クラスメイトの物静かな阿南さんは先生と肉体関係にある。

まちだ きい(旧神邪エリス)

クラスメイトの阿南さんは先生と……

 高校までの道を歩く。

 今日は晴れで、だだっ広く青空が広がっている。

 雀の鳴く声が耳朶を打ち、心地よい気分だ。


「ハラちゃん。おっす〜」

「サッくん。おはよう」


 ボクは原田はらだ。友達からは『ハラちゃん』と呼ばれている地元の学校に通う高校二年生だ。


 友達のサッくんは丸坊主でガタイがいい。

 でも運動部に入っているワケではなく、筋トレが趣味だからこんなにムキムキらしい。なんでも、少しでも健康に長生きして推し活を頑張るんだって。オタクってすごいパワーだなぁ。


 あ、ちなみに酒井さかい君だからサッくんだよ。


 にひひんと爽快な笑みを浮かべ。

 180センチの長身を忙しなく動かし。 

 落ち着きなくサッくんはボクにこう訊いてくる。


「なぁ、ハラちゃん! 昨日発売されたゲームもうプレイしたか?」

「え、なんかあったっけ?」

「ハンモンだよ。ハンティングモンスター。最新作が昨日から売られてるんだよ。知らないのか?」

「え、昨日だっけ? 来週だと思ってたよ」

「あははっ。ハラちゃんってノンキだなぁ。そんなんじゃ時代のビッグウェーブに乗れないぜ?」


 サッくんは相変わらず爽快に笑う。

 ハンモンかぁ。家に帰ったらお母さんに買ってもらえるか聞いてみようかな。お小遣いだけじゃ足りないだろうし。


「てか、ハラちゃん今日傘持ってきたのか? 天気めっちゃいいけどな」

「予報だと夕方から雨が降るらしいよ。あれ、サッくん持ってこなかったの?」

「おう、でも大丈夫じゃね? 予報外れてるでしょ。空見てみろよ! カンカン照りだぜ?」


 確かに空を見上げると。

 太陽がサンサンと輝いており。雨が降る気配はなかった。でも朝のニュースで夕方から豪雨って言っていたんだけどな。


 そんな時、後ろから声がかかる。


「おはようございます。ハラちゃん、サッくん」

「あ、おはようマーくん。今日は遅刻しなかったんだね」

「ええ、流石に三回連続はママに怒られちゃいますから……」


 真鍋まなべ君こと、『マーくん』の登場だ。

 彼はお寝坊さんで。一週間に一回は必ず学校に遅刻するおドジさんだ。でもボクの大事なお友達なんだよなぁ。


「マーくんはハンモン買ったよな?」

「はい、買いましたよ。一日中プレイしてたら寝坊してしまいました」

「だよな〜。アレめっちゃハマるよなぁ。俺もずっとやってたもん」

「え、二人とも、もうハンモン買ったの? ボクだけ乗り遅れてるじゃん……」

「ハラちゃんも早く買おーぜ。三人で対戦しよう!」


 友達二人が既に買っているのなら。

 ボクも乗り遅れないうちに早く買ってプレイしたいところだ。うわぁ、ワクワクしてきたなぁ。


 ──その時。


(……あ、阿南あなみさんだ)


 ボク達三人の進む道の先に。

 並んで歩く三人の女子生徒が目が入った。

 その中で、唯一知っている子がいる。

 名前は阿南さん。ちょっとミステリアスな雰囲気のあるクラスメイトだ。


「ハラちゃん? どうしたよ」

「いや、なんでもないよ」

「あ、てかさ。昨日のテレビ観たか? アレが面白くてさぁ」

「私も見ましたよ。特に最後のシーンが──」


 サッくんとマーくんが話す中。

 ボクは友人と歩く阿南さんを目で追っていた。

 同じ部活に入ったことも、ましてや話したこともない阿南さん。ボク達オタク男子グループとは一ミリも関わる機会が無いだろうところに所属している彼女のことがボクは気になっていた。


