父様のように外で働くのか?」

「この家には色々と助けられたし、その恩返しがしたいんだ」

 僕の隣に座る耀夏は夢を笑わなかった。

 耀夏は一言で美人、二言で可憐、三言で可愛い、うん、可愛い。

 身長は一七四センチと、一六九センチしかない僕と比較して高く、スタイルだってモデル並。非常にサバサバした性格だが、デレると可愛い。もう一度言う可愛いのだ。もっとも日頃から凛とした立ち振る舞いから、通っている女子校で貴公子と呼ばれている。

 格好いいと呼ばれることは多数あろうと、可愛いと言われたことなどなく、僕が可愛いと本当のことを告げれば、しどろもどろに赤面する姿がその可愛さを引き立てている。

「次期当主として、伴侶として私は特に何も言うことはないな、ただ……」

「ただ?」

「と、遠くにいかれると、その寂しいのだ」

 顔を俯かせながら僕の袖を引く耀夏の姿は、心臓の鼓動を高ぶらせるには充分だ。

「家には母様や妹がいる。けれど父様は海外出張で後二年は帰ってこない。もちろん、テレビ電話越しに顔を合わせて話などできるが、こう人肌の温もりが、欲しくなるのだ」

「大丈夫だって、僕だってそれは考えている」

 将来は、この市の観光課に就職したいと打ち明ける。

 一〇年前まで村だったが、市町村合併で村から市に変わっている。

 もっとも変わろうと、年に一度、この地で行われる祭りは変わらない。

「そうか、観光課に、うん、うん」

 目標を打ち明ければ、耀夏は嬉しそうに顔をほころばせた。

「かわいい」

 うっかり見惚れた僕は口を滑らせてしまう。

「か、かわいい、とか、いう、いうなっ!」

 ああ、もう、しどろもどろする姿も可愛いな!


 声が、聞こえる。複数人の話し声だ。

「よもや神聖なる禊ぎの泉に、魔物が現れるとは」

「幸いにも一匹、この者が退治してくれたからいいものを」

「姫巫女様の身に万が一のことがあったと思えばゾッとする」

「わしとしては姫巫女様の目を疑う訳ではないが、この者、明らかに紋なし。その紋なしが魔物一匹とはいえ木刀で倒すなどにわかに信じられぬ」

「ですが事実です。私はこの目でしかと目撃しました」

 水底から引き上げられるかのように、幾多の声が沈んだ僕の意識を覚醒へと促していく。

「確かに彼は無紋でしょう。ですが彼の手を見てください。痛ましいまでに鍛え抜かれた手、皮膚は分厚く、豆すらできています。小さき身体だろうと相応の鍛錬を積んでいる者の手です」

 声が、耀夏の声がするけど、その口調はどこか変だ。

 僕の知る耀夏は刃物のように鋭利で、少し固めの男口調だが、今聞こえる耀夏の口調は、絹織物のようなたおやかさがある。

「うっ、うううっ」

 呻くような声を僕が漏らすなり、周囲の声が警戒を帯びる形で静まった。

 重い瞼をゆっくりと開ければ――

「梨?」

 梨の断面図が、僕の顔をまじまじと覗き込んでいる。

「ぽーぼぼーぼ!」

「鳴いた!」

 オマケにフクロウのように鳴いたではないか!

「ぽぼぼぼぼぼ!」

「痛い、痛い、痛いっ!」

 梨の断面図は僕の額に頭突き、硬い部位を連続でぶつけてきた。

 痛みで気づく。

 梨の断面図は顔であり、硬い部位は嘴。

 こいつ、メンフクロウみたいな猛禽類の姿をしているぞ。

「ええい、やめろ!」

 反射的に身をバネのようにして飛び起きた僕はって、寝ていたのか、いや今はいい。

 大事なのは状況を把握することだ。

 足場としたのはベッドで、今まで寝かされていたようだ。

 服ですらホテルで着るような浴衣ぽいものになっている。

 反転する視界に映るのは老人老女が五名、恰幅の良い大人が二名、そして――

「耀夏!」

 板敷きの床に着地と同時、僕は驚き目を見張る耀夏の胸元に飛び込まんとしていた。

 だが、進路を遮るように恰幅の良い大人二人が耀夏を守るように立つ。

 この二人、金剛力士像みたいに筋骨隆々ときた。

「男の恋路の――邪魔をするな!」

 呼吸、息を吸い込み、酸素を取り込む。取り込んだ酸素が肺胞に貯まり、貯まった酸素が心臓を爆発的に鼓動させ、血流にて全身に循環する。両足が熱を帯びたように熱くなる。

 この熱さが起爆剤となり、筋肉のリミッターを一時的に解除させた。

「なっ、こいつ!」

「ぐあっ!」

 愛の道に迂回など邪道。真っ正面から飛び込んだ僕は、掴みかかる男二人を足払いで横転させ、床に倒れ伏すよりも早く顔面に掌底を打ち込んで殴り飛ばす。

「ぬあんと!」

「あの二人がこうも簡単に!」

 息呑む声が響こうと関係ない。

 僕は床に両手両足をつけて着地、強かな揺れが走ろうと間髪入れず、勢いのまま耀夏を正面から抱きしめんとした。

「ちょっと、ちょっと待ってください!」

 後一歩で、抱きしめられる。体温を、息づかいを堪能できる距離で、耀夏が声と両手で僕を制止してきた。僕は咄嗟に両足を踏ん張り、彼女のまつげの本数を数えきれるギリギリの距離で停止する。

「た、単刀直入に言います! 言いますよ! 言いますから聞いてくださいね!」

「あ、はい!」

 興奮のあまり鼻息を荒々しく乱す僕は、綺麗な顔を網膜に映しながら興奮気味に返事をする。

「どちら様、でしょうか?」

「はい?」

 ありえぬ発言が僕の心に虚を突いた。

 左右から不快な臭いが迫るなり、振り返ることなく二つの鼻っ柱に裏拳を叩き込む。

「と、とりあえず、お茶でも、いかがでしょうか?」

 困ったような笑みで耀夏は、両手を前に出して僕が近づくのを制止する。

 再度、倒れ伏す筋骨隆々の男二人を眼下に、僕は困惑しながらも歯車のように頷いてしまった。

「ぼーぼーぼぼーぽぽーぼーぽー」

 そして、鳩時計のようにフクロウ似の鳥が鳴く。

 コケにしているように聞こえるのは、僕の気のせいだろうか?


 結論から言えば、彼女は僕の探し人ではなかった。

 耀夏に瓜二つの容姿を持つ彼女の名はアウラ・イノノメス。

 別人であるショックもあるが、追い打ちをかけるのは、ここが異世界だという事実だ。

 僕はトラックにひかれたことも、挑んだ記憶もない。

 確かに奪われ続けた面もあったが、その後の温かな日々故、現実世界で報われぬと嘆く無気力ニートのような生活は一切送っていない。

 はっきりと覚えているのは、婚約破棄を言い渡されて、失意のまま神社の敷地から立ち去ろうとした時だ。

 僕が今いる異世界の名は、アルトブルム。

 正確には、西半分を樹海顔負けの大森林で覆われたアルトブルム大陸。

 その東と西を隔てる境界と隣接する都市、黒王都であった。

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