第13話

 死体の肌を思わせる土気色をした町並みに、ぽつぽつと青白い痘痕が浮かび上がった。

 一拍の後、どん、という衝撃音とともにそこから火柱が立ち昇る。爆風がほとんど瓦礫同然の家々を吹き飛ばし、本物の瓦礫へと変えてゆく。南亜大陸の田舎町は瞬く間に炎の大木が林立する地獄へと変貌した。

 爆撃仕様の絨毯機四機編隊による、上空からの範囲制圧用爆炎術式投射。僕らはその威力を絨毯機に併走して飛ぶ偵察用人工使い魔の腹に埋め込まれた水晶の瞳を通して、薄暗い地下室のモニター越しに眺めていた。

 絨毯機の航路を阻害しないように、使い魔が高度を上げた。すると、黒曜石によく似た鉱石で造られた絨毯機の、アーモンド形の機体が画面に移り込む。ファンタジーに登場する空飛ぶ乗物といえば、金属でできた翼やプロペラのついているものが定番だが、この世界の航空機には翼などついていない。僕らの世界で空を飛ぶための乗り物といえば箒か、馬車か、絨毯だった。そして現在でも、それらを飛ばしていた魔法の論理が使われている。ただし、その見た目は僕らが使う突撃呪杖よろしく元の道具の面影など微塵も残っていない代物になっているのだが。航空機に関していえば、高速機動を得意とする小型の機体には箒の飛行術式が、航続距離と搭載力に優れた大型のものには絨毯を飛ばしていた術式が使われているため、今でも伝統的に飛行箒や絨毯機などと呼ばれていた。


「こちら空飛ぶ爆撃絨毯隊。全術式の発動を確認。サプライズは成功みたいだな。旋回して、再度攻撃を行う」

 モニター脇に据えられているスピーカーから絨毯機パイロットの軽薄そうな声が響いた。

「制圧術式の第二射投射後、例の術式を地上へ向けて投射する。乗せた覚えのない乗員の皆さま、降下準備はオーケー?」

 軽口を叩くパイロットの通信に、僕らは転移陣の中央へと移動した。今回の強襲作戦には6チーム、全二十四人が参加する。しかし、転移陣は一度に四人までしか転移させることができない。そのため、六度に分けてチームを戦場へ送り込むことになった。それだけ転移陣を連続使用すれば消費魔力量も相当なものになるだろう。上層部も今回の作戦にはかなり本気だというわけだ。

 転移第一陣は僕のチームだ。メンバーは相棒のアダムスに、戦闘支援専門の術技兵が二名。長らく任務を共にこなしてきた、信頼できる男たちだ。

「投射地点直上。術式を投射する。下は地獄だぜ。それでは皆様、ご愁傷様」

 どこまでも気楽な声でそんなことを言いながら、パイロットが地上へ向けて転移陣を投射する。ほぼ同時に、僕らは光に包まれた。肉体が長く引き伸ばされるような独特の感覚。長いような、短いような奇妙な一瞬を経て、僕らは地獄の底へと突き落とされた。


 初めに感じたのは、ものが焦げる臭いだった。強烈な閃光の先に僕を待っていたのは、瓦礫と炎と煙で構成された世界。まさに人が思い描く地獄そのものの光景だ。

「こちらハウンド6。転移成功。全員無事だ」

 僕は素早くチームの安否を確認して本部へ報告した。もちろん、その間も周囲への警戒は怠らない。転移直前に陣から放たれた制圧術式の効果だろうか。僕らを中心に周囲の草木が薙ぎ払われていた。今のところ動くものは見当たらないが、いる。そこらじゅうから唸り声のような、呻き声のようなものが聞こえてくる。それに大気が焦げる臭いに混じって漂ってくる腐臭。ここはもはや、亡者の町なのだ。

 僕はただちにチームへ移動を命じた。どういう理屈かは知らないが、亡者には生者の居場所を感知する能力がある。そして術者に命じられていようがいまいが、生者とあらば見境なく襲い掛かかり、自らの同類と化す。この町には七百人の住人がいた。その全てが亡者化しているとみて間違いないだろう。じっとなどしていたら、瞬く間に取り囲まれてしまう。