 というのも、阿南さんは一昨日、美術の時間が終わったあと担当の高橋先生に呼び出されて次の授業が終わるまで帰ってこなかったのだ。


そのあとに「彫刻刀で怪我をしたから早退する」という理由で足早に去っていったので、クラスの中でもしばらく話題になっており。ボクも心配していた。


 でも、今日はキチンと制服を着て登校している。

 流石に一日で怪我が完治するとは思えないけど、きっと病院で手当してもらって大したことがなかったのだろう。何はともあれ、無事で良かった。


「──なぁ、ハラちゃん聞いてるか?」

「……え、何?」

「だから、昨日やってたアニメ観たかって話だよ。面白かったよな?」

「あ、うん。観たよ。今週も最高だったよね」

「だろ〜? やっぱ原作から追ってる身としては戦闘シーンが迫力満点で嬉しくてさぁーー」


 ボクは友人二人と他愛ない話をしながら。

 楽しく登校するのだった。


※※※


「嘘だろー?! 朝はあんなにカンカン照りだったのに!」

「すごい雨ですね」


 天気予報は当たっていたようだ。

 授業が終わり、帰宅の時間になる頃には轟々と音を鳴らして雨が降り注いでいた。台風が来ているのか、風もビュウビュウと吹いて教室の窓を叩きつけている。


 その時、先生が教室に入ってきて。


「えー皆さん、その通り今日は豪雨ですので、親御さんに送ってもらえる人達は家族と連絡を取って迎えに来てもらってください」

「先生ー。ウチの家族全員仕事で迎えに来れないんですけど」

「ああ、それでしたら。少し時間はかかりますが、学バスを用意しますので安心してください。でも、数には限りがあるのでなるべくご家族に送ってもらって下さいね?」


 ウチの高校は一応私立の進学校で。

 遠くから来る学生の為に学内専用のバスが配備されている。

 ボクは歩いて通学しているから乗ったことがなかったけど。使っている生徒は結構いると聞く。


 早速スマホを取り出して。母親に電話をかけてみる。

 ……繋がらない。そういえば今日の朝、絶対に今日中に片付けたい案件があるから帰るのが遅くなると言っていた。きっと携帯電話はカバンの奥底にしまったままで、ボクの着信に気付いていないのだろう。


 サッくんが隣で電話をしている。


「ありがとう母ちゃん! じゃ、校門前に車で来てくれ〜。じゃ!」

「サッくん、お母さんと連絡取れたの?」

「おう、10分くらいで着くってさ」

「私もお父さんが迎えに来てくれるそうです。ハラちゃんは?」

「えっと……ボクは、まだ連絡取れてないなぁ」

「マジかー。じゃあ学バスコースか? いいなぁ。話によると座席は寝心地良くて、空調も効いて快適らしいぜ?」

「へぇ、そうなんだ」


 学バスか……確かに乗ってみるのも楽しそうだなぁ。

 でも、もう少し待てば母親と連絡がつくかもしれない。 

 それに、学バスも無限に湧いて出るワケじゃない。元々バス通学の子がいる中で追加で乗せてもらうのだ。そんなに沢山乗れる余裕はないだろう。


 ……と、思ったのだけど。


(ダメだ……全然連絡取れないや)


 何度も携帯電話にメッセージを送っても。

 母親から連絡が来ることはなかった。

 もうサッくんもマーくんも家族が迎えに来て帰ってしまった。残ったのはボクと──。


(……阿南さんも、家族と連絡が取れないのかな)


 ボクは教室の窓際の席に座っていて。

 阿南さんは廊下側に席があり座っている。

 席替えでも一緒の班になったことがなく、きっとボク達は一生話す機会もないんだろうなと思う。


 席に腰掛けて本を読む阿南さん。

 長い黒髪に、制服も着崩していない彼女はまさに『文学少女』といった風貌で。彼女を包む雰囲気も何となくボク達とは違って独特で。なんというか、少し憂いを帯びた大人の雰囲気が漂っているのだ。


 やっぱりボクとはどこか違う雰囲気だよなぁ。

 見ている世界が違うというか、住んでいる場所が違うというか。


(それにしても寒いな……早く暖かいところに行きたい)


 教室内は冷えきっており。

 朝は太陽が照っていたので防寒対策なんてしてこなかったので、身体が震えてしまう。


 学バスの中は暖房が効いていると聞く。

 乗ったらきっと快適だろうな。授業終わりで少し眠いし、仮眠でもして過ごそうかな。

 

