[ショートショート]もし、ありふれた日常で

天白あおい

第1話 危険なそれ

 インターホンを鳴らした作業着に身を包んだ男は、「失礼しますね」と言いながら、玄関で靴下を履き替える。そして、家主である青年に連れられ現場へと向かった。


「これなんですが……いけますかね?」


不安そうに尋ねてくる青年。だがそんな事を一切気にした様子はなく、男は答えた。


「大丈夫ですね。安心してください。少し手強いですが私にかかればすぐですよ」


「良かったぁ」


その言葉を聞けて安心したのか胸をなど下ろす青年。男の自信に溢れた言葉に安心したのかも知れない。


「ただし油断は禁物です。念のため後方に控えて、こちらを顔に当てていてください」


青年は少し訝しみながらも手渡された透明なフェイスシールドを着用する。一昔前の流行病の際重宝された品物だ。だが青年は思う、なぜ今頃なのかと。


「それは顔を守る為です。万が一があったらいけませんから。その為に長袖長ズボンの着用をお願いしました」


思考を読んだかのような返答に、どこか腑に落ちたような顔をしている青年。実際、青年は春先に着るような長袖とジーンズを身につけている。


「それでは始めます。くれぐれも私よりも前に出ないでください。安全を保証できませんから」


「分かりました」


青年が生唾を飲み込んだ音が響いた。そして、男の『仕事』が始まった。


 男はおもむろにアタッシュケースから必要な道具を取り出し、机に並べる。そして丈夫な手袋をはめ、菜箸の様に長い道具で束ねられた紙を裏向け、状態を詳しく確認する。


「これは凶悪ですね」


「やっぱりそうですか」


「はい。ただ私にかかればどうってことはありません。私に依頼するとは賢明な判断でしたね。」


「あ、ありがとうございます」


まさか褒められるとは思っていなかったのか、青年は少し返答がどもった。


 男は集中する為それっきり喋らなくなった。中途半端に曲がり先端が突き出した凶悪なそれを、専門の道具と持ち前の技術でそれを伸ばし、取り外す。その際大元を全く傷つけない所からこの男の腕の良さが窺えた。そして取り除いたそれをピンセットで掴み、液体の入ったガラスの容器へと入れた。


「取り除けましたよ」


「本当ですか! ありがとうございます」


青年は思いの外早く終わったことと、不安が取り除かれたことに安堵し、お礼を述べた。


「今から穴を塞ぎますので、よければこちらを眺めてお待ちください。」


男が青年に手渡したのは凶悪な空の入ったガラスの容器だった。


「はあ、これが……」


取り除かれたそれを眺めて、その凶悪さに改めて自分でやらなくて良かったと実感する。


「終わりましたよ。」


「もうですか?」


「はい。問題はないと思いますが、念のため1時間ほどは安静にさせておいて下さい」


「分かりました」


「ではお値段の方ですが……」


そう言った男は電卓を取り出す。


「基本料金に、追加プランとしての出張サービス、穴埋めサービスの料金を加えまして、計440円ですね」


青年は440と表示された電卓を見る。そして財布から8枚の硬貨を取り出して手渡す。


「ちょうど440円ですね。では以上ですので失礼させていただきます。その小瓶はタダでお譲りしているのですがどうされます?」


「あー、一応もらっておきます」


「かしこまりました。万一要らなくなったら私までご連絡ください。引き取りに参ります。薬に浸っているとは言え危険ですから、くれぐれもご自分で処理なさらないようにお願いします。最悪警察沙汰になりますので。それでは」


そう言いながら玄関の扉を開けようとした男を青年は呼び止める。気になっていたことがあったのだ。


「あの、すみません」


「どうされました?」


「聞きたいことがあるのですが……」


おずおずと青年は答える。


「良いですよ。私に答えられることであれば」


意外と柔らかいものいいに少し緊張をほぐし尋ねた。


「あの、どうしてそんなに安いんですか?」


「料金のことですか?」


「はい。普通はもっと高いんじゃないのかなって思いまして……」


「ああ、それはですね……」


作業着を身につけた男は意味ありげに、初めて笑顔を見せこう言った。


「私は噛み損ねたホチキスの針を紙から外しただけですから。」

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