第50話 紫苑祭(10)
「えっ?」
トワはその言葉の意味よりも会場の様子がおかしいことに気が付いた。
みな静止している。アヌビスの言葉に困惑し白けているのではない。文字通り凍りついたように止まっているのだ。
『時間が……止まっている?』
イツカも異変に気が付いて声を上げる。質問のため立ち上がっていた記者はそのまま立ったまま口をあんぐり開けて止まっている。
他の記者達も観客もみな動画の停止ボタンを押したかのように止まってしまっている。
「まずは時の因果を切り離した」
アヌビスは振り返り、先程までとはまるで違う冷たい口調で言い放った。
「アヌビス! 何しやがった!」
「え? なにこれ? みんな止まっちゃってる?」
「私達だけ動ける……?」
ステージの袖から出てきた三人が声を上げる。
「あなた達には見せておこうと思ってね。この世界の終わりと始まりを」
アヌビスはトワ達を見据えながら淡々と告げる。
「これは……神の目録? いや、ちがう!」
トワはアヌビスから離れながら辺りを見回す。エーテルにおかしな流れは感じられない。むしろ驚くほど静かで、そして急速に失われている。
『――
イツカが絶望に打ちひしがれたようにその言葉を絞り出す。
「イツカくん?」
「あはっ! それは覚えていたか! いや、ケイから聞かされていたか?」
アヌビスは笑いながら狂喜の様相で声を上げる。
「そう、この結界のオリジナルを作ったのはケイ達魔女だよ。お前をずっと封印するためにね。世界の因果から切り離し、『なかったことにする』ために」
「結界だと?」
九重がトワとアヌビスの間に立って問いかける。足元にはタクトが控えている。
「そう、この大学と図書館はそのために作った。ここを終わりと始まりの地とするために」
「どういう意味だ?」
九重はすぐにでもタクトをけしかける構えだった。アヌビスといえど記憶を飛ばせばしばらくは起き上がって来れないだろう。
「言ったでしょ? その本――聖典をこの世界から抹消すると」
「!」
トワはその怖気を誘うような冷たい視線に思わず身構え、イツカを強く握りしめる。
「聖典を封印することでこの世界のエーテルは安定に向かう。これ以上魔法司書が生まれることもなくなるでしょう。でもそれでは現状は変わらない。数少ない魔法司書が淘汰される世界が続くだけ。――だからやり直す」
「やり直す?」
トワは予感めいたものを感じる。この人は本当に魔法司書のために世界を変えるつもりなのだと。
「この結界は中のものを世界の因果から切り離す。それは時間をも含む。つまり過去から取り出すこともできるということ」
アヌビスはホールを見回しながら宣言する。時間に続いて空間も静止し始め、世界の色彩が失われていく。
「どゆこと? どゆこと?」
「イツカさんを過去に送り込んで世界を書き直すってことよ!」
困惑するハルにウララがいち早く察して答える。
「そう! ケイが見つけるよりも前に私が見つけ出すことによってね!」
アヌビスは歓喜の表情で両手を広げる。
「さて、どうする? このまま放っておけば聖典の封印は完了する。中からの干渉が不可能なのはここにいたことがあるあなたが一番よく知ってるはず。他の子らには作用しないから安心してほしい。それでも抗ってみる?」
そして一行を挑戦的な目で見回す。ネフティスがようやく出番が来たのかとその目をぎょろりと動かし始める。
『トワ……』
イツカはどうすればいいのか決めかねていた。
アヌビスの言うことは嘘でもはったりでもなく真実だった。大学敷地内に入った時から感じていた違和感、因果を追えない無力感はこの封印結界のせいだった。おそらく最初から、もう何年も前から計画されていたことなのだ。
「もちろん抵抗させてもらいますよ」
九重が片手をかざし、足元のタクトが威嚇の唸り声を上げる。
「あなた達は?」
アヌビスはハルとウララに問いかける。
「えー。アヌビーにはマジ感謝してるしー。アヌビーが作る世界もおもしろそうだけど、でもね――」
「――友達を悲しませるやり方には賛同しかねます!」
ハルとウララはゴンタとウカを呼び出して構える。
「あなたはどうする?」
そしてアヌビスはトワに問いかけた。
「……」
トワはイツカを抱きしめながら目を瞑り考えていた。
何故人は願いのために争わなければならないのか。
神の目録でもそうだった。ケイは世界を元に戻すため、いや自らの寂しさからみなを呼び、未来の選択を委ねた。アカーシャも姉に会いたいという一心で全てを犠牲にする覚悟だった。アリスやエメリックもそうだ。
そしてこのアヌビスの魔法司書の未来のためというのは、きっと本心だ。その考えには共感するし、多くの人達の救いになるのは間違いない。
だがそのためにイツカが必要だと言う。アヌビスとイツカが出会う世界で自分は生きて存在できるのかわからない。もしかしたら無事イツカと違う形で出会える世界があるのかもしれない。
しかしそれはこの世界で九年間イツカと共に生きてきた時間をなかったことにすることだ。それだけは許し難かった。
人は自分の願いのために他者の願いを否定しなければならないのか。何か他の道はないのか。わかり合うことはできないのか。それを探す時間は、人にはあまりに足りない。
「……イツカくん。どこまでやれる?」
トワは目を開いてイツカに静かに問うた。
『……トワと一緒ならエーテライズは問題なくできると思う』
イツカはトワの手から伝わる感触、脈打つ鼓動、聞こえる声から、その覚悟の全てを読み取った。
「……どうやらラスボスのお仕事をしなきゃいけないようね」
アヌビスは一瞬眉をひそめると自虐的な笑みを浮かべ、片手を振り上げる。するとネフティスは動き出し、一行に向かって猛々しく吠えた。ホールだけでなく結界さえも震えるほどの咆哮だった。
「お前らびびんなよ!」
「やばい燃えてきた!」
「仕方ないわね!」
三人はそれぞれのエーテルキャットを従え、臨戦体制をとる。
「あなたの願いはここで止めます」
トワは一歩踏み出す。その瞳は赤く紅く燃え上がっていた。
決戦の火蓋は切って落とされた。
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