 僕は頭の中で町の地図を広げ、あらかじめ目星をつけておいた目的地までの最短ルートを進んだ。移動を始めてすぐに、上空の絨毯機から二つ目の転移陣が投射されるのが見えた。囲まれるのを防ぐためと、一チーム辺りに群がる亡者の数を分散させるために、チームの転移先はわざとばらけさせてある。

『ジャッカル2、タッチダウン。全員無事だ』

 破裂音が響いた直後に、第二陣のチームリーダーから交信が入る。それに応答しつつ、僕らは町の通りをひた走った。目指すは中央に聳える神殿だ。巨大な石を四角錐状に積み上げて造られた丘のように大きな構造物は、あのファンタジー小説に出てくるピラミッドというものによく似ている。確か、あちらは古代の王の墓として造られたという設定だったか。

 ならば、今日はあそこをテロリストたちの墓場にしてやろう。

「ひでえ臭いだな」

 思いついた冗談を口に出すべきかどうか迷っていると、すぐ横をいくアダムスがそう呟くのが聞こえた。確かに酷い臭いだった。零したミルクをふき取ったタオルをそのまま何か月も放置したような。全身の毛穴に突き刺さるような悪臭がこの町には満ちている。

 鼻を塞ぎたくなる気持ちを堪えながら角を曲がると、広い通りに出た。先へ目をむければ、道はまっすぐ神殿へと続いている。ここまで来れば道を間違えることはないと、少しほっとした時だった。

 行く手にふらりと、人影が現れた。若い男のようだった。酷く粗末な布を纏っている。力なく項垂れ、足取りは酔っ払いのようにふらふらと覚束ない。

 僕はチームに速度を落とすよう指示を出し、杖を構えながら慎重に男へと近づいた。近づきたくはないが、行く手を塞がれているのだから仕方ない。あと数歩、というところで男が突然、顔をあげた。白濁した瞳と目が合った。その顔は右の頬の肉がごっそりと削げていて、歯茎が剥き出しになっている。歯が何本も抜け落ちている隙間から、あああ、とも、ううう、ともつかない息苦しそうな呻きが漏れていた。顔だけでなく身体もまた傷だらけで、あちこちがどす黒く変色している。破れた腹から零れだした臓物には蛆がたかっていた。

 こんな状態で人間が生きていられるはずがない。これが邪法によって作り出された動く屍。悪しき呪術師に操られる亡者の有様だ。

 亡者の白濁した瞳が僕らを捉えるなり、そいつは頬の肉がさらに裂けるのも気にせず吼えた。実際には咆哮というよりも、痰の絡んだ大きな溜息に近い音だが。がらがらと湿ったその声に誘われるように、朽ちかけた家屋や路地から続々と亡者が湧きだしてくる。町に入り込んだ者は殺せとでも命じられているのか。腐りかけた肉体にぼろ布を張り付けた死体たちは、木の棒やフライパン、包丁などといった武器とも呼べない粗末なものを手に僕らへ襲い掛かってきた。


「出来るだけ魔力を節約したい。無駄に撃つなよ」

 押し寄せる死体の群れを前に、僕は冷静にチームへ指示を出した。改めて目の当たりにすると気分の悪いものだが、亡者の相手はこれまでにも何度かしたことがある。対処法さえ知っていれば、大した脅威ではない。

 最初に姿を見せた若い男の亡者が裂けた口を大きく開けたまま、倒れ込むような勢いで迫ってくる。僕は真正面から、そいつの腹を思いきり蹴り飛ばした。腐った肉に靴底がめり込み、脆い骨がボキボキと砕ける感触がブーツ越しに伝わってくる。余りの気持ち悪さに、思わず身震いしそうになるのを堪えて、僕は地面に転がったそいつの両足を踏み潰した。

 すでに死んでいる亡者を殺すことはできない。頭を切り落とそうが、身体を真っ二つにしようが、肉体を粉微塵にでもしない限り、どこまでも動き続ける。だから、こうして手足を潰してしまうのが一番手っ取り早いのだ。