 そんなことを考えていると。

 担任の田中先生が教室に入ってきて。


「原田君、阿南さん、学バスの準備が出来ましたよ」

「ありがとうございます先生」

「……ありがとうございます」


 ようやく家に帰れるようだ。

 今日はバタバタしたし、きっと母親が帰ってくるのも遅くなるだろう。ハンモンを買ってもらうようにねだるのはあとにしたほうがいいかもしれない。


 阿南さんと共に学校の玄関前まで向かう。

 大きな学バスが何列も並んでおり、流石は私立の進学校だなぁという感じだ。


 でも、ボク達はどこに乗ればいいんだろう。

 キョロキョロしていると。バス運転手のオジサンが駆けてきて。


「あれ?! 君達もバス乗るのかい?」

「え、はい。ダメですか?」

「いや、ダメじゃないんだけど……うーん、二人かぁ。ちょっと厳しいかもな」

「ええっ?」

「あと一人くらいは乗れそうなんだけどね。二人となると……ちょっと定員オーバーなんだよね」

「そ、そんな……」


 バタバタと職員の人達が集まって。

 ボク達をどう帰らせるかの話し合いが始まった。

 阿南さんもチラリと見ると、やっぱりどこか達観した表情で話し合いの結果が出るのを待っていた。


 雨がザァザァと殴るように降っている。

 寒くて寒くて、早く暖まりたかった。

 と、その時。美術担当の高橋先生がコチラにやってきて。


「二人共、ちょっといいかな」

「は、はい」

「やっぱりバスの乗車人数的に、一人しか乗れないみたいなんだ。阿南さんが僕が送るから、原田君はバスに乗っていいよ」

「え? いいんですか?」

「ああ、原田君も寒いだろう。先生の車は空調が壊れていてね。大事な生徒に風邪を引かせるワケにはいかないよ。それに、先生も阿南さんと話したいことがあるからね。そうだろう? 阿南さん」

