ウェザーカレンダー

秋待諷月

ウェザーカレンダー(Ⅰ)

『おはようございます。六月一日月曜日、天気は晴れ。朝のニュースをお伝えします――』

 空中結像AIRRの中で笑顔を浮かべるニュースキャスターを透かした向こう側。小さな人影が廊下をドタバタと走り抜けたかと思うと、玄関で「あれぇ?」と戸惑いの声が上がった。

 リビングから顔を覗かせて様子を窺えば、通学用のバックパックを背負った晴希はるきが、シューズラック脇の傘立てを見下ろして立ち尽くしている。

「おとーさん、ぼくの傘が無い……」

 僕の視線を察知して振り返り、そう訴える弱り果てた顔は、我が子ながら情けなくも可愛い。

 昨日の雨で濡れたまま傘立てに突っ込んであった晴希の傘は、妻が朝一番にベランダに出して日干ししている。だが、僕が真っ先に伝えるべきは傘の所在ではないだろう。

「今日は晴れだぞ。傘は要らないよ」

「え? そうだったっけ」

「おいおい」

 晴希が目を丸くして驚くので、僕は脱力してしまった。

 一人息子のおっちょこちょいは、一体誰に似たものか。今日は雨だと思い込み、傘が見当たらないことに慌てていたらしい。そして晴希に限らず昨今の子どもには、「カーテンを開いて空模様を確かめる」という発想や習慣が無い。

 窓の外を見れば分かるだろ。そう、僕が苦笑混じりに指摘するよりも、一連のやりとりをキッチンで聞いていた妻の美霞みかが、呆れ声で叫ぶほうが早かった。

「カレンダーに書いてあるでしょ!」

 僕が無意識に視線を向けたのは、リビングの壁に飾られた昔ながらの紙製カレンダー。

 六月一日。四角く囲われた枠内下隅には、赤い太陽のマークが燦々と輝いている。




 人類は空を掌握した。制空権ではなく、天気の話だ。

 スーパーコンピューターによるシミュレーション技術は二十二世紀を目前にして急速に進歩し、気象のカオス性をも攻略するに至った。各地に定点設置された氷晶核投入・水蒸気流入装置と空中浮揚型送風機との連動により、雨は水量も降水範囲も自在にコントロールできる。人為的介入が大気に与える影響はたちどころに予測され、万が一にも災害に繋がらないよう対処する。

 かつて気象制御は軍事利用面から国際条約で禁止されていたが、革新的な技術向上に伴い安全性と有用性が証明されたことで、制限付きでの緩和措置が認められた。本格的な運用が始まったのは今を遡ること二十年前。以後、気象制御は極端水害時のみならず、日常的に利用されるようになっていく。

 そして今や、天気は人が自由に決め、変える時代となった。

 ここ日本において、決定権を持つのは国会だ。当初は重要な催事が行われる日時のみの制御に限定されていたが、適応範囲は徐々に拡大され、ついには一年間全ての天気をあらかじめ「暦」に設定するようになった。

 祝日法と並び立つように制定されたのは、「天気と暦に関する法律」――略称、「天暦法てんれきほう」。いわゆる「ウェザーカレンダー」の誕生である。

 例年二月初日の官報で発表される暦要項には、翌年の暦とともに「晴れ」「雨」の二分類による天気が併記されている。予報ではない。「国がそう決めた」のだ。

 そうして示される「今日の天気」は、全国一律であり、終日一貫している。カレンダーの印が「晴れ」ならば、その日は北海道から沖縄まで、午前零時からの二十四時間が、「晴天」または「雨の恐れのない曇天」となる。地域や時間帯によって天気が異なると運用が煩雑――要は、面倒だからだろう。

 当然、気温や湿度、地形等の違いによって、雨か雪かといった地域差は生じるが、天暦法において「雨が降るか降らないか」以上の分類は度外視されている。なぜならウェザーカレンダーは、催事と密接に関わっているからだ。

 まず、国際的にも特別な祭典の日は「晴れ」と決められる。式典・催事が多い祝日や、それらと連なる土日も「晴れ」。元来の意味どおりにして、文字どおりの「晴れの日」というわけだ。

 また、国民的な盛り上がりが予想される宗教行事日は、不文律で「晴れ」に設定される。ただし十二月二十四日は、これまでのところ五割の確率で「雨」だった。ひょっとしたら議員の中に、ホワイトクリスマスを特別視するロマンチストでも紛れているのかもしれない。

 こういった最優先の「晴れ」をカレンダーに載せ終えると、それ以外の「普通の日」に対する天気の振り分けが始まる。長期予報からある程度の降水を予測した上で、「晴れ」と「雨」の日程を調整するのである。

 雨天時の外出の億劫さは人の動きを鈍化させ、経済活動を妨げる。だが安易に晴れの日を増やせば、農作物への影響や水不足に直結する。かと言って、必要な雨量を確保をするために降雨を短期間に集中させれば、土砂崩れ等の災禍を引き起こしかねない。

 ほんの僅かな均衡の崩れでも命取り。緻密な計算に基づいて決定されたウェザーカレンダーは、もはや、無くてはならない重要な社会基盤の一つだ。

 翌年のカレンダー発表直後から一斉に始まるのは、各種組織団体における事業計画――つまり、スケジュール作成である。公的機関だろうと民間企業だろうと自営業だろうと、あらかじめ分かっているならば、天気に合わせて予定を組むに越したことはない。

 農家や土木工事関係など、雨の影響をまともに受ける業種については言うまでもない。他に分かりやすいものと言えば学校だろう。入学・卒業式や運動会、遠足や野外活動といった行事は、「晴れ」を見越して設定されるようになった。

 同様にして、花火大会や野外フェスの開催日、ビアガーデンの営業日が決まる。結婚式や地鎮祭や引っ越しの日取りが、家族旅行やバーベキューの日程が、天気に合わせて決められていく。

 このように全ての社会活動がウェザーカレンダーの上で成り立っている以上、気象制御が背負う責任は重大だ。

 観測とシミュレーション、そして実際の制御システム運用を担うのは、国家試験を突破し、気象庁長官の登録を受けた専門技術職員。

 僕――天野あまの信晴のぶはるも、そんな「気象制御士」の一人である。

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