 そうこうしている間にも、続々と亡者たちが集まってくる。流石にこの数を相手取るのは面倒だなと思ったところへ、頭上からぴぃーっとい甲高い鳴き声が降ってきた。ちらと空を見ると、十匹ほどの鷲が上空からまっすぐこちらへと飛んでくる。普通、鷲はこんな風に群れない。それは僕らを援護するために絨毯機から投下された攻撃仕様の人工使い魔だった。

 飛来した鷲たちが羽ばたきとともに風の刃を撒き散らした。亡者たちが粘度の高い血飛沫をあげながらバタバタと倒れて、僕らの前に道が拓かれた。

 そうして使い魔たちの援護を受けながら、僕らは行く手を遮る亡者だけを効率的に処理しつつ神殿へと向かう。亡者の群れの最中を突き進む強行軍は悲惨だった。男の亡者がいた。女の亡者がいた。少年がいた。少女がいた。老爺がいた。老婆がいた。赤子がいた。僕らは容赦なく彼らの足を撃ち抜き、蹴り飛ばし、時にはより強力な魔導具で吹き飛ばして進んだ。

 本来ならこんなことをしなければならないことに悲しみ、嘆き、そしてこの地獄を作り出した張本人を憎み、憤るべきなのだろう。けれど、抑制された僕らの心はこの惨状と自らの行いを前にしてなお、揺らがない。

 もちろん、だからといって心が無くなったわけではないのだから限界はある。


「誰か、この子をどっかにやってくれ!!」

 淡々と亡者を処理していると、突然、アダムスの悲鳴のような声が聞こえた。見れば、彼の足元に一体の亡者が這いずっている。それは一次性徴も終えていないような年齢の、少女の亡者だった。比較的新しい死体のようで、腐敗はそれほど進んでいない。

「アダムス、さっさと蹴り飛ばせ!」

 少女の亡者がアダムスに向かって腕を伸ばすのを見て、僕は怒鳴った。

「俺には無理だ!」

 アダムスが後退りながら叫ぶ。くそ、と呟いて、僕は近くにいた亡者を突き飛ばしながらアダムスに駆け寄ると、その足元に這いずる少女の亡者を蹴り飛ばした。少女の身体は軽かった。それほど強く蹴ったつもりはなかったのに、その肉体は僕の予想よりも大きく飛んでゆき、亡者の群れの中に落ちて見えなくなった。

「……っ。すまん」

 アダムスが歯を食いしばりながら謝ってきたので、僕は「いいさ」と答えて彼の肩を叩いた。

 そのほかにも、術技兵の一人が僕の命令に反して高威力の火炎術を使うというアクシデントも起きた。苦しむ亡者をどうにかして救ってやりたかったという。先ほどは殺せないといったが、亡者を殺す手段は一応、ある。その肉体を完全に焼き尽くしてしまうことだ。けれど、人間の身体をまるまる焼き尽くせるほど威力の高い火炎術を連発すればあっという間に魔力が尽きる。それに何より、僕らの任務は彼らを救ってやることではない。

 気持ちは分かる、と僕はそいつに言った。

 けれど、僕らがまずすべきはこんなことをしでかしたテロリストに報いを受けさせることだ。それが結果として、彼らを救うことにも繋がる。僕はそう言って、その隊員を納得させた。


「作戦本部、並びに地上の諸君。こちらは空飛ぶ爆撃絨毯隊。全地上部隊の降下を確認。予定通り、我々は直掩の一機を残して帰投する。直掩機のコールサインは“バアル”だ」

 最後のチームが転移を終えたところで、絨毯機のパイロットから交信が入った。

「しっかし、なんだ? この術式は? タンクが空っぽだ。それじゃあ地上の諸君、御武運を。追っかけが凄いぞ。どこが一番人気か知りたいか?」

『俺らだろ』

 パイロットの別れ際のジョークに、地上の全部隊が一斉に交信で応じた。それにパイロットが快活な笑い声を返す。上空で三機の絨毯機が大きく唸りをあげると、遥か彼方へと飛び立っていった。僕は少し羨ましい気分でそれを見送った。

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