「……はい」

「うん、じゃあ行こうか」


 阿南さんが先生に連れられていく。

 その時ボクは見てしまった。阿南さんも身体が震えていることを。きっと、彼女も寒いのだ。


 ボクは自分が風邪を引きそうなことも忘れて。

 とっさに先生にこう言った。


「あ、あのっ」

「……何だい」

「ボクが先生の車に乗りますよ。ダメですか?」

「え? まぁ、ダメというか……」

「阿南さんはどうしたいかな」


 ボクがそう訊くと。

 阿南さんは少し困惑するように。


「私は……」


 チラリと先生を横目に見る阿南さん。

 田中先生は何も言わなかった。いや、心なしか阿南さんを睨んで威圧しているようにも見えた。きっと、阿南さんはボクと先生に遠慮しているんだ。だったらボクにも策がある。


「高橋先生っ。ボク、先生に授業のことで聞きたいことがあるんです。車の中で色々教えて下さい」

「……え?」

「ぜひ教えてくださいっ」

「……ッチ」

「先生?」

「何でもない。じゃあ原田君を車に乗せるね。阿南さん、また明日」

「……っ。はい」


 阿南さんは陰のある表情で応答する。

 余計なこと、しちゃったかな。

 不安に思ったけど、あまり深く考えずに先生に案内されて車に乗るボクだった。


※※※


「……やっと熱引いた」


 あの日から数日間。

 ボクは熱が出て学校を休んでいた。

 やっと今日回復して。登校ができる。


 早くサッくんやマーくんに会いたい。

 それに……ゲームだって買ってもらった。

 これで二人とハンモンで遊ぶことができるぞ。

 休み中は寝たフリをしてずっとプレイをしていたからランクも相当上がったし。なんなら日中学校に行っている二人より進められたんじゃないかと思う。


 一階に降りると母親が心配そうに訊いてくる。


「あら、もう熱は大丈夫なの?」

「うん、大丈夫だよ」

「ごめんなさいねぇ。あの時アタシが送ってあげれば良かったのだけど」

「いや、お母さんは悪くないって。それより朝ご飯食べよ?」


 今日の朝ご飯はキノコのお味噌汁に焼き鮭に白米かぁ。

 よーし、沢山食べて今日からまた学校頑張るぞっ。

 そう思い、ご飯を掻き込むボクだった。


 そんなこんなで学校に着く。

 すると、もう既にサッくんとマーくんが登校して席に着いていて。


「あ、ハラちゃんじゃん! 風邪は治ったのか?」

「うん、もう大丈夫だよ」

「心配しましたよっ。このまま不登校になったらどうしようって」

「ははっ。そんなワケないよ。ありがとうね、二人とも」


 サッくんもマーくんも心配してくれていたようだ。

 やっぱり持つべきものは親友だなぁ。

 高校を卒業しても二人との関係が続いていればいいな。


 そんなことを考えていると。


「あの、原田君……」

「阿南さん?! どうしたの?」


 阿南さんが目の前に立っていた。

 泣き出しそうな声で彼女はこう続ける。


「私のせいだよね……風邪、引いたのって」

「え、君のせいじゃないよ?」

「ごめんね、私のせいで……」


 震えている阿南さん。

 周りのクラスメイトもザワザワと騒ぎ出す。

 とっさにボクは彼女にこう言った。


「とりあえず、落ち着ける場所行こうよ。そこで話そう」

「……二人っきりって、ことだよね」

「うん、嫌かな?」

「……やっぱり、原田君もそういうことするんだね」

「? 阿南さん?」

「あくまで知らないフリをするんだ。いいよ、行こっか」

「うん。行こう」


 よく分からないことを言う阿南さんを連れて。

 ボク達はひとけのない場所に行くのだった。


※※※


「ここでいいかな」


 学校で静かな場所といえば、ボクが思い付くのは4階の屋上に通じる扉の前の小さなスペースくらいだった。

 なんだな変な匂いがする。青臭いというか、生臭いというか。さては掃除が行き届いていないな? 困ったものだ。


「この場所、男の人は皆好きだよね」

「そうかな。でも、狭い場所って秘密基地みたいで安心するよね」

「安心……か。でも、それは一方的だよ」

「女の子はこういうところ、ドキドキしないの?」


 阿南さんの目から光が消えて。

 吐き捨てるようにこう言った。


「私は……できるだけ、こういう場所には来たくないかな」

「そうなんだ。なんで?」

「だって、相手の男の人ばっかり楽しんで、私の気持ちはどこへやらって感じなんだもん」

「阿南さん?」

「ハジメテは……もっとロマンチックなのが良かった。私、変かな」

「……よく分からないけど」

「やっぱり知らないフリをするんだ。いいよ。もう大丈夫だから」


 阿南さんは諦めたように息を吐いて。

 死んだ青サバのように何もかもどうでも良さそうな顔でこう続けた。


「私はキミに風邪を引かせてしまった。だから、キミが私にどんな命令をしたって、私は断れない。でしょ?」

「……?」

「それが狙いだったんだよね。最初から」

「……阿南さん」

「いいよ、もう知らないフリしなくても。私は全部分かってるから……だから、きて……?」


 目を閉じて。ボクに身を任せる素振りをする阿南さん。

 正直、ボクには彼女が何をしているのか分からない。    

 多分何かの勘違いをしているのだとは思うけど、それが何かまではサッパリだ。


 ……けど、ひとつだけ。

 ボクには阿南さんに伝えなければいけないことがあった。


「阿南さん」

「何」

「ボク……怒ってるように見えたかな」

「……え?」


 阿南さんが恐る恐ると行った感じで顔を上げる。

 不安そうな眼差しだった。次にボクが何を言うのか想像もできないといった感じだ。


「ごめんね、ボク……友達からも言われるんだけど、ちょっと鈍感でさ。相手が嫌がってるのが分からない時があるんだ」

「原田君……?」

「でも、これだけは言わせて? ボクは阿南さんのせいで風邪を引いただなんて思ってないよ。それを理由に君に酷いことも絶対にしない」


「君が何に対して怯えているのか、過去に何があったのかは分からない。でも、ボクはできる範囲で君を困らせることはしたくないよ。それだけは、嘘偽りなく思うんだ」


「だから……本当に安心して欲しい。君が嫌なら、もう関わらないようにするから。それじゃダメかな?」

「……」

「阿南さん?」

「……本気、なの?」

「え?」


「本気で、その……そう思ってるの……?」

「そりゃ、本気だよ。こんな時に嘘なんてつかないよ」

「……原田君」


 阿南さんは顔を真っ青にして。

 震える声でボクに懺悔する。


「ごめんなさい……私、君のこと勘違いしてた……まさか本当に裏表なく良くしてくれたなんて、その……想像もしてなかったから……」

「阿南さん?」

「……あの人とは違うん、だよね?」

「あの人が分からないけど、ボクはボクだよ」


 ボクがそう言うと。

 阿南さんは一瞬だけポカンとして。


「ふふ……そっか。キミはキミ、なんだね」

「阿南さん? あの、どうしたの? 全く分からないよ」

「いいんだよ、分からなくて。そのままキミはお上品でいてね」

「? うん」

「ごめんね。もう要件済んだ。帰ろっか」

「もういいの? じゃあ、帰ろうか」


 よく分からなかったけど。

 阿南さんは安心した顔をしていたのでいい事としよう。


 そのあと二人で教室まで帰るとサッくんとマーくんから「何があったの?」と色々質問攻めされた。


 でも、あの場所で話した内容は。

 多分阿南さんも秘密にしておきたいだろう。

 なんとなく、ボクはそう思った。だから言わないでおいた。


 ──その日の放課後。


「は〜っ。今日も疲れたなぁ」

「体育のある日はキツイよねぇ」


 クラスメイトのいない教室にて。

 ボクとサッくんは向かい合って席座って雑談をしていた。窓の外はもう茜色に染まっている。なんだかノスタルジックな雰囲気だ。


「てかさ、ハラちゃん阿南さんと何話してたのか教えろよ〜。気になるじゃん」

「大した話じゃないから言わない」

「ケチだな〜! 少しくらいいいじゃんかよ〜」


 どうやらサッくんはボクが阿南さんに告白されたと勘違いしているようだ。大人っぽい彼女に年相応のボクが似合うワケないのに。


 でも、まあ。悪い気はしない自分もいて。


 プルルル!!!


「あ、電話だ。うわー! 母ちゃんからだ……」

「サッくん何かしたんじゃないの?」

「俺何もしてねぇよ〜。ちょっと電話出てくるな〜」


 サッくんが電話をするために教室を出ていく。

 ひとりになると、気付かなかった周りの音を耳で感じるようになる。グラウンドで走り込みをする運動部員の人達の掛け声、哀愁漂うカラスの鳴き声。風が吹く音。どれも心地いい。


 ……今日はなんだか大変な一日だったな。

 風邪が治って最初の登校日だったし、授業で体育があって疲れたし……それに。


「原田君」

「……阿南、さん?」


 ふと、目の前に阿南さんが立っていた。

 上品な黒髪ロングが茜色に反射されてキラキラと光っている。女の子にしてはスラリと高い長身と華奢な肩は女性的な魅力と、決して背伸びではない大人っぽさをイメージさせる。


 そんな彼女は今日の朝とは違って。

 柔らかい笑顔のまま。ボクにプレゼントをしてくれる。


「はい、これ。良かったら飲んで?」

「オレンジジュース? これ、自販機で買ってきたの?」

「うん、この前のお礼してなかったなって思って……男の子って何が好きなのか分からなかったけど……嫌い、だったかな?」


 ボクは首を振って。


「ううん、嫌いじゃないよ。オレンジジュースありがとうね。阿南さん」

「……うん、良かった。気に入ってくれて」


 ほっとした様子で胸を撫で下ろす阿南さん。

 でも、わざわざお礼をしてくれるなんて優しい子なんだなぁ。やっぱり、彼女はボクみたいな子供とは違って大人っぽいや。


「じゃあ、また明日ね。原田君」

「うん。またね」


 阿南さんがその場から去ろうとする。

 何を思ったのか、ボクはとっさにこう返す。


「あの、阿南さん」

「? 何かな」

「今度、またお礼のお礼させてよ」

「お礼の、お礼?」

「うん、オレンジジュースくれたお礼。ダメかな?」


 キョトンとする阿南さん。

 刹那、クスッと吹き出して。


「ふふっ。なぁに、それ。変なの」

「そ、そうかな」

「うん、キミってちょっと……可愛いね」

「ええっ? そうなの?」

「あ、ごめんね。男の子に可愛いなんて、失礼だよね」

「いや、ボクは大丈夫だけど……」

「そ? なら、良かったけど」


 女の子に可愛いなんて言われた機会がないので。

 なんだか恥ずかしいというか。むず痒いというか。

 でも、決して嫌ではなかった。阿南さんになら……言われても。別に……。


「原田君」

「ん?」

「キミがお礼のお礼をするなら、私はお礼のお礼のお礼をするね」

「お礼のお礼のお礼、か」

「嫌かな」

「……いや、嫌じゃないよ。でも、そしたらボクはお礼のお礼のお礼のお礼をするからね」

「ふふ、終わらないじゃん。そしたら」

「あはは……そうだね」


 二人で見つめ合って笑い合う。

 阿南さんってこんなに楽しそうな顔をするんだ。

 ……少し、欲を言うと。もっとこの人が笑った顔を見てみたいなと思う。なんで見たいのかは分からないけど……とにかく、阿南さんの幸せそうな顔が素敵だということは分かる。


 そんな時。


「おーーっす、ハラちゃん聞いてくれよ〜。母ちゃんったら俺の部屋勝手に入ったらしくてよ〜〜って、阿南さん?! 二人で何話してるんだよっ!」

「な、なんでもないよっ。だよね、阿南さん」

「うん。そうだね……キミにとっては、なんでもないんだよね」

「阿南さん? ちょっと?」


 阿南さんは意味深なことを言って去っていった。

 やっぱり彼女はどこかミステリアスで、大人っぽいよなぁ。


 ボクと阿南さんの『お礼し合いっこ』の関係は。

 これからしばらく続いていく……